哲学は、これまでに何度も扱ってきたテーマです。
特に、2010年の4月~5月は集中して。
なんといっても、『ギヴァー』を読んだことで、哲学の本が読めるようになったぐらいですから。『ギヴァー』を読んでいなかったら、いまだに読めていなかったと思います。
ある人からエドムント・フッサールの存在を教えてもらって、借りてきた本の一冊が『哲学的思考 ~ フッサール現象学の核心』というタイトルの本でした。「目次」を読んで、まったく読む気になれません。ひたすら難しい漢字が並んでいるだけです。このまま、返そうかと思って、「あとがき」を読んでみたら、まったく読む必要がないことが確認できました。
極めて、当たり前のことを、あえて難しく書いてある本だということを、著者自らが書いてくれていたからです。「哲学とは、そういうもんなんでしかないんだ」とこれまで私が思い続けてきていたことを再確認させてくれました。
その当たり前なことを一言でいうと「哲学とは、根源的に問い、確かめ、共有しようとする営みだ」そうです。
別に、そんなこと今さら言われるまでもないことでよね?
「哲学者とは、暇な人」と言われる原因がはっきりしました。
要するに、私と哲学との相性は、依然としてあまりよくない、ということです。
というか、その必要性をまったく感じていないというか。
以上書いたことは、半分冗談です。
私のような者には、理解できない深いものが「哲学」にはあると思います。でも、これまでのような内容であり続けるかぎりは、8割以上(?)の人が煙たがるというか、背を向け続けることも、また確かです。私のように。
その意味で、今年の1月に再会して、ブック・プロジェクトを展開し続けている鶴見俊輔さんの哲学や思想の捉え方は、受け入れられます。単に受け入れられるだけでなく、極めて楽しくもあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿