丸山真男の3回目です。
丸山さんの功績の一つは、「無責任の構造」を明らかにしたことです。 ~ 誰も第二次世界大戦に突入していったことへの責任を感じていない状況。極めて異常な状態!! これが日本社会や組織を長年(現在も含めて?)覆いつくしている構造のような気がします。
それには、以下のような個人的な体験も含まれていました。
1945年(昭和20年)3月に再召集を受け、広島市宇品の陸軍船舶司令部へ二等兵として配属された。8月6日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下され、被爆。「上官の意向をうかがう軍隊生活は(大奥の)『御殿女中』のようだった」と座談会で述べたことがある。この経験が、戦後、「自立した個人」を目指す丸山の思想を生んだという指摘がある。 ウィキペディアより
広島でしていたことは、欧米が流す情報収集活動。中でも、「ポツダム宣言」★の内容をいち早く知り、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること」が含まれていたことに、いたく感動したらしいです。そういう発想が、戦前・戦中の日本にまったくなかったのですから。この点に関しても、日本は進歩しているといえるでしょうか?
★1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言。(ウィキペディアより)
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