『仕事ってなんだろう』(佼成出版社)です。
これは、「子どもだって哲学」シリーズの第5巻で、5人の著者が書いています。
私が読んだのは、矢崎節夫さん。他の4人は読んでいません。
シリーズの他の巻は、お馴染みの『ギヴァー』のテーマでもある①いのち、②自分、③家族、④愛を扱っていますが、いまはちょっと読む気がしません。もし読まれた方は、ぜひ『ギヴァー』との関連を教えてください。
矢崎さんは、童謡や童話を書いたり、詩を編集したり(書いてもいたかな?)する仕事をしている人ですが、あの金子みすゞの紹介者として有名な人です。
矢崎さんは、「小学校3年までのぼくは、本を読むことよりは外で遊ぶのが大好きな子どもでした。学校は休み時間と体育の時間と給食の時間のためにだけ、行っていたといっていいでしょう」と書いています。これは、私も同じですし(私の場合は、これが大学院まで続いてしまいました。悲劇です!)、世のほとんどの子どもが同じなのかもしれません。ジョナスも同じだったかもしれません。★
しかし、小学4年の時の担任の先生が、詩が好きな人で、毎週自分の好きな詩人の詩を貼り出してくれていたことが、矢崎少年を詩好きな少年に変えました。そして、おかあさんに「ぼく、詩の本が読みたい」というと、単にたくさんの詩人たちを紹介してくれただけでなく、詩人のすばらしさを語ってくれ(「詩を書くということは、人の心にひびく最高の仕事です」まで言い)、「あなたが詩を書きたければ、自分の心を豊かに育てなければなりません。詩の本だけでなく、たくさんの本を読むといいですよ」と買ってくれましたし、その後、矢崎さんは図書館の本も読み始めたそうです。
→ この辺、ジョナスに対するギヴァーが果たしていた役割に似ています。
残念ながら、唯一本がたくさんある部屋に毎日通いながらも、それらの本を読んでいるところは、一つも描かれてはいませんでしたが、ギヴァーから記憶を注がれることで、本を読んで得られるのと同じ(似た?)体験をしていたものと思われます。
大学に入って矢崎さんが最初にしたことは、『日本童謡集』を読むことだったそうです。その中に、日本の代表的な同様三百数十編が納められているのですが、彼は金子みすゞの「大漁」を読んで衝撃を受けました。そして、それ以降16年間、矢崎さんのみすゞの童謡というか詩を探し求める旅が始まりました。
矢崎さんは、みすゞの作品は、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」という視点(まなざし)を提供してくれているといいます。要するに、“大切なことは相手から見ないと、見えてこない”。そしてもう一つ、“すべては2つで一つ”だということ(昼と夜、光と影、喜びと悲しみ、目に見えるものと見えないもの、生きることと死ぬことなど)、“私だけの幸せではなく、あなたの幸せがあって、私の幸せがあって世界は成り立っている”ということも提示してくれていると言います。
→ これも、まさに『ギヴァー』に含まれているメッセージというか、ジョナスの言動から読み取れることのような気がします。
なお、「私とあなた」ではなく「あなたと私」に関して、矢崎さんは「相手より自分の位置を上に置いていたまなざしを、相手の位置まで下げた時に、初めて相手のことが理解できるのです。だから、理解するとは英語でunderstand、アンダー(下に)スタンド(立つ)と書くのですね」(30ページ)書いています。
→ なんの気なしに使っていましたが、そういうことだったんですね。ちなみに、英語で「理解する」には、seeも使います。「見える」です。見えないと、当然わからないからでしょうが、understandについて上のように書かれると、関係性まで含めて「見える」から「理解する」になるという錯覚を起こしたくなります。
★ しかし、それでいいとは思いません。とてももったいない時間の過ごし方だと思います。矢崎さんの小学4年の担任の先生がしたように、枠にはめられた中でも、教師にできることはいくらでもあると思います。休み時間と体育と給食以外の時間でも。いまは、それを何とかすることに最大の関心があります。理由は、それが矢崎さんの事例が示してくれているように、仕事にも、社会のあり方にもつながっていると思うからです。
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