★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2012年2月28日火曜日

過去、現実、未来

そりを滑った記憶が、現実そして未来につながっているというメタフォーがいい。

それも楽しいそり滑りと、とても危険なそり滑りの2種類があった。

この前に何気なく(?)ギヴァーから注がれていた記憶が、最後に関連づけて登場していることには何かの意味があるのか? ジョナスは、選択できる????

2012年2月18日土曜日

図書館・考

今日、私の近くにある公立図書館に行ったら、カウンターに「ご希望の方には、図書館の50年史を差し上げます」というようなメモが置いてあったので、「読むだけでいいので、貸してください」とお願いしました。(最初から、もらっても困る内容だということがわかっていたからです。)

 設立の経緯を見て、ビックリでした。
 なんと、地元にあった米軍からの提案がきっかけで誕生したというのです。
 ウ~ン、1962年ではまだ図書館に行って本を読んだり、借りたりする余裕をもった日本人は少なかったろうな~、と納得です。(じゃ、他の市の図書館はいつ頃できたんだろう? 市レベルの図書館としては、結構早かったのではないかと想像できます。)

 『ギヴァー』のコミュニティには、図書館はありません。
 本を読むことができるのは、ギヴァーとジョナスの2人だけだからです。
 「画一化」を何よりも大切なものと位置づけて社会を築いてきたコミュニティにとって、本は差別化につながる媒体と位置づけられているのでしょう。また、「記憶」や「歴史」もギヴァーだけが有し、他の人は一切もたないことになっているからです。(なんか、人間が人間であることを放棄してしまっている気がしないではありません。)

 でも、一方で、私たちの社会が図書館を(そして、本も)有効に活用しているのかと問うと、そうでないような気がします。そして、その責任は利用者の側と図書館の両方にあるとも思います。
 先の「50年史」も含めて、利用者側(読む側)のことをどこまで考えているんだろうと、首を傾げざるを得ないからです。
 「過去50年間のハイライトを5つあげると、何になりますか?」と問いたいです。
 あまり大したものがあがってくるようには思えません。
 そもそも、何を目標に設定して図書館を運営しているのでしょう??
 いくらなんでも、貸し出し冊数とは言わないと思いますが・・・・(もし、図書館関係者の方が、この書き込みを読まれたら、ぜひこの問いに答えてください。お願いします。)

 日本プロ野球を痛烈に批判したメイジャー・リーグの関係者がいました
 まったく同じことが図書館行政にも言えてしまう気がします。
 もっと世界に目を向けてほしいです。

2012年2月16日木曜日

小学6年生の感想

協力者でもある友人のM先生のクラスの子(6年生)が、感想を書いてくれました。
前回の書き込みと直接関係があるわけではありませんが、紹介します。


ギヴァーの世界は、私たちが当たり前と思っている天気や色、
そして、感情がありません。
ギヴァーの世界の人々は、まちがいをおそれています。
人にはまちがいをおそれずにやらなくてはならないこともあります。
あと、ギヴァーの世界では、悲しむことも、愛することもなく、
幸せに暮らしています。
でも、それが幸せと言えるのでしょうか。人は苦しみや悲しみを
味わって成長していきます。
なので、苦しみや悲しみを味わわずに暮らしているのは
幸せではないと思います。
私は、愛することや悲しむこと、苦しみを味わうことができて
幸せだなと、この本を読んで思いました。


 なお、M先生はリーディング・ワークショップを実践している人なのですが、クラスの半分近く(37人中15人)がすでに『ギヴァー』を読んでいるそうです。

2012年2月15日水曜日

『ギヴァー』は暗い!?

協力者の一人から、このコメントをもらいました。

  ウ~ン、と唸ってしまいました。
★本を読んでどのような印象や感想をもつかは、読み手の自由が大原則です。 
  原則どころか、それ以外はあり得ません。

 私は、『ギヴァー』ほど、明るい、元気をくれ、未来志向の本に出会ったことがなかったので再刊しました。
 できるだけ多くの人に、明るく、元気に、未来志向になってもらいたくて。

 人口3500人の『ギヴァー』のコミュニティでは一人のジョナスが出れば、なんとかなりそうなのですが、この日本には何人のジョナスが必要でしょうか?

 たとえば、教育の世界だけを取り出しても、かなり暗い状況です。
 99.9%の先生たちは、すでにマインド・コントロールされてしまっています。(それも、教師になる前に。)
 その学校を通過した人たちが社会人になります。
 ですから、社会全体がマインド・コントロールされていることになります。
 学校の中でしていることと、学校の外でしていることは密接につながっています。

 99.9だか、99.99だか、99.999の暗い世界の中で光明を見出すのは、至難の技です。

 でも、ジョナスとギヴァーは、やりとげました(やりとげようとしました)。

  私たちもやらないと!!!

 何を?

 自分が心底やりたいと思うことを。やらなければいけないと思うことを。

2012年2月11日土曜日

伝統的な社会

『ヴェトナム戦争 ~ 象vs虎』アルバート・マリン著を読んでいたら、以下のような伝統的な社会を描写した部分があったので、共有したくなりました。16~17ページの部分です。
16ページの前の部分(=15ページの最後)には、以下のように書いてあります。

 子供たちは自分に何が期待されているかを幼いころから理解する。読み書きは官吏、高官になるには必要(以下、16ページに続く) ~ 画像をクリックすると、拡大します。


 宮本常一さんが描いた日本社会も、これに限りなく近いような部分があったような気がします。日本の場合、江戸や明治ではなく、昭和でも(戦後でも)まだこういう部分が多分に残っていた気がします。従って、何百年も、何千年も、こうした社会が続いていたのです。それが変化してからまだ数十年しか経っていません。

 『ギヴァー』に描かれている社会と比較するとどうでしょうか?
 家族・家庭の部分は似ていませんが、共同体の部分(17ページの上段の半分ぐらいから)は似ていると思われませんか?

2012年2月10日金曜日

サステイナブル(持続可能)

先日、クリティカル・シンキングを一緒に考えてくれたTさんが、今度は「サステイナビリティ」という視点でとてもいい投げかけをしてくれました。

2012年2月10日 Tさんより

私が所属している団体は、環境に関するいろんな情報や考えを
収集し、そして発信しています。

日本全体でも、環境に配慮したものが流行っていますが、
その中で「サスティナビリティ」という言葉がキーワードに
なってますね。
「持続可能な社会」ということなのでしょうが、『ギヴァー』
のコミュニティがこれに当てはまるような気がしました。
(私は「持続可能」とか「再生可能」とか「環境配慮」などの
言葉が好きではありません)

『ギヴァー』の世界は環境問題など何もない感じです。
でも、他の生物はコミュニティ内にはいないようですね。
虫やウイルスもいないのでしょうか?
エネルギーなどどうなっているのでしょうか?
そういうことを空想するのは楽しいです。


2012年2月10日 ゲイブより

そう、『ギヴァー』のコミュニティは、Sustainabilityを実現している社会のごとく描かれています。
その方面に関しては、基本的に何も気にする必要なし、というぐらいに。

完全に天気は、コントロールされている。
山や岡もないぐらいに地形もコントロールしている。

虫やウイルスも含めて、動物は人間以外いないようだ。
(動物は、ぬいぐるみだけ?)

食糧は、どこでつくっているのかわからない。
しかし、それらがどこかで加工されて、各家に宅配されている。

みんなの移動手段は、自転車で、車を使えるのはごく限られた職種を担っている人のみ。
(でも、飛行機はタマに飛ぶ。ジョナスも追いかけられた。)

家の中には、電化製品が置いてある気はまったくしない。
テレビやパソコンなどがある感じもしない。
連絡は、各家にあるマイクを通じて行っている。(携帯も、スマホも必要ない社会!)
それがビデオの役割も果たして、コミュニティの至るところにあるビデオカメラと共に、コミュニティの住人の行動を絶えずチェックしている。

音楽は聞いていない感じだし、本も読まない(読めない)。
何して余暇を過ごしているんだろう? と考え込んでしまうぐらい。

戦争ごっこをしていたので、林的なものはありそう。
花は咲いているようなのだが、色を見える人はいない。
ギヴァーとジョナスぐらいしか。

他に、環境がらみの『ギヴァー』のコミュニティの特徴が見つかったらぜひ教えてください。

2012年2月9日木曜日

『ギヴァー』と関連のある本 80

『いかにして問題をつくるか ~ 問題設定の技術』S.I. ブラウン&M.I. ワルター著を読みました。これは、算数・数学教育に関する本です。  監訳者は、以下のように書いています。

190 わが国の算数・数学教育では、「問題解決」の指導についてはかなり研究が進んでいるが、「問題設定」については、ほとんど手つかずの状態なのである。しかし、問題は解決される前に、設定されなければならない。それどころか、問題を設定することは、問題を解決する以上に、教育的に重要なことであると考えねばならない。なぜならば、一般の人々にとっては、問題を正しくとらえ、正しく設定することが、それを解く以上に重要であり、それさえできれば、その解決は専門家に任せてもよいくらいであるからである。
 この“What If Not?”の思想(この本が提示しているアプローチ)は、単に算数・数学カリキュラムの思想にとどまるものではない。それは、与えられた問題を、お定まりの方式で解くという今日の算数・数学教育が、いつも現状を是認し、改革意欲をもたない哀れな人間をつくり出すことに貢献していないか、という反省にもつながっているからである。

 ということで、私たちが至極当たり前に体験し、そして今もまったく変わりなく続いている算数・数学教育は、悲しいかなこのような結果をもたらす形で行われているのです。

 このことは、過去3回連載した「批判的思考力」の根幹とも関連しています。

 そして、ジョナスのアクションの根幹とも。

2012年2月5日日曜日

思いやりと批判的思考力 2

このテーマ(1日の書き込み)に関連した協力者のTさんとのやりとりを紹介します。


2012年2月3日 Tさんより

カナダと日本の先生の調査結果がとても興味深いです。
日本が「思いやり」を重視するのは当然な気がしました。
私も小学校で「思いやり」が大事だと学んだ気がします、
道徳の授業で。
そして私もそれが当然だとずっと思っていました。
ですが、ブログを読み、
「大切なものを選び取る力」はすごくムズカシソウ、
と一瞬思いましたが、考えているうちにそれが結局
思いやりにつながるのかもしれない、と思えてきました。

最近読んでいる漫画に「疑うことは悪いことではなく、
無関心が一番悪い」というセリフがあり、書かれている
ことと同じことかな~と思いました。


2012年2月3日 ゲイブより

メール、ありがとうございました。

小学校で学んだのを覚えていましたか。
なんと言っても、全国の小・中学校の教育目標の3本柱の一つですから。
「考える子、思いやる子、鍛える子」です。
★ でも、その中身というか、どうすることが思いやりになるのか、教わりましたか?

私のときもすでに同じ教育目標ですから、唱えてはいたはずですが、何も身についた記憶はありません。(そうなんです、教育というのは変わらないんです!! それが最大の特徴と言えるかもしれません。)

1日の書き込みをしたきっかけは、○○県の教育委員会が、「思いやる気持ちを育てたい」と、南三陸町で「避難してください」を連呼して、たくさんの住民を救いながら、自分は津浪に飲み込まれた女性職員のことをビデオ化して県内の小・中・高に配ったというラジオ・ニュースを聞いたのがきっかけでした。 
そんなことをすることが、教育委員会の優先順位で高いほうにあっては困るんだけどな~、という思いで。

Tさんが書いているように、確かに「大切なものを選び取る力」は「思いやり」につながると思います。 
★ でも、逆は成り立つと思いますか? 
つまり、「思いやり」からスタートしたら「大切なものを選び取れる」ようになるか、という質問です。


2012年2月3日 Tさんより

返信メールありとうございます。

★ でも、その中身というか、どうすることが思いやりになるのか、教わりましたか?

覚えてないです。
「相手の気持ちを考える」というものだったかもしれません。
ですが、今でもどうすることが思いやりになるのか分かりません。

○○県の教育委員会のビデオ配布の話は、知りませんでした。
あの出来事は思いやりを学ぶものではないですよね。
自己犠牲を正当化するのもいけないし。
そんなに軽々しく教材?にするのは、亡くなった方に失礼な気もします。

★ でも、逆は成り立つと思いますか? 
つまり、「思いやり」からスタートしたら「大切なものを選び取れる」ようになるか、という質問です。

ああ、分からないです。
選び取れる時もありそうだし、取れない時もある気がします。

大切なものとは何なのでしょうか?
私にとって大切なものと世界にとって大切なものは違うようです。

原発事故で子どもを抱えて避難している人たちは、子どもが大切で、
子どもを大切にするために、安全安心な世界を作るために活動しています。
それが「大切なものを選び取る力」なのでしょうか?
でも、お年寄りの方が避難せずにいるのが少し違和感を感じます(リリース?)。

2012年2月4日土曜日

批判的思考力 2

たまたまある本を読んでいたら、クリティカル・シンキングを以下のように定義しているのを見つけました。
 “Critical thinking is reasonable, reflective thinking that is focused on deciding what to believe or do.” (原典:Evaluating Critical Thinking, by S.P. Norris & R.H. Ennis, p.5)
 訳すと、「クリティカル・シンキングは、何かを信じたり何かの行動を起こしたりする際の理性的で、熟考を伴った思考のことである」という感じになります。

 この練習は、学校にいるときはもちろんですが、社会に出てからもほとんどやらないのが、日本の大きな特徴ではないでしょうか?★
 常に習慣がものを言ったり、誰か他の人(権威のある人)が考えてくれるもの/正解を与えてくれるものという社会であり続けているような気がします。

 ジョナスは、短いギヴァーの見習い期間に練習をし、そして実践できていたでしょうか?

 ちなみに、上の定義には、「批判的」というニュアンスは、どこにも含まれていません。


★ 「するしない」ではなく、程度の違いかもしれません。人が生きていくには、自動的にしていることですから。
 しかし、教育の柱としてこれがまったくと言っていいほど掲げられていないことは、「クリティカル・シンキングを身につけてもらっては困ると思っている人たちがいるのでは」と勘ぐりたくなってしまいます。

2012年2月1日水曜日

思いやりと批判的思考力

もう20年以上前の私が国際理解教育の普及に携わっていたころのことです。

 カナダの先生たちを対象に行われた調査で、”The World in the Classroom: A Review of Global Education in Saskathewan School”という報告書を入手しました(サスカチュワン国際協力協議会、1989年発行)。調査には、476人の教師が回答していました。
 この中で、国際理解教育/グローバル教育の目的は何ですか(大切にしたいことは何ですか)、という質問に対して、もっとも高い回答がされていたのが「批判的思考力」だったのです。

 私は、「ウ~ン!」とうなってしまいました。

 それには2つの理由があります。
 一つは、その意味するところがよくわからなかったからです。英語では、critical thinkingですが、「批判的思考力」と訳すと間違いであることは認識できたので、「批判的に、しかし前向きに(建設的に)考えられる力」と当初は訳していました。その後、欧米では教育全般でcritical thinkingを重視していることも知りました。2000年ごろにcriticalには「重要な」という意味もあることを思い出し、そのころからは「大切なものを選び取る力」と訳しています。

 二つ目の理由は、日本の教師が国際理解教育/グローバル教育で、これが大切とは言わないだろうな、と思ったことです。

 そこで早速1990年に日本の教師対象にも調査してみたところ(回答してくれたのは151人。有効回答数は、147)、予想通りの回答が得られたのです。日本の先生たちにとって大切なのは、

① 共感・尊重・思いやりの態度
② 平等・公正・正義を求める態度
③ 政治経済の相互依存関係を理解
④ 発展途上国を重視した世界の知識

の順でした。それに対して、カナダの先生たちにとっては、「批判的思考力」が断然トップで、2番目以降は、「平等・公正・正義を求める態度」「共感・尊重・思いやりの態度」「政治経済の相互依存関係を理解」の順です。

 調査をする前と同じく、また「ウ~ン!」と唸ってしまいました。
 「いったい、この違いはなんだ!」と。

 おそらく、22年後のいま調査しても同じ結果になるでしょう。
 昨年、東日本大震災があったこともあり、その空気を一層強く感じます。
 それで、果たしてこれでいいのだろうかと、3度目の「ウ~ン!」です。

 思いやりが大切でないとは思っていません。とても大切です。
 しかし、「批判的に、しかし前向きに(建設的に)考えられる力」も含めた「大切なものを選び取る力」も大切です。
 両方大切です。
 片方が欠けている日本、そして『ギヴァー』のコミュニティに恐ろしさを感じる次第です。
 そんな中で、ジョナスは「大切なものを選び取り」そして行動に移しました。(家族やガールフレンドへの思いやりを優先せずに)