今年の1月1日に、最初の『ギヴァー』と関連のある本たちとして紹介した中に含まれていたのが、井上ひさし著『吉里吉里人』でした。
井上さんはその時には、まだ生きておられたのですが、今は亡くなられています。
その時は本の内容にはいっさい触れていませんでしたが、昨日、安野光雅さんが朝日新聞の「本を開けば」のコーナーで、『吉里吉里人』を紹介していたのを見つけましたので、ここに掲載します。(9月5日掲載分で、そのタイトルは「日本国が失った二人」です。)
http://book.asahi.com/reading/TKY201009070271.html
東北本線一ノ関駅あたりで列車が急停車し、突如「吉里吉里人(ちりちりづん)」が乗り込んできて乗客を外国人として扱い、旅券を見せろと言う。吉里吉里国は独立したと宣言するのだ。
「俺達(おらだつ)が独立(どぐりじ)を踏み切(ぎ)ったなぁ、日本国(ぬほんのくに)さ愛想(あえそ)もこそも尽ぎ果(はん)でだがらだっちゃ」
井上ひさし『吉里吉里人』が出たのは30年近く前だが、その本の装丁をするために、わたしは出版社から雑誌連載の分厚い束を持たされて外国をめぐり、先々で読んだ。
独立の理由を共通語で要約すると、「減反しろ、広域営農団地を作れ、村有林を伐(き)れ、隣の町と合併しろ、上流の工場排水のために川水が少し濁っても我慢しろ」などと「国益のため」の要求を押しつけられることだが、事情はいまもあまり変わっていない。しかしそれはまだ我慢するとしても、自分たちの使ってきた言葉が、方言というゆゆしき言語であって、これを矯正しなければ日本国人になれない。ならば、「日本人をやめるほかないんだっちゃ」という理由が大きかったらしい。
→ ここに書いてくれた内容も含めて、この本は、『ギヴァー』の中でのジョナスの行動とも相まって、私にとってはバイブル的要素をたくさん含んだ大切な本です。
この本では、「坊っちゃん」でも「雪国」でも吉里吉里語で書けることを例証し、吉里吉里語を学ぶ者のための「傾向と対策」まであって、これが無類におもしろい。山形県は丸谷才一や斎藤茂吉など言葉に関する先人が多い。ああ、わたしは著者自身の口から、「山形県知事」と「山形県地図」の発声の使い分けの困難さを実演してもらったことがある。なんと得がたい体験だったことか。
テレビの普及は共通語の普及をうながし、今や山形弁の価値の方が高くなっているからおもしろい。
→ 井上さんは、その共通語が誕生した経緯については『国語元年』というおもしろい戯曲を書いてくれています。私自身、テレビでそれを見たのを覚えていますが、とても面白かったです。
ちなみに、安野さんがタイトルに掲げているもう一人亡くなった方は、日高敏隆さんです(今年でなくて、去年)。安野さんが紹介してくれている日高さんの2冊の本は読みたくなり、早速図書館にリクエストを出しました。
なお、安野さんは連載の最後(=4回目=9月26日掲載分)を、井上ひさしさんの名言で閉じています。「難しいことを易しく、易しいことをふかく、ふかいことをおもしろく」
『吉里吉里人』にしても、『国語元年』にしても、まさしくこの言葉を実行している本ですから、とても説得力があります。
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