前回に引き続き、『バカをつくる学校』です。
●義務教育における7つの大罪 (←第2章に相当)
タイトルは、「義務教育」になっていますが、大学も含めた強制的な学びの場の特徴を、著者は、以下の7つとしてまとめています。
① バラバラ・ブツギリ ~ 一貫性のなさ
② クラス/学年分け
③ チャイム 受動的 ~ 無関心
④ 主従の関係(権力者としての教師) 自由のない学校 ~ 感情的な依存
⑤ 指示待ち、従順、無力化(自ら考え、行動しない人間の養成所)~ 知的な依存
⑥ 通知表 ~ 自尊心を低くする
⑦ 監視、宿題、勝手な行動はさせない、画一集団
← 私たちがあまりにも当たり前にしていることばかりなので、「大罪」と言われると違和感をもたれる方もいるのではないでしょうか? 逆に言えば、それほど巧妙に浸透していると同時に、習慣化しているということです。 でも、これらは学校だけでなく、社会に広くまん延していると思いませんか? ちなみに、①は「カリキュラム」ないし「教科書」と置き換えられます。
33 1850年に使われていた5年生の算数や作文の教科書を見てみると、その内容が現在の大学レベルに相当することがわかる。学校はしきりに「基礎学力」の養成を叫んでいるが、彼らはそのために子どもを12年間も拘束し、「7つの教育方針」を叩き込んでいるのである。 → やる気になれば、100日もあれば身に付いてしまう。ひたすら学びたくなる時期を待つSudbury(サドベリー)のアプローチでは、もっと短いでしょう。
社会問題が蔓延し、私たちの生活が非人間的になり、個人や家族、地域社会の重要性が顧みられなくなったからではないだろうか。
つまり、これは中央統制がもたらした衰退である。当然、義務教育はますますエスカレートし、子どもたちを地域社会から遠ざける。彼らは子どもの教育を専門家の手に委ねることで、地域社会を崩壊させ、子どもと成熟した人間にさせないようにしているのだ。アリストテレスによれば、人は地域社会で積極的な役割を果たさない限り、健全な人間にはなれない。彼の教えが正しかったことは、学校や老人ホームを見れば明らかである。 ← 社会の様々な問題と、地域社会や家族の崩壊と、教育のやられ方には密接な関係が。ほとんどコインの裏表の関係で。
34 学校は、モデルとなる社会を支えるための体制としてつくられた。それは、支配階級を頂点とするピラミッドにおいて、大多数の人々をその従順な土台にしようとする制度である。 ← 日本の明治維新が導入した学制も、まさに同じことが言えると思う。しかし、北欧やオランダあたりの学校制度を見ると、違う可能性が見えてくる気がする。スケール(規模)の違いか? ビジョンの違いか?
35~6 隠れたカリキュラム として書かれていることは、アメリカだけでなく、今の日本にこそ言えること!!! 実際に教科書や時間割等で行われている「見えるカリキュラム」よりも、隠れたカリキュラムはそれと気がつかないうちに注入されるので恐ろしいです。
グローバル経済は、人々の真の要求に応えていない。私たちが求めているのは、やりがいのある仕事、手ごろな住宅、充実した教育、適切な医療、美しい環境、誠実で責任感のある政府、社会や文化の再生、あるいは純粋な正義である。
ところが、この国は生産性ばかりを追求し、大衆の現実とはかけ離れた生活を提案している。私はそれが明らかな間違いだと思うし、別の生き方を知っている人なら、ほとんどがそう思うはずだ。
人生の意味とは、家族や友人、自然、季節の移り変わり、ささやかな儀式、好奇心、寛容、情熱、他者への奉仕、適切な自立やプライバシーの中にある。また、自由でお金のかからない真の家族、真の友人、真の地域社会の中にある。こうした人生哲学を取り戻せば、私たちはみずからの生活に満足し、世界経済の「専門家」が提唱する物質的満足は必要なくなるだろう。 → 山田洋次さんが映画の中で追い求めてきたこと?!
2012年1月13日金曜日
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