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2019年6月23日日曜日

映画を見ての気づき


 1)これまでは、ギヴァーのコミュニティーの人数は、一つの年齢層が50人なので、約3500~4000人と計算していたのですが(80歳以上まで生きる人はいないと思います。その前にリリースされてしまう可能性が大なので)、映画では150人で設定されていました。そうなると10500~12000人がいることになります。

2)「選ばれし人」としてレシヴァ―に選出されたジョナスがもっていた4つの特徴は、
 ・知性
 ・誠実さ
 ・勇気
 ・はるか先を見る力

 まさにリーダーがもっているべき資質!
 ギヴァーのコミュニティーの長老たちは、下手な会社や役所の人事担当よりも、はるかに目が肥えているようです。
 結果的にその判断が、あえてもたないことを選択していた愛を含めた感情や記憶などを全住民が再びもつことになる原因になったわけですが・・・・


2019年6月22日土曜日

いま、ギヴァーの映画が無料で見られます


気に入った方は、ぜひ拡散してください。

私は2回目ですが、正直、はじめて見た時の印象よりも、かなりいいです。
1回目は、本のイメージが強すぎて、かなりガッカリでしたが、
今回は、あれをよくも1時間半にまとめたものだと感心してしまったぐらいです。

2019年5月20日月曜日

筒香嘉智の言葉「子どもは大人の顔色を窺いながら野球をしている」


変わろう、野球 

筒香が、少年野球を含めた日本球界の在り方に疑問を抱き始めたのは、2015年オフに訪れたドミニカ共和国での影響が大きい。その前年にも、以前から耳にしていた現地の様子を自分の目で見てみたいと思い立ち、現地に1週間ほど滞在。2015年には晴れてDeNAの許可も下り、ウインターリーグへの正式参加が実現した。約1か月を過ごしたカリブ海の小島で、現地の選手が伸び伸びと勝負を楽しむ姿にショックを覚えた。
「みんな野球が好きで好きでたまらないって言うんです。本当に楽しそうにプレーするし、雨で試合が中止になると本気で悔しがる。日本では試合や練習がなくなると、みんな大喜びするのに、この差は何なんだろうって思いました。
「日本では、監督やコーチが子ども達を怒るのは当たり前。教えたことをやらなかったり失敗したりすれば怒鳴り散らすから、子どもはみんな大人の顔色を窺いながら野球をしている。だから、野球教室に行っても、自分から前に出てくる子って少ないんですよ。それが、ドミニカでは正反対。子ども達が失敗しても、監督やコーチは『また次頑張ろう』って声を掛けるし、いい点を見つけて褒めている。それはみんな『次こそホームラン打ったろ』って、やる気出しますよね」
「僕は常に、自分を客観的に見る目を持つようにしています。もう1人の自分が、少し離れた場所から見ている感じ。気持ちが入り込みすぎて視野が狭くなることもある。状態を崩している時は、大概『これが、これが』と思い込みすぎていますね」
 子ども達が持つ才能が大きく開花するようにと思って始めたはずなのに、いつの間にか指導者の思い入れが強くなり、子ども達が怒られないように大人の顔色を窺いながら野球をするようになっていないだろうか。いいと思っていた指導が、実は子ども達の将来を危ぶむものになっていないだろうか。主役はプレーする選手=子ども達であり、監督やコーチ=大人ではない。
 この辺については、『遊びが学びに欠かせないわけ』に詳しく書かれています。
 プロになれるのは実は1%もいませんから、筒香選手が書いているように指導の目標がどこにあるのかも問われています。その意味では、『遊びが学びに欠かせないわけ』にあるように、コーチや大人の存在なしの、草野球的な方が、社会的スキルやライフスキルを身につけるためにもはるかにいいわけです。

ギヴァーのコミュニティーは、日本に近いのだろうか? それとも、ドミニカに近いのだろうか、とも考えてしまいます。戦争ごっこをしていたところは描かれていました。競争を煽るような競技は、子どもの数の少なさもあって、あまり行われてはいない感じです。
子どもの遊びに関する絵本でおすすめなのは、私が大好きな作家の『ウェズレーの国』です。

2019年5月17日金曜日

「働くということ」


「黒井千次氏の『働くということー実社会との出会いー』(講談社現代新書)を漫画化した『漫画 働くということ』を読んで面白かったです。中学生は読めませんでしたが、私にとってはピッタリでした」というメールを中学校で教師をしている知人からもらった。

『漫画 働くということ』をリクエストしている間に、『働くということー実社会との出会いー』に挑戦してみたが、読めなかった。自分は中学生レベル??

約2か月後に『漫画 働くということ』が借りられたので、読んだ。今度は、最後まで読めた。文字数がはるかに少ないから? 漫画が助けになったから? 読めはしたが、これというインパクトや印象はない。 「会社員」や「公務員」では物足りず、働くことの意味というか、やりがいを求め続けるが、それを確実に得ながら仕事をしている人はそうはいないのが現実。お金のために買われた時間を提供しているのであって、自己実現や自己表現として仕事に向かえている人はそうはいない。(たまたま、自分はそれ=自己実現・表現の手段としての仕事が30歳ぐらいからできてしまっているから、読む必要性を感じないのかもしれない。)

ギヴァーのコミュニティーでの仕事/職業/働くということを考えると、この本に書かれた内容とは大分違う。そもそも、12歳で自分の仕事(役割)がコミュニティーから提示されるから選択などのことも一切考える必要はない。そしてすべての仕事(役割)は、コミュニティーが必要なものであり、それによる賃金の差もない。誰もが、同じ生活の質を享受できる仕組みになっている。各人の性格や得意・不得意等を考慮して、誰がどういう仕事(役割)に就くかは、経験豊富な長老たちによって決められる。ちなみに、結婚相手や子どもも、長老たちが決定してくれる。

どちらの仕組みの方が、自己実現・表現には向いているんだろうか?

2019年4月19日金曜日

立候補者もなり手が激減!


 今回の選挙の問題点は、投票率の低下だけではありません。
 それは、立候補者が少なくなっている問題も顕著になっているようです。首長や議員のなり手がいなくなっているのです。(ある意味では、学校でクラス委員のなり手不足、管理職のなり手不足、PTA役員のなり手不足、教員の組合加盟率の低下と似ているかもしれません。というか、両者は同じコインの裏表の関係にあるのかもしれません。)
 理由は、いろいろあると思いますが・・・・総じて、オウナーシップ(「自分たちのもの」と思える意識)の希薄化が根底にありそうです。
 そうなると、立候補する人たちは奇特な人たちと言えるでしょうか?
 しかし、それでも私たち投票者の多くは、選択肢が提供されているとは思えないままですから、投票率がドンドン低下するのは必然と言えます。
 そして、無投票当選がいいことかといえば、必ずしも、そうは言えません。
 要するに、個々人の努力(立候補したり、投票したり)ではどうしようもない問題で、システムが機能していない問題の領域にすでに入っています。

 この辺についても、ギヴァーのコミュニティーから学べることがありそうです。
 そして、北欧の議会からも。日本とは違って、費やす時間があまりにも短いのです。(逆に、日本の場合はほとんど議会が機能していないのに、費やす時間が長すぎます。これ自体、膨大な税金の無駄遣い!)

 このまま行くところまで行くのを待つのか、制度が機能していないことは明らかなので、現在の制度に代わる新しいやり方を模索することに着手するかの選択肢を私たちは持っていると思うのですが、そのように捉えている人は、はたしてどれだけいるでしょうか?
 同じことは、学校や福祉制度にも言えると思います。(家族や結婚制度などにも?! この辺すべて、『ギヴァー』のテーマと言えます。)

2019年4月16日火曜日

地方議会選挙考


また、連呼がうるさい1週間が来ました。
これは、議会制民主主義が機能していない証明としか思えなくなっています。
機能していたら、これほど無駄なことをやる必要はないわけですから(膨大なお金の無駄であるだけでなく、騒音公害をまき散らしていることを当事者たちが気づいています!)。
それとも、膨大なお金を使うことが地域の活性化になっているとでもいうのでしょうか?

ぜひ、このうるさい選挙で当選した人たちに最初にしてほしいことは、次回の選挙で「今よりはマシな選挙にするためにはどうしたらいいか?」を考えてもらいたいです。(当選した人たちは、そんなことはするはずがないでしょうか? いまの制度の恩恵を受けている人たちですから。そうなると、当選しなかった人たちがやるべき??)
まともな人がやりたいとは思えず、聞かされるのも辟易している「連呼」を無くすことが、いまの議会制民主主義をより機能するものにする鍵のような気がします。
もちろん、これはすべての選挙に言えることです。

この「連呼」は、ギヴァーのコミュニティーでは考えられないことです。

2019年4月12日金曜日

いまの医療は、人を死なせない



医療の進歩によって、人をなかなか死なせなくなっています。
それは、果たしていいことなのでしょうか?
植物人間化した状態が、必要以上に長く続いています。
これは、本人にも、家族にも不幸な気がします。★
本人も、家族も、どう対処していいのか分からずに困った状態になっています。
医者は、当然、点滴や薬の投与を止めるわけにはいきませんし、家族も止めてほしいとは言えません。
本人は、もうそれが言えるような状態にありません。そして、その状態が数か月続くというわけです。★★
これは、本当に技術と医療の進歩と言えるのでしょうか?  少なくとも、ソフト面を無視したハード面のみの進歩です(ある意味で、エレベーターと同じように!)。

終末期にどう対処したらいいかは、『ギヴァー』の隠れた(大きな)テーマの一つです。
著者のロイス・ローリーが、この物語を思いついたのは両親が老人ホームに入っていた時だったそうです。一人は、からだはいたって元気なのに過去の記憶を失っており、もう一人はからだを病んでいるのに記憶は失っていないという状態を突き付けられたのでした。その結果、彼女がうみ出したのが「リリース/解放」でした!
私も、それを最初に読んだ時は「何と冷酷な!」と違和感をもちましたが、12年経ったいまになると(というか、60歳を過ぎたころからは)、「とてもいいアイディアではないか」と思いはじめています。
自分の死を選べたり、尊厳をもった死を迎えられたりするというのは、本人にとってはもちろん、家族や面倒を見る病院や介護施設の関係者にとっても、とても大切なことだと思います。
いまの日本の医療や介護は、まったくそのことを考えているとは思えません。そう言えるのは、自分自身、身近な二人の死を体感したからです。
制度というのは後からついてくるものです。大切なのは、本人がどのような死を迎えたいかです。★★★
ここ数年、そのことを考えさせられ続けています。
『ギヴァー』は、そういうことにも役立つ本です!

★ 技術の進歩でエレベーターというものができ、便利に高層ビルの上下を行ったり来たりできるようになったのですが、私たちは依然として、その中でどう振る舞ったらいいのか分からないのに似ています。でも、その時間は短いからいいのですが、この医療の進歩による生き伸ばしは、数か月の時間になります。
★★ この「死なせない」ことによって生まれているコストは膨大でもあります。
★★★ たとえば、しっかり「快復の見込みがない場合は、1週間以上の点滴はお断り」と書き残しておくとか。