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2013年4月30日火曜日

愛がない、形式だけ



 自治体の「子どもの見守り」放送という官製騒音公害にしても、コンビニの乱立にしても、根源にあるのはマニュアルであり、コミュニティの崩壊、という気がします。

 だからこそ、両方ともが必要だと思われ、誰も文句を言わない。

 一方的な「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「子どもが帰る時間ですから、皆さんの・・・で子どもたちを守りましょう!」と言われても、何もありがたくないし、何も存在しないのと同じ。というか、単なる雑音。心がこもっていないのがミエミエだから。

 マニュアルは、誰もがやっているつもり、つつがなく行われているつもり、にはなれますが、実態は極めて空虚です。心がこもっていないというか、愛がないというか、真の意味でのコミュニケーションはありません。それが、いくら頻繁に行われても空虚であり続けます。白々しいというか。何も、プラスにならない。マイナスにはなっても?

 この辺については、ギヴァーの世界はどうなのかと並行して、ずっと考え続けています。

 いかにマニュアルではない、形式ではない、心のこもった、愛がある、真の意味でのコミュニケーションが成り立つ、コミュニティが存在する状態を再構築できるのか、と。

 これって、「哲学」??

 コミュニケーションが図れていないというのが、ギヴァーの社会でも、日本でも大きな問題なんだと思います。それを象徴しているのが、「子どもの見守り」放送やコンビニであって、他にも例を挙げていけば切りがありません。

2013年4月26日金曜日

八島太郎



八島太郎に関して手に入るもの全部を読んでみました。その中から、2つほど紹介します。

最初は、絵本の『あまがさ』。
 『モモの子猫』でも主人公の娘さんが、ここでも主人公。
 誕生日のプレゼントにもらった「長くつとあまがさ」を使いたくて、使いたくて仕方ないのに、もらってからは天気続き。やっと雨が降って長くつとあまがさで幼稚園へ。
 モモは、「わたし、おとなのひとみたいに、まっすぐ あるかなきゃ!」と言いながら、一人でがんばって歩く。
 最後のページは、「モモが うまれてはじめて、 おとうさんやおかあさんと てをつながないで ひとりで あるいたひだったのです」でした。

 この人の絵本は、全部いいです。


 そして、こちらは野本一平著の伝記『八島太郎 ~ 日米のはざまに生きた画家』。

207 「八島のアメリカ亡命は、一日本人としての生き方を示した「明」の部分であり、これと対照的な亡命に1938年1月の演出家杉本亮吉と女優岡田嘉子の樺太脱出がある」 by 中沢啓作・映画プロデューサー

2013年4月23日火曜日

『道草いっぱい』



 みなさんは、学校からの帰りにどれくらい道草をしましたか?
 育った時代によって、その量とおもしろさは、反比例しているのではないかと思います。

 『からすたろう』で有名な「やしまたろう」の他の作品の一つに、『道草いっぱい』があります。
 その最後のページは、「私たちは帰り道で、大人になるためのさまざまなことを学ぶことができました」で結ばれています。
 いまは、その機会が奪われている!!!
 それでもって、中学校などでは「キャリア教育」と称して職場体験を一週間お遊び的にやっていますから、お笑いです。

 この絵本の紹介(解説?)を書いている山田みほ子さん(八島太郎遺作展実行委員)も、次のように書いています。
 「戦後間もない時期までは、日本各地のどこの町や村にも人々の暮らしに必要な優秀な職人さん達が必ずいて、自然と生活はリズミカルに調和し、どんな人でも生命を燃やして天職に腕を磨いていたものです」 ~ ウーン、リズミカルな調和も、生命を燃やして天職に腕を磨くこともなくなりつつあります!

 そういうのを、やしまさん自身、学校からの帰り道に見ながら、子ども時代を育ったのです。鹿児島県の小根占村(現・南大隅町)で。
 彼と奥さんは、1939年にアメリカに亡命しました。


 どこか、ジョナスのアクションと関連するところが・・・
 一方、ジョナスのコミュニティには、道草をするようなものはありそうに思えません。その意味では、いまの日本に似ている?

2013年4月22日月曜日

『今を生きる親鸞』



 親鸞は、前に紹介したことがありますが、別な人たち二人が主には対談の形で、いまの日本の状況と親鸞の教えとの関係について話している本に出会いました。タイトルは、『今を生きる親鸞』(安冨歩・本多雅人)です。
 ギヴァーとの関連を見出した部分のみの紹介です。(数字は、ページ数)

61 『歎異抄』 ~ 「愚」の自覚に立つ
69 つねに自分自身をきちんと見つめるということ、自分自身というものに絶えず立ち返るということが大事。そうでないと、人間はついつい自分の外に「正義」というものを作り出して、それにしがみついてしまうことになります。自分のあり方に対する「自覚」が大切です。それは「自分は愚かである」という痛みを伴った自覚です。しかし、自分ではけっして徹底して自覚することはできません。ですから、「見つめる」と言っても「問われる」ということでしょう。自分のあり方を否定してくるはたらきに出遭うということですね。人間が起こしてしまうさまざまな問題を通して、つねに人間そのものを見つけていったのがまさに親鸞の姿勢でしたし、私も親鸞のその姿勢からお育てをいただきました。

78 (原発)事故を通じて明らかになった醜さというのは、実は自分の中にもあるんだという気づきを示していくことが大切な対処法。
   一人ひとりが「愚」の自覚に立つということです。

89 自分が自分であるという本来の感覚ということ。それは感受するというかたちで帰ると言うか、自分が感受したものに頷くと言うか。そこに帰らせるはたらきを本願といただいてきたのです。本願は、知らしめて(自覚せしめて)帰らせるはたらきそのものです。
   つまり、各自が感受したことに基づいて行動しなさいということですね。
   感受するのは、私一人なのですが、それは今生きている私個人の問題だけには収まらない、というところに大事なポイントがあります。そうした自分の感受性が、実は長い本願の歴史のなかにあるということ、その歴史的な深まりとか重みとかいうものが、私という個人の中に与えられているというところに、救いがあると言いますか。
   私のいのちは、長い歴史を経て、今、私となって流れてきたのです。つまり過去の縁によって、すべての存在が繋がっているからです。つまり私一人は歴史的存在なのです。そのいのちは迷いのいのちであると同時に迷いの中に深い願いがはたらいていたいのちでもあるのです。苦悩とともに本願が寄り添ってきた歴史の中に私がいるのです。・・・・自分の感受性は、自分一人のものであると言えるとともに、自分一人で背負ってきたものでもありません。ですから、自分の感受性ということを考える場合、歴史全体を感受するということが非常に重要になってくるのです。 ← まさに、『ギヴァー』の中のジョナスの気づきとアクション!!

97 業によって縛られた自分は、実は無限の世界に開かれた自分でもあるわけです。だからこそ、開かれた自分の感性を大事にし、自分の言葉をもつことが大事になってくると思うのです。自分のパイプを通すっていうのは(親鸞がどうやって自分のパイプを通したかと言えば、「機」の問題を通じてです。つまり「機の深信」という、自分自身を深く信知することです)、一人の自分と無限の世界とを繋ぐということなのですから。
   そう、言葉なんですよ、大切なのは。親鸞にとって「機の深信」の徹底とは、決して自分の世界にこもることではなかった。「愚」であるという自覚は、むしろ絶えず新しい言葉を紡ぎながら生きていくという生き方に繋がるものなのです。 ← この辺も、ジョナスの選択?

2013年4月17日水曜日

子どもの見守り放送



日常生活では、あまり意識しないことかもしれませんが、ひょっとしたら目に入ってくるものと同じレベルで大切なのかもしれない、と思います。
もう20年以上前になりますが、「サウンドスケープ(音の風景)」が脚光を浴びた時期がありました。★

 ウィキペディアの「市町村防災行政無線」の項目に、以下のような記述があります。
  
とりわけ近年、「子どもの見守り放送」等の防犯目的の定時放送が、①「子供のため」「安全・安心のため」という大義名分のため表立って反対しにくくクレームが少ないことから、多くの自治体で濫用される傾向にある。防災無線はその名の通りあくまで防災のための緊急設備であり、②騒音被害の発生が避けられないこと、③放送が市民生活の統制に繋がること、また、④「この地域では犯罪が多いから子供を見守ろう」というアピールが果たして実情に沿っているか、⑤そうした文言を毎日聞かされることが当の子供や市民の精神面にどのような影響を及ぼすか等について、慎重に検討する必要があろう。

と5つの問題点を指摘してくれています。

 学校があるときに、あれを流すことの+面と-面を検討したうえで、流し続けているとはとても思えません。★★
 まずもって、あれを聞いて、見守りに外にでる人はいるでしょうか?
 要するには、事故が起きたときに、市民から行政は何をしていたんだ、と言われたときに「ちゃんと対策は講じていました」と言えるためにしているだけなのです。これについては、お金はかからないで、騒音公害を撒き散らしているだけですが、各学校に警備員を配置している方は、膨大の予算を注ぎ込んでいます。
 ぜひ、この「子どもの見守り」対策は、その事業の費用と効果をしっかりと検証したうえで、ゼロから考え直してもらいたいものです。なにしろ、日々の問題なので。
  

★ このキーワードで検索してみてください。おもしろい本がみつかります。私は、『平安京 音の宇宙 ~ サウンドスケープへの旅』というのを見つけてしまいました。早速、読んでみようと思いました。『サウンド・エデュケーション』(R・マリー・シェーファー著)というのもあるぐらいです。

★★ 流している自治体の職員や政治家たちは、これが聞こえるようなところにはいませんから、まったく問題点は把握していないでしょう。(ためしに、市長、全議員、担当部局に連絡をしてみましたが、問題視している人は一人もいませんでした。①の大義名分は反対のしようがないと判断しているようです。自分がやめる提案をして、万が一、事故が起きた時は取り返しがつきませんし。
立場の違い(単に、毎日この「官製騒音公害」を耳にするかしないかの違いです)が、「羅生門」現象を生み出している典型例です。
 費用に関しては、自分のポケットからなくなるものではないので、これまた気にする人はいません。困ったものです。
効果のないものに、あえて無駄遣いをし続ける感覚が。
そして、勇気を持って、その無駄に対して代替案を提示できない能力のなさが。

2013年4月11日木曜日

『子どもの文化人類学』 6



原さんの本の最終回です。

201 日本に帰って来て、まわりを見まわしたとき、子どもも、青年も、「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになりました・・・・日本でも職人の世界では、「自分で覚える」ということを大事にしていたようです。
  幼児に「自分で覚える喜び」を深く体験している子どもだったら、中学や高校のカリキュラムに押されそうになる生活の中にあっても、自分の世界を築く自身を失わない十代を過ごし得るのではないでしょうか。
  そのためには、「よく観て」、「自分でやってみる」という時間が必要です。そしておとなの側に、それを待ってやるゆとりが必要であるように思われます。

204 人間の子どもというものは、どんな社会に生まれようと非常に幅広い可能性を内包しながら成長する力をもっていることが実感として迫ってまいります。大人は子どもが自ら育ってゆく力を信じて手を貸してあげられるだけなのではないかと思われます。
  どんな子どもでも、その子ども一人にしかそなわっていない面白さや悩みや才能があって、それらの特性が子どもの人生のどの時期にどのような形で本人によって体験されるかは、親ですら、担任の先生ですらはかり知ることのできないもののようです。それなのに大人の側で、あまりにも強力な鋳型にはめようとすると、どこかに無理が生じます。一人ひとりの大人としては、子どもたちに、「自分はこうやって生きているんだ」ということを見てもらう以外ないのかもしれません。 →  じゃ、ヘヤー・インディアンに学んだことを全部取り入れるの? あるいは、『ギヴァー』の中でされていることは、やはり極めて陳腐なやり方としか言えないの? 12歳の儀式に至るプロセスのこと。
205 私自身の子育ては、私にとって一番無理なく楽しいやり方でいくしかありません。ですから、息子は私に育てられることによって生ずる歪みも妙味も、もろに体験しているだろうと思います。 ← これに関連して、鶴見俊輔さんが繰り返しいろいろな本で書いている母親からの愛情=折檻=児童虐待的なものも含めて??

 日本の社会と比較して、ギヴァーのコミュニティはいかにヘヤー・インディアンの社会に近いか、と思った。
原さんは日本の親子関係を含めて、学ぶ-教えるの関係にも警笛を鳴らしている。ヘヤー・インディアンのあり方こそ省みられるべきではないか、と。
でも、それは日本では縄文時代にあったこと? あるいは、江戸や明治、昭和も戦後すぐぐらいまでの時代に。(ある意味で、全国の商店街の衰退と深くかかわる問題?!)

2013年4月10日水曜日

首相、教科書検定制度を批判 見直し検討を示唆



 今日のニュースから。

 いよいよ、自分が本来やりたかったことに、手をつけ始めました。

 安倍晋三首相は10日の衆院予算委員会で、「(教科書の)検定基準に改正教育基本法の精神が生かされていない」と指摘し、教科書検定制度の見直しを検討する考えを示した。
2006年、第1次安倍内閣のとき教育基本法が改正され、「日本の伝統と文化を尊重」「愛国心、郷土愛」などが教育の目的として盛り込まれた。首相はこの日、「検定官自身にその認識が無いのではないか。初等・中等の段階で、日本人としての誇りや自信を持つことが教育の基本だ」と話した。
下村博文文部科学相も、3月に発表された2014年度に使う高校教科書の検定結果について「残念ながら新しい学習指導要領にのっとった教科書記述になっていない部分がある」と批判。その上で「日本に生まれて良かったと思える歴史認識を教科書に書き込むことは大変重要だ」と述べた。日本維新の会の中山成彬氏への答弁。
以上は、新聞の記事そのままです。

 前回の首相の時の遺産(というよりは、改悪?)の一つが、この教育基本法ですし、もう一つが、何の役にも立っておらず、無駄な時間とお金を浪費しているだけの教員免許更新制でした。

 「美しい国・日本」を声高に言うなら、まずは、道を歩いて、タバコの吸殻を拾うところからはじめてほしいと思いますし、目にきわめて優しくない日本の建築物や看板類をなんとかしてほしいです。それが、政治家としての優先事項ですから。そして、人の心の中になど入り込めるわけがないのですから(それができるときは、「洗脳」といいます)。

 そういえば、教科書検定自体が、ある意味で洗脳の手段と位置づけられていますね(それも戦前から。イヤ、学制がスタートした時から?)。それで教わる子どもたちの多くは、学ぶことが嫌いになっています。うさんくさい正解をテストのために暗記して、テストが終わったら忘れることを繰り返しやらされるのですから(もちろん、教える教師たちだって好きにはなれないでしょう)。

 こういう愚かなこと、『ギヴァー』のコミュニティではおこっていると思いますか?

2013年4月9日火曜日

『子どもの文化人類学』 5



 原ひろ子さんの本が続いています。

175 「教えていただく」姿勢が先方に伝わり「教えよう」という態度を引き出し、いい情報がもらえてきた。しかし、それがまったく通じないヘヤー・インディアンの社会。
 「教えよう・教えられよう」という概念自体が存在しない。

 日本や、アメリカなどでは、「人が人から教えられる」ということと、「人が人に教える」ということが可能だと考えられ、かつ、必要であると信じられているのです。
 私は、「教えよう・教えられよう」とする意識的行動は、人類に普遍のものだと考えていました。ところが、ヘヤー・インディアンの人々とつき合ってみて、この考えを修正するにいたりました。そして、「学ぼう」とする意識的行動は人類に普遍的といえるが、「教えよう・教えられよう」とする行動は、絶対普遍のものではないと考えたくなってきたのです。さらに、現代の日本を見るとき、「教えよう・教えられよう」という意識的行動が氾濫しすぎていて、成長する子どもや、私たち大人の「学ぼう」とする態度までが押さえつけられている傾向があるのではないかしらという疑いをもつようになりました。

180 「自分で観察し、やってみて、自分で修正する」ことによって「○○をおぼえる」のです。 ← これは、『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』そのものじゃない!!
あれの原本が出版されたのは、1991年。日本語訳は1993年。原さんの本が出たのは、1979年。雑誌に連載されたのは1973年。しかし、後に出てくるように「師弟関係」ではありません→ 22~23ページも

182 「人に教える」ということは、ヘヤー・インディアン文化の概念の体系のなかには含まれていないのです。したがって、「教え方の上手・下手」などを評価しようということもありません。ただ、ものをおぼえる側の「おぼえ方の上手・下手」があるだけです。しかも、「おぼえ方」を教えるものはいないのですから、「自分でおぼえる」以外には、ものごとを修得する道はないのです。
183 ヘヤー社会には「師弟関係」というものも成立しません。「師弟関係」が成立するには、第一の条件として、当事者たちが、「教える・教えられる」という行動が存在することを、意識していることが必要です。さらに、第二の条件として、「教える者」と「教えられる者」の間に相互に期待される意識や行動に関して約束ごとをもっていることが必要です。
 → 『ギヴァー』に登場するさまざまな関係は、ヘヤー・インディアンの社会と日本に比べたら、どちらに近いと思われますか?

187 「自分でおぼえたのさ」の根拠が整理されている。
    「自分で(守護霊の指示のもとに)おぼえる」以外はないのです。
    ヘヤー文化の基盤には、「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっているのです。ここでは、親といえども子に対して指示したり命令したりすることはできない、と考えられているのです。人間に対して指示を与えることのできる者は、守護霊だけなのです。 → 守護霊については、や3を参照。

2013年4月8日月曜日

『子どもの文化人類学』 4



101 藤本広之輔氏によると、1955~60年ごろから、4,5年の年齢の幅のある遊び仲間が全国的に消滅してきたようだといわれています。それと同時に、野山での遊び方の伝承が途絶えるはめに陥っているということです。 ← 私の小学校時代(=1960~65年ぐらい)は、この異年齢の遊びを学校から帰って、ほぼ毎日やってました!

113 しつけの違い。「母子べったり」ということもあり得ない。周りのおとなが面倒を見合う関係。

121~6 イスラエルのキブツ → そういえば、ありました!! 私が大学・大学院時代は、結構もてはやされていました。「理想のコミュニティ」のあり方のひとつとして。いまは、トンと聞かなくなっています。(単純に、大学・大学院はアメリカだったから=日本ではなかったから、かもしれません。)まだ、存在してるのかな? キブツとギヴァーのコミュニティと似たとこや違いを、比較するのもおもしろいかも!!
キブツの人口はイスラエル全体の7%を超えたことがない。しかし、イスラエル人にとっても、外国人にとっても、他のどのような施設にもまして、キブツはイスラエルを象徴するものとなった。現在、国境地域を中心に約270のキブツが存在し、それぞれのキブツの構成員は100-1000人、総人口は約10万人(2010)。 ~ 以上は、Wikipediaからの情報です。

153~165 アメリカは離婚社会  → それが、いまや日本にも。でも、男親のかかわり方は日本の場合は違うような気がしないではない。女親が苦労し過ぎている感じ。 ギヴァーのコミュニティでは、あるのかな??? あり得ない? 責任放棄で、リリースされちゃったりして。

2013年4月6日土曜日

『子どもの文化人類学』 3



60 日本の本州の半分くらいの面積の土地に、350人。そのうち、0~10歳未満の子どもは、1962年の時点で、104人。30箇所以上に分散して、移動のテント生活をしている。 ~ わずか350人! 『ギヴァー』のコミュニティですら、3500人

62 父も、母も、そして子どもも、それぞれが気の合う仲間を求めている。
63 しかし、長続きすることはない。人間関係で我慢することをしない人たち。できない人たち。
65 チームで狩りをするのも、せいぜい10日ぐらい。

68 ヘヤー・インディアンの生活は、「はたらく」「あそぶ」「やすむ」に分かれており、「やすむ」ことが、最も大切なこととされているのです。守護霊との交信の時間。
 「育児」は、「あそぶ」に含まれる。
 「はたらく」ことよりも、「あそぶ」ことの方が楽しい。 ~ オーストラリアもそう。世界には「あそぶ」ことに優先を置いている人たちの方が多いのでは? 日本などが、特殊! 「はたらく」ことや「勉強する」ことにしか、生きがいというか、やりがいを感じられなくしている社会。 『ギヴァー』のコミュニティは??

70 ヘヤー・インディアンは、赤ん坊に対してさえも、「一個の独立した人格」として接しています。しかもその子どもの運命や将来は、その子自身できりひらくものであって、育て方によってその子の将来が決まるのだといった考え方をしないのですから、気楽なものです。 ← ある意味で、血縁関係にない『ギヴァー』のコミュニティもこれに近い?
71 表現をかえるならば、ヘヤー・インディアンは子どもたちの生態を観察することによって、人間について学んでいるのだともいえそうです。日本人の親の中には、「自分の子は、こうあってほしい」という願いが強いあまりに、かえって自分の子どものありのままの姿が見えなくなっている人があるといわれます。そういう意味では、子どもたちをあるがままに見ることの達人、ヘヤー・インディアンに学ぶべきとかもしれません。 → ギヴァーの場合は? 観察は長老たちが責任を持ってやっている??
72 おとなは子どもに対して、ひじょうに謙虚であるのです。そして対等なのですから、子どもに対して、へつらうこともありません。

79 子どもを生んだか生まなかったかということを超越して、気軽に養子をやりとりするヘヤー族の社会では、家族計画の思想や技術が導入されたとしても、「親となるか、ならないか」といったような決断は、人生に関係ない事項であるといえましょう。 ← 350人の数では、それは必然的にやらざるを得ないことでもある?

81 “良い仕事”と“悪い仕事”の区別は厳しく、だれかが何かを作ると、まわりの人間すべてが批評家となり、冗談の中に皮肉をまじえて酷評したり、からかい半分に称賛したりします。彼らは、直接にあからさまにほめたりくさしたりしない人びとで、ひねりにひねった表現で心をあらわすのです。 → 句会
82 5,6歳の子どもたちの間でも、“良い仕事”をしようという気持ちがたいへん強く、おとなやまわりの子どもたちの批評にもとても敏感です。
  ドンドン試して、いいものをつくっていく練習をし続ける子どもたち
83~4 自然のものがおもちゃ  → 日本もかつてはそうだった!! ギヴァーは? ぬいぐるみや戦争ごっこぐらいしか描かれていなかった? 他にも、幼稚園での遊びやアッシャーにまつわることでも紹介されていた? でも、遊びに関しては、日本並みでちょっと貧困な感じ。

2013年4月5日金曜日

『子どもの文化人類学』 2



 原さんの本の続きです。

26 厳しい極寒での生活の中で、自分の肉体と心のあり方がいろいろとわかるのだといいます。
   もうひとつ、“飢え”によっても、肉体と心を統合した“自分”を知ることができるのだと、ヘヤ―・インディアンはいいます。 
26~31 に書かれていること(誰が食べて、誰はがまんしているのか、待っている人たちは何をしているのか等)は、ジーン・クレイグヘッド・ジョージの『狼とくらした少女ジュリー』で描かれている狼の家族そのもの!!!

32~6 死  ~ この部分は、かなりギヴァーの死につながる部分が・・・、星野道夫氏が紹介してくれていたエスキモーたちの葬式も。

42,3 お手伝いも、“商業行為”のイスラム(インドネシア・ジャカルタのスラム街)の子どもたち。 独立独歩の子どもたち。

  ジャカルタ・アスリの場合は、ヘヤー・インディアンとは別の意味で、「人が一人で生きている」のだといえましょう。ジャカルタ・アスリも、人にむかって「ああしなさい、こうしたらどうか」といった命令や助言をしません。ものごとは一人ひとりが自分の責任で決めるものなのですから、他の個人の世界に入りこむことを避けるのです。そして自分の選択した結果が良く出るか悪く出るかは、アラーのおぼしめししだいだと考えているのです。
  ヘヤー・インディアンの場合は、人は守護霊とかけ引きしたり、つき合いをしたりするので、守護霊は「絶対者」ではありません。

53 養子が普通のこと同じように受け入れられる  → ギヴァー
54 子どもという道化役者の存在の大切さ → 56 日々の慰めでもあり、老後の生活のたすけでもあるのです。
56 生みの父と母は明確に → 57 その理由
57 1) 近親相姦がタブー (350人のコミュニティだから、なおさら)
2)       妊娠したら家族に知らせなければならない。そうしないと、家族に不幸が。
3)       自分を葬ってくれる人たちだから
  儀礼的な関係は、養子にいった子どもでも、生みの父母に対して一生持続するわけです。養父母とは、日常生活でたすけ合うのが主で、儀礼的な関係はほとんどありません。

58 養子と同じように、家出っ子もいる。
   350人のコミュニティの中に、1961年9月の時点で、24人の養子と数人の家出っ子だった。 → 『ギヴァー』のコミュニティで、家出っ子はあり得るかな?
   独立した人生をあゆむヘヤー・インディアンたち ~ 「自分が生んだり、育てたりしている子どもでも、はじめから独立の人格をもち、おとなの側からはどうにもならない守護霊とのつき合いで生きているのだ」という認識があって、個人の独立の人生を尊重する態度が、基本になっているのではないかと思います。

2013年4月4日木曜日

『ギヴァー』と関連のある本 92


  今日、紹介するのは『子どもの文化人類学』原ひろ子著です。

 この本は、1979年に出た本ですが、内容はまったく古くなっていません。時がたつにつれて、新しくなっているといったほうがいいぐらいかもしれません。
 著者が、1959年から64年にかけてアメリカ留学中の間に行ったフィールドワークをベースに書かれたものの一冊です。主な対象は、カナダの北西部の極北地帯から南西部にかけて先住する狩猟民のヘヤー・インディアンです。その人たちについて、以下のようなことを書いています(数字は、ページ数)。常にあったのは日本との比較です。

17 日本では、親の仕事を知らない子どもたちが増えている
20 「自分がほんとうに何をしたいのか分からない」大学生が増えている日本。
  それに対して、見よう見まねで、生活に必要なことを学び取っていくヘヤー・インディアンの子どもたち。「ああ、素晴らしいなあ、あんなことがしてみたいなあ。大きくなったらあんなになりたいなあ」と思えるモデルがあるヘヤー・インディアンのコミュニティと、それがテレビからしか流されない日本。
21 親たちがサラリーマン化してしまって、仕事の場と生活の場の分断。→ モデルが見えない! それに対して、『ギヴァー』のコミュニティでは結構モデルを大切にしていましたね。しかも、10歳ぐらいからは準備をし始めて、12歳で自分の仕事が決まってしまいました。
22 ヘヤー・インディアンの社会では、1960年当時、人々は狩猟採集民になるみちしかなく、それが当然でした。7歳ぐらいの男の子は、すでに自分が良い猟師になるのだということを自覚し、そのための腕を磨きはじめていました。女の子も、たくさんのウサギをわなにかけ、上手にムースの皮をなめすおとなになりたいと願いながら、自ら修練を積んでいました。そして、子どもや青年が自信に満ちて生きいきとしていました。
 それは、あれこれと職業を選ぶ必要がないという社会であるがための救いであったのか。それとも、子どもたちが、自ら設定する目標に向かって、それぞれ自分のペースで、能力を磨き、自分を試すことができているために生じた状況であったのか。それとも、他に原因があるのか。一人ひとりのヘヤーの若者や子どもたちの顔が私の瞼にちらつくとき、こういった疑問が心の中を去来します。

23 ヘヤーの子どもは、狩猟の名人といわれる人の姿に身近に接することができる一方、まだ修行中で、失敗を重ねながら猟師の生活を送っている若者とも友だちになっています。子どもが大きくなって、こんどは自分で猟をする番になったとき、ちょっと失敗したくらいで挫折したりはしません。つまり、成功しているテレビ・スターだけに憧れることになりやすい状況、成功してよい住宅に暮らしている人に憧れることになりやすい状況とは異なり、ヘヤーの子どもたちの前にはさまざまなお手本が提示されているのです。
 日本では準備から完成までのプロセスに子どもが機会をおとなが意識的につくる努力が、ますます必要な時代にはいってきているのかもしれません。

 この辺、『ギヴァー』の仕事、教育、子どもを育てるとは(フィリップ・アリエの『<子供>の誕生』も要チェック)などと大きく関連するところです。ある意味で、ちょうどヘヤー・インディアンと日本の中間ぐらいで、うまくやっている感じかな?


2013年4月2日火曜日

鳥の視点、アリの視点



司馬さんは俯瞰的見方だけをする人ではありませんでした。
それを証明してくれているのが、『人斬り以蔵』(に代表される「新選組」もの)や『草原の記』や『ひとびとの跫音』です。(と、鶴見俊輔さんが、『司馬遼太郎の流儀 ~ その人と文学』の中で強調してくれていました。)
 『草原の記』と『ひとびとの跫音』は、数ある司馬さんの作品の中で、私にとっても特に好きな本の2つでした。

56 司馬さんは暴力はそんなに好きな人ではないのですが、どうして人斬り以蔵が好きなのか。この作品で、人斬り以蔵というのは身分が低いのです。理論家・武市半平太とは同じ獄につながれているが、武市は上司ですから向こうのほうにあかりが見えるのです。岡田以蔵が調べられる直前に、武市が差し入れを送るのです。毒が入っているのです。この毒を飲んで死ねという意図を見て岡田以蔵がことわる。手紙を破り捨ててしまう。そして、白洲で、「申し上げます。自分が殺したのです」といって、どうして殺したかもきちんというのです。★
 そのとき岡田以蔵にはある選択があった。彼は上士のあかりをジッと見ている。彼は身分の低い者として牢屋に入って、殺される直前でも身分の違いがある。これに対して反抗する。自分が殺した、どのようにして殺し方をいう。ということで武市半平太も殺されるのですが、勤皇党全部がやられる。
 岡田以蔵その選択がある。人間はどんなところにいっても個人で選ぶことができる。新選組の一人ひとり、近藤勇も土方も選んだ。土方も農民出身です。自分は武士としての道を選んだから、そのようにして終わりまでいく。
 司馬さんがなぜ新選組をこんなに好きで、人斬り以蔵をこんなに好きかというと、そのところを書きたかった。どこにいっても、個人は、岐路に立って選ぶことができる、ということなのです。自分の意志によって生きることができる。

65 『ひとびとの跫音』は、ノモンハンででたらめなことを(軍部が)やっているときの、泥の時代に二人がどのように生きたか。この二人にはそれぞれの選択があった。岡田以蔵さえ、彼は自分で選んだ。西沢タカジも正岡忠三郎も自分で選んだ。それを書いたのです。

 この辺、自分で考え、そして選んで行動したジョナスに通じる部分がありますね。

 『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』のテーマだった、死の加害者意識も司馬さんは描いてくれていたでしょうか?


★ この辺のことは、福山君主演のドラマ「龍馬伝」では、その饅頭を佐藤健君演じる岡田以蔵は食べて死んだように記憶しています。司馬さんのメッセージとは、大違いです。