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2011年12月31日土曜日

『ギヴァー』と5年間の付き合い

『ギヴァー』との付き合いは、2007年の3月からですから、もうそろそろ5年になります。本のタイトルを知って、すぐに図書館から借りてきて、3日で読んだのを今でも記憶しています。毎日寝る前に読みました。


 はじめて受けた衝撃があまりに大きかったので、この本をできるだけ多くの日本人に読んでもらいたいと思いました。★その後、『ザ・ギバー』(講談社)がすでに絶版になっていることを知ったので、約3年間をかけて復刊しました。(小説を読んで、そんな大それたことをしたいと思ったのは、この本がはじめてです。そして最後でもあると思います。)

 実際に、翻訳も新たな『ギヴァー』(新評論)が出たのは、昨年の1月です。

 その時から、『ギヴァー』のブログも始まったわけですが、毎日の出来事を『ギヴァー』の視点で見るというか、他のたくさんの本を『ギヴァー』との接点で読み始めるようになりました。それがもう2年も続いています。★★


 主人公のジョナスのお父さんやガールフレンドのフィオナがしている負の部分については、かなり前から気になっていましたが、特に、3月11日の地震・津波+原発事故以降は繰り返し考え続けています。(特に、後者の原発事故との関連で。)★★★

 ジョナスのお父さんとフィオナは、ニュー・チャイルド(乳児)の養育係や老年の家の世話係として、日本で言う福祉の領域の仕事に携わり、対象の立場に立ったサービスを提供しています。プラスの面に関しては、申し分ないかに見えます。

ジョナスのお父さんは、普通児と認められず、解放される可能性の高いゲイブリエルを世話の大変な夜の間、家族の同意と養育センターの許可を得て自分の家で特別にめんどうを見られるようにしたぐらいです(13~5、31~3ページ)。★★★★1ページに掲載されている登場人物の欄にも書いてあるように、性格は「内気でおだやか」な人なのです。

 しかし、少なくとも一つの大きな負の部分があります。
 人の命を絶つことである「解放/リリース」を、至極当たり前にしていることです。(206~215ページ)
 それは、感情や記憶を持たないがゆえにできる、とも書いてあります。(215~7ページ)

 3月12日以降考えてきたことは、私たちの社会も、感情や記憶、あるいは未来への責任の意識を欠くことによって、「解放/リリース」とはいわないまでも、同じようなことをしてしまっているのではないかということです。それも、きわめて多岐にわたる分野において。「よかれ」と思って。あるいは、まったく気にもせずに「習慣」を押し通すことで。

 目に見える形で表れてしまったのが(放射能は見えませんが)、原発事故による放射能の拡散・放出でした。しかし、同じように目に見えない形で、静かに「解放/リリース」が進行している分野は他にもたくさんある気がするのです。食(農業)、福祉、環境、政治、経済、そして教育など、暮らしに関連するほとんどの分野で、です。

 少なくとも、今年はそれら様々な分野で進展が見られた年ではありませんでしたから、新しい年はなんとか少しでも見えるようにしたいものです。もちろん、それを誰かに期待するのではなく、できることを自分たちができる分野や領域で動くことによって。


★ 読んですぐ、「これは、今の日本に一番必要な本だ!」と思ったのです。

★★ その過程では、『ギヴァー』の中で扱われているテーマが、そのまま哲学で扱っているテーマであることも発見してしまいました。 特に、2010年4~5月の書き込みを参照ください。自分ほど哲学から遠い人間はいないと思っていたので、大きな驚きでした。

★★★ 3月11日以降、約2ヵ月半はブログに書くことができませんでした。

★★★★ ちなみに、赤ちゃんのゲイブリエルは何も語ることはありませんが、この小説の最初から最後まで登場して、きわめて大きな役割を果たしていた気がしています。

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