これまでの丸山真男の連載との関連で、朝日新聞が7月9日と10日に載せた「政党政治を問い直す」がありました。でも、そもそもこの問題設定自体が、おかしいような気がします!! 「共通の理念や政策をもつ政治家が政党に集い、国民を代表して政治を行う。それが政党政治のはずだが、なんだか空々しく聞こえる。民意を映している気がしないからか」とテーマを設定した当人たちが言ってしまっているぐらいですから。(そして、そのマスコミの呼びかけに呼応する形で登場した「有識者」たち★の発言を読んでも「空々しく聞こえて」しまいました! マスコミも、有識者も、政治家や政党と同じレベルで機能していないことの表れでしょうか?)
8人の「有識者」の発言が要約される形で載っていたが、唯一コメントしがいがあると思えたのは、唯一の女性代表の阿部彩さんかな?
女性を「忘れられたマジョリティー」と表現していたのですが、それを言うなら「忘れられた高齢者や若者」、そして「わすれられた国民の大半」??
「近所のおばさん」たちが国会や地方議会に普通にいる状態にはなくなってほしい、とも言っていたが、スウェーデン等の北欧では、すでに大分前に実現しています。要するに、税金の無駄遣いにしかならない現行の職業議員制ではなく、した仕事分だけの「見返り」制度にすればいい。(基本的には、フリーター/アルバイト並の報酬制度です。)
でも、ここ1か月の間だけでもマスコミを賑わした東京都や国会の女性差別的なヤジ問題や、兵庫県議会のカラ出張議員の問題等など、女性が半分いれば、起こらない/起こりにくそうな気はします。
いずれにしても、自分たちこそが国(や地域)を動かしていると思い込んでいる政治家(や官僚)がいる一方で、そういう人たちをまったく見放しているというか、期待していない国民が存在しているという大きな問題があると思います。
これは、まさに丸山さんが主張していた国民によるチェック機能がまったく存在せず、 独裁化/ボス化/形骸化が維持されている現状です。民主主義は制度としては存在しているのでしょうが、機能はしていない、ということです。あるのは、独裁化/ボス化/形骸化だけですから。でも、この状態から抜け出せるのは誰の力かというと、職業政治家(や官僚)たち自身でないことだけは確かなことも、すでにわかっていますから、市民/国民しかないわけです。ジョナスが一人で、『ギヴァー』のコミュニティに対して行動をとったように!?
そして、マスコミもこのような企画によって、その独裁化/ボス化を維持する側に立っているのでしょうか? それともチェックする機能を果しているのでしょうか?
ジョナスのコミュニティでの情報源は、いったい何なのでしょうか? 口コミ?
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