http://www.hico.jp/ で見つけました。 ちなみに、このサイトには、下の以外にも当時の書評が6つ紹介されています。
未来のコミュニティが舞台。このコミュニティでは乳児から老人にいたるまで行き届いた世話がおこなわれているし、穏やかで健康的な生活が保証され、人々は飢餓や戦争を知らない。主人公はまもなく一二歳になるジョーナス。彼は自分がどの職業 に任命されるかに大きな関心を寄せている。というのも、このコミュニティでは一二歳を境に子ども期が終わり、残りの人生をどう過ごすかは、長老によって決定されてしまうからである。ジョーナスは予想外の職業ー記憶を受けつぐ者ーに任命され、その訓練を受ける過程でコミュニティに関する意外な真実を発見していく。 → この辺は、トライポッドにとても似ています。
このあらすじから、本作品が高度に管理された社会を舞台にしていることは察しがつくだろうと思う。というのも一見理想的なこのコミュニティには「自由」がないからだ。作者の主張ははっきりしている。ひとつには合理性や安全、便利さといったものを追求し、すべての異分子や不確定要素を排除することの危うさである。さらに、難しい決定を先送りにしたり、選択そのものを「長老」たちにゆだねることの危うさである。それらが積み重なり、現在の姿になっている。だが、この作品の長所は主題のわかりやすさだけではない。主人公といっしょに、このコミュニティの真実の姿を見抜いていく過程こそが驚きをもたらしてくれる。そのためには一見平凡に見える文章の裏を読む作業が必要とされる。たとえば「おやすみだっこちゃんというのはほとんどの場合、リリーの持っている象のように、想像上の動物のふかふかやわらかい縫いぐるみだった」とあれば、縫いぐるみの説明に惑わされずに、「想像上の」という言葉に注目してほしい。この一言で、子どもたちが「象」「キリン」「カバ」といった動物を一切見たことがないこと 、ひいてはこのコミュニティにはあらゆる動物がいないことを察知しなければならないのだ。そして、こういう細部を元に世界の全体を把握し、その意味を知ったとき、かつてわたしがそうであったように、あなたもまたこの世界の意外性に魅了されるであろう。
「もしも・・だったら」という発想から生まれ、シミュレーションの冴えをみせ、管理と自由をめぐるSFならではの問題提起をおこなったこの作品は、結果として九四年度のニューベリー賞に輝いた。昨年のこと、英語圏の児童文学関係者の間では「もうこの本を読んだか」という問いがしきりにかわされたという。さて、あなたはどうする? 九〇年代を代表するであろう『ザ・ギバー』に、だまされたと思って挑戦するか、無視するか。
読書人 1995/10/20
16年前に書かれたものですが、状況はまったく変わっていないというか、さらに悪化している感じがします。
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