143 日々の生活に追われていると、大きな時代の流れや、世界の動きに鈍感になってしまう。日常を生きるのに都合のいい機械の一部のようになり、ものを深く考えたり、感じたりしなくなる。また社会は、組織の中の歯車の一部になることを、知らないうちに人々に要求する。
多くの情報を処理し、多くのメディアの恩恵にあずかって生きていく現代人は、遠い国の人が飢餓で苦しんでいようが、また隣の人が悲しみに打ちひしがれていようが、そうしたことに一つ一つ心を痛めている余裕がない。世界の悲惨は、毎日、日常の上にメディアを通して情報として届いてくる。しかしそれに対して自分に何ができるか、真剣に考えたり、そのことに対して深く同情したり、あるいは実際に何かをその人たちのために実践できる人はほんのわずかだろう。
144 特に日本のような安全な生活になれてしまった国では、世界の大きな動きに対して鈍感になってしまう。そのうえ、日本の生活の中の異様な慌ただしさ、忙しさは、ものを考えたり、感じたりする時間を奪ってしまう。
・・・しかし一人の人間が、生き生きと生きていくということは、その人しかわからないような感情や感覚を、深く味わっていくことではないだろうか。人を深く愛したり、自然や芸術を愛したり、自分の仕事に夢中になって働くこと。その人の時間が、密度の濃い神話的なものになるというのは、どれだけ深く自分に与えられた人生の時間を感じ、味わっていたかによるのだと思う。
146 強く希望を持つこと。時代は決して楽観的な展望では、新しく切り開かれることはないだろう。しかしだからといって、悲壮感と絶望にうちひしがれても、何も生み出すことはできないのだ。人間の善意や、美しさへの憧れを持つ心を、強く信じること。そうした信念に貫かれた力強い響きでないといけない。
→ この辺は、まさに『ギヴァー』の中で書かれていることそのままではないでしょうか?
184 空間は音楽に影響を与える。また、その逆もしかり。スペースはとても重要。
187 領域を超えた専門家がアイディアを出し合うことの大切さ。
20世紀の音楽は、音を生み出す母体としての身体や、空間(劇場)の問題をあまりにないがしろにしてきたように思われる。
→ このことは、『ギヴァー』にも言えてしまうかな~、と思ったりしました。
211 現代のように環境破壊が進み、異常気象が常に起こりつつあるような世界で、人間の内なる自然が破壊されつつあることを私は感じます。人間も自然の一部であるとしたら、人間の生み出す音楽は、最も根源的な自然の音楽なのかもしれません。現代のように、さまざまな医学の発展によって可能なかぎり死というものを見えなくしている社会の中での、人間の音楽は、その本質的な自然さを失っていくのではないか、という危惧を覚えます。こういう私の考え方は非常に古風に見えるかもしれませんが、現代の作曲家の作品に、どこか根源的な自然の力を感じられなくなっています。
212 私は、シューベルトの音楽が非常に好きなのですが、特に彼の晩年の音楽に、人間の根源的な歌、自然と深く関わっていく人間の根源語としての音楽を感じるのです...人間は、外にある自然も内なる自然も失いつつあることによって、こういった人間の歌の本質を失いつつあるのではないでしょうか。
→ ということで、最初から最後まで関連性を感じないわけにはいかない1冊でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿