15では、長谷川眞理子さんの『生き物をめぐる4つの「なぜ」』と『ダーウィンの足跡を訪ねて』(両方とも集英社新書)を紹介しましたが、その後病み付きになって、チャールズ・ダーウィンに関連するものを中心に、長谷川さん推薦の本を読んでいます。
中でもおもしろかったのは、
・『世界のたね』(アイリック・ニュート著)
・『ダーウィンが信じた道』(エイドリアン・デズモンド&ジェイムズ・ムーア著
(両方とも日本放送出版協会)
前者は、人類の科学の歴史(真理を追い求める物語)をとてもわかりやすく紹介してくれている本です。
後者は、チャールズ・ダーウィンに絞った本ですが、彼の研究や行動の動機に迫っている本です。なんと、奴隷制をなくすことだったというのです。
『ダーウィンのミミズの研究』(新妻昭夫作、福音館書店)とダーウィンの伝記映画『Creation』も、ダーウィンの性格の一面をよく表しているようでおもしろかったです。
2010年3月12日金曜日
2010年3月11日木曜日
コミュニティについて
スウェーデンの例を紹介します。
オレブロという、人口が128,977人(2006年、国内第7位)の市についてです。
私はこの街を、1995年と2001年の2回訪ねています。
2回目は、ちょうど9月11日をはさんででした。
スウェーデン人たちのあの事件に対する見方が、日本人やましてや当事者のアメリカ人たちとはまったく違うのに驚きもしました。(このことも紹介したいのですが、テーマがずれてしまうので、またの機会に。)
オレブロ内部のことについて紹介する前に、スウェーデン全体のことについて。
1960年代から80年代にかけて、強固な福祉国家をつくりあげました。(それをモデルにしたいと思っている、日本人も少なくないと思います。)しかし、それが人々の自立性を奪う結果も招きました。
例えば、1940年には20万人もいた地方政治家が、75年には4万5千人に減っています。1800年代には2000以上あった自治体も、今は290に減っています。(95年の段階から10ぐらい増えています。)
保守的な考えを持っている人は、個人の自由な決定に任せる方法(つまり、民営化)を主張し、それに対して、社民党は市民の参加・協力をもとに行政が計画を立てる方法を主張しています。基本的に、男性や高齢者は前者を、女性と若者は後者を支持する傾向があるようです。
オレブロ市は、1983年に他の大きな都市にさきがけて市の権限委譲を15の区を設けることによって実施しました。「それは、いい決定だったが、十分ではなかった」とある市議はいいました。すべての権限が区レベルに降ろされなかったので、当初15あった区の一つが不満を訴え、91年に市から“独立”して固有の自治体となることを選択したのです。
目標は、できるだけ多くのオレブロ市民を意思決定のプロセスに参加してもらうようにすることだが、「現状では、<まだこの程度でよし>とする議員と、<まだまだ不十分>と思っている一部の市民とのギャップは大きい」と言わざるを得ないようです。
ティスリンゲ(Tysslinge)は、オレブロ市にある14の行政区のうちの一つです。
人口は、5300人で、ジョナスのコミュニティの1.5倍の規模です。
区の事務所に与えられている権限は、義務教育、保育園、高齢者福祉、青少年センター、公園などの余暇活動、文化施設としての図書館、貧困(失業中の)家庭への社会福祉、道路の維持管理、都市計画・環境です。
市・長・村(行政地域)の規模は、永遠の課題なのですが、少なくともスウェーデンの事例を国、そして一地方都市のレベルで見ると、約200年かけて数を減らす方向に振り子が触れた後、すでに数を増やす方(というよりは、市民が主体的な意思決定のプロセスに参加する方向)に振り子が戻りつつあることは確かのようです。
オレブロという、人口が128,977人(2006年、国内第7位)の市についてです。
私はこの街を、1995年と2001年の2回訪ねています。
2回目は、ちょうど9月11日をはさんででした。
スウェーデン人たちのあの事件に対する見方が、日本人やましてや当事者のアメリカ人たちとはまったく違うのに驚きもしました。(このことも紹介したいのですが、テーマがずれてしまうので、またの機会に。)
オレブロ内部のことについて紹介する前に、スウェーデン全体のことについて。
1960年代から80年代にかけて、強固な福祉国家をつくりあげました。(それをモデルにしたいと思っている、日本人も少なくないと思います。)しかし、それが人々の自立性を奪う結果も招きました。
例えば、1940年には20万人もいた地方政治家が、75年には4万5千人に減っています。1800年代には2000以上あった自治体も、今は290に減っています。(95年の段階から10ぐらい増えています。)
保守的な考えを持っている人は、個人の自由な決定に任せる方法(つまり、民営化)を主張し、それに対して、社民党は市民の参加・協力をもとに行政が計画を立てる方法を主張しています。基本的に、男性や高齢者は前者を、女性と若者は後者を支持する傾向があるようです。
オレブロ市は、1983年に他の大きな都市にさきがけて市の権限委譲を15の区を設けることによって実施しました。「それは、いい決定だったが、十分ではなかった」とある市議はいいました。すべての権限が区レベルに降ろされなかったので、当初15あった区の一つが不満を訴え、91年に市から“独立”して固有の自治体となることを選択したのです。
目標は、できるだけ多くのオレブロ市民を意思決定のプロセスに参加してもらうようにすることだが、「現状では、<まだこの程度でよし>とする議員と、<まだまだ不十分>と思っている一部の市民とのギャップは大きい」と言わざるを得ないようです。
ティスリンゲ(Tysslinge)は、オレブロ市にある14の行政区のうちの一つです。
人口は、5300人で、ジョナスのコミュニティの1.5倍の規模です。
区の事務所に与えられている権限は、義務教育、保育園、高齢者福祉、青少年センター、公園などの余暇活動、文化施設としての図書館、貧困(失業中の)家庭への社会福祉、道路の維持管理、都市計画・環境です。
市・長・村(行政地域)の規模は、永遠の課題なのですが、少なくともスウェーデンの事例を国、そして一地方都市のレベルで見ると、約200年かけて数を減らす方向に振り子が触れた後、すでに数を増やす方(というよりは、市民が主体的な意思決定のプロセスに参加する方向)に振り子が戻りつつあることは確かのようです。
2010年3月9日火曜日
ジョナスの住むコミュニティの規模
去年の10月17日に出したクイズ:
ジョナスが住むコミュニティの規模(人口)はどのぐらいだと思われますか?
の答えです。
それは、18ページと59ページを注意して読むと書いてあります。
「各年齢のグループには、誰も解放されなければつねに50人の子どもがいた」
「毎年、<儀式>にはコミュニティの全員が参列した」
いいところ、50人×70才=3500人ぐらいの感じなわけです。
日本には現在、187の村と、783の町と、785の市があります。
このうち、3500人より少ないのは、村が79村、町が45町あります。
市の最低人口は、4486人です。
(しかし、町の最大人口は51539人、村の最大人口は53944人で、市の最低人口をはるかに上回っています。町や村でい続けるメリットが何かあるのでしょう。)
10年前ぐらい前は、3000以上の自治体がありましたが、国が音頭を取って、市町村合併が行われて、数が半分に減りました。ということは、確実に規模は大きくなった自治体がほとんであることを意味します。
それは、市民・町民・村民にとって果たしていいことだったのでしょうか?
ジョナスが住むコミュニティの規模(人口)はどのぐらいだと思われますか?
の答えです。
それは、18ページと59ページを注意して読むと書いてあります。
「各年齢のグループには、誰も解放されなければつねに50人の子どもがいた」
「毎年、<儀式>にはコミュニティの全員が参列した」
いいところ、50人×70才=3500人ぐらいの感じなわけです。
日本には現在、187の村と、783の町と、785の市があります。
このうち、3500人より少ないのは、村が79村、町が45町あります。
市の最低人口は、4486人です。
(しかし、町の最大人口は51539人、村の最大人口は53944人で、市の最低人口をはるかに上回っています。町や村でい続けるメリットが何かあるのでしょう。)
10年前ぐらい前は、3000以上の自治体がありましたが、国が音頭を取って、市町村合併が行われて、数が半分に減りました。ということは、確実に規模は大きくなった自治体がほとんであることを意味します。
それは、市民・町民・村民にとって果たしていいことだったのでしょうか?
2010年3月7日日曜日
『ギヴァー』と関連のある本 16 の続き
「数学的構え」が身についているかをチェックする項目:
1.宝くじを買う。とくに、ジャンボ宝くじはかならず買う。(Yes, No)
2.献立を思いつかなくて、スーパーでうろうろする。(Yes, No)
3.テレビで紹介された健康法はかならず試して、たいてい3日坊主で終わる。(Yes, No)
4.「なぜ?」と聞くと、「うるさい」と答える。(Yes, No)
5.安い、と評判のスーパーまで遠出をして、疲れて外食して帰ってくる。(Yes, No)
6.ゴールデンウィークに入ってから突然どこかに行くことを思いつく。そして、渋滞に巻き込まれる。(Yes, No)
7.ベストセラーに出てくるフレーズを使って説教をする。(Yes, No)
8.映画を見ると泣いているか、寝ているかのどちらかだ。(Yes, No)
9.1年前にはまっていたことを思い出せない。(Yes, No)
10.貯金がない。(Yes, No)
57 人間の「社会」は太古からありますが、それに「社会」という名前がついたのは、そう古い話ではありません。けれども、「社会」という名前がついたとき、いままで見えていたものとは別のものが見えてくる、概念には、そういう働きがあります。 (他の例としては、「権利」「情報」「リスク」「未来」など)
見えない抽象的なものを見る方法は、禅や詩などほかにも方法があるでしょう。けれども、見えないものを見て、それを誤解なくどの文化に属する人とも共有する、ということになると、それは論理であり数学なのだろうと思います。
見えないものについて「だから」「どうして」「どうなる」か、を考える力は、毎日の暮らしにさほど重要ではないように見えます。だから、そんな訓練を進んでしようという人は多くないでしょう。けれども、みえないものについて、「だから」「どうして」「どうなる」を考えることができなければ、この社会で幸せになれる確率は相当に低いのです。それは、現代社会が、情報量と選択肢の多い民主主義社会だからです。
58 見えないものについて「だから」「どうして」「どうなる」を論理的に考え、そこにリアルを感じるための別の目を獲得する、その訓練をする時間が、数学の時間なのです。
61 論理的に考える習慣ができている = 数学的な構えができている
数学の捉え方が、多少は変わりましたか?
小学校の低学年から、ここで紹介したような視点でやってほしいものです。
2010年3月6日土曜日
『ギヴァー』と関連のある本 16
前回は、理科との関連を紹介しましたが、今回は算数・数学との関連です。
紹介する本は、『生き抜くための数学入門』(新井紀子著、理論社)
以下、ちょっと長いですが、そのまま引用します。(数字は、ページ数です。)
7 正直に言うと、私は算数も数学もあんまり得意ではありませんでした。
というか、学校で習った科目のうち、一番苦手で一番きらいだったのが、数学なのです。
どれくらいきらいか、というと。
ピーマンよりも、カメムシよりも、校庭10周マラソンよりも、数学がきらい。
数学なんか、この世からなくなったらいい。
数学の授業の何が一番いやかって、それは、例題を見ながら練習問題をまちがえずにたくさん解かないといけない、っていうところ。練習問題をたくさん解いていると、自分が機械になっちゃったような気がするんだもの。そして計算まちがいをして×がつくと、不良品になった感じがするんだもの。
ふん! 数学ができるからって、えばるなよ。べつに因数分解ができたからって、図形の補助線をうまく引けたからって、そんなことちっともえらくない。幸せとは全然関係ないじゃん。
そう思ってました。
いまふりかえって考えるに、数学がきらい、というよりも、数学がこわかったんだな。「あなたはだめです。失格」って、数学に宣言されちゃうのが、こわかったんだろうと思います。
9 いまだに学校の数学は苦手です。
なぜ、学校の数学は苦手なのに、数学者なのか。どうして数学はきらいなのに、数学の本を書くのか。それは、たぶん、学校の数学に変わってもらいたい、と思っているからかもしれません。あのさ、数学のための数学じゃなくて、芸術のための数学でもなくて、子どもがハッピーな大人になるために学校でどうしても習う必要があるような数学になろうよ、って。
10 問1: 円周率とは何でしょう?
まずは「円周率とは、・・・です」という定義をかいてください。そして、その定義にもとづいて、円周率が3.から始まる理由を論理的に説明してみましょう。
問2: 正解者が1割に満たなかったグループは?
1 中学1年
2 有名高校1年
3 有名大学1年
4 霞ヶ関の高級官僚
5 新聞社の記者
答えは、全部。
18 困るのは、こういう問題を聞かれたときに、何をどうしたらいいかわからなくなって、非論理的なこと。円周率がなんであるかを理論する前に、「円周率が3になったら、子どもが全員バカになる」なんていってしまうことなんです。
19 日本人は、どうも「とは」と「なぜ」の力を、学校でも社会でもちゃんときたえていないらしい。
この問題を解けない人が悪いのではないのです。この問題を見てうろたえないような教育を学校でしてないから、こういうことになっちゃったんです。
21 「島とは何か」 ~ 領土問題
24 暴力は避けたい。だけど、自分の主張も通したい。自分のたいせつなものは、ちゃんと自分で守りたい。そういう人に必要なのは、「とは」と「なぜ」の力です。
2010年3月3日水曜日
『ギヴァー』と関連のある本 15
今日紹介する本は、長谷川眞理子著の『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)です。
ラジオ番組で、長谷川さんがダーウィンのことを紹介していて、『ダーウィンの足跡を訪ねて』を図書館から借りてきたのがきっかけです。
前者の「まえがき」で、長谷川さんは以下のように書いています。
私は生き物が大好きで、これまで、動物の行動の研究をしてきました。でも、小さいころから生き物が好きでも、「生物学」というのは、長らくおもしろくない学問だと思っていました。なにしろ、動物や植物の各部の名前、消化酵素の名前、体内での反応の名前、細胞の中の微細な構造の名前、神経系の名前、地球上の各地の生態系の名前・・・名前、名前、名前ばっかり、覚えることばっかりです! この感じは、今でも少しも変わらないようで、高校生の多くは、生物は暗記科目と思っています。
進化は、私たちが生き物に対して抱く「なぜ?」という疑問に答えてくれるのです。高校までの生物の教科書に決定的に欠けているのは、この「なぜ?」という疑問ではないでしょうか。教科書のどこを見ても、なぜそうなっているのだろう? という根本的な疑問に答えてくれる記述はありません。「こうなっている」という記述があるのみです。そういうわけで、生物学は様々な名称の羅列となり、全体を貫く理論のない、単なる暗記科目と思えてしまうのです。
実際、生き物を見ていると、「なぜ?」という疑問が限りなく湧いてきます。
確か、『ギヴァー』が描かれているコミュニティは生き物がいなくなっていた世界でした。
そして、私たちも小学校から「なぜ?」なしの「正解」だけの授業を理科に限らず、ほとんどすべての教科で教えられ続けますから、疑問・質問がもてなくなってしまいます。
こんなことをしていていいんでしょうか?
「長老」たち★に改善を任せても何も変わらないことは、『ギヴァー』の中でも明らかですから、ジョナスのように気がついた人、一人ひとりが行動を起こさない限りは私たちの世界でも何も変わらないことは明白のようです。
★ 私たちの社会で「長老」たちに相当するのは、誰でしょうか?
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