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2012年1月12日木曜日

『ギヴァー』と関連のある本 78

前回紹介した大分県姫島のサイトを見ると、左側に「教育に関する点検及び評価」「姫島村学力向上支援プラン」があります。これらは、全国に右へ倣えであることもあって(つまり、主体的に取り組んでいるわけではないので)、これらを毎年繰り返しても教育はよくなりません。(accountabilityを「説明責任」と誤解してしまったがゆえの悲劇=時間と税金の無駄づかいです。)

 この教育と関連して極めて刺激的な本を年の初めの休み期間中に読みました。
 タイトルは、なんと『バカをつくる学校』(ジョン・テイラー・ガット著)です。
 タイトルが正しいようでは困るのですが、読んでみると納得してしまいます。内容はアメリカの学校教育についてですが、残念ながらそのまま日本にもあてはまってしまいます。ほとんどすべてにわたって、アメリカの5~20年ぐらい後を追いかけているのが日本ですから。
 ガットさんは、評論家ではありません。30年間公立学校の教壇に立ち、ニューヨーク州最優秀教師賞にまで輝いた人ですから、体制側にも認められる実践をしていた人です。

 それでは、本の内容を数回にわたって紹介していきます。


3 学校の目的? ~ 「子どもが授業に影響されることなく、自分で自分の信念を築き、みずからの経験にもとづいて判断する」=「自立した学び手になる」ということは、国の指導的な教育者たちのリストの上位にはランクされていないはずだ。 ← 同感です。

●学校という神話

14 自分は教師として、子供たちの力を伸ばすどころか、抑えつけているのではないか・・・そして次第に、チャイムによる中断、まとまりのない時間割、年齢による区別、プライバシーの欠如、絶え間ない監視といった国の教育制度全体が、子どもたちを自分で考えて行動することから遠ざけ、依存的な人間にしようとしていることがわかった。 ← まさに『ギヴァー』の世界でしていること。でも、日本もまったく同じ気がしてきます。

 そこで私は、ときどきゲリラ的な授業を企画し、出来るだけ多くの子どもたちを生の素材 ~ さまざまな交流や自由な環境 ~ に触れさせようとした。つまり、私は彼らが自ら考え、自ら学べるような実体験の場所を提供したのである。 ← 『ギヴァー』の世界でも、日本でも、こういう試みは許されないような空気があります。橋本武さんが灘中学校で実践していた『銀の匙』を3年かけて教えるような実践を。いまでも、やる気さえあれば、いくらでもやれてしまうのに。

15 私の考えを理論的、あるいは比喩的に表現すれば、教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。つまり、油絵では、キャンバスに絵の具という素材を「加える」ことでイメージが生まれるが、彫刻では、素材を「削る」ことによって、石(や木)の中に閉じ込められたイメージが浮かび上がる。ここに決定的な違いがある。 ← どちらか一方だけというよりは、バランスの問題の気がする。相手によって。量的には後者の部分が多いことには賛成だが。WW&RWのアプローチはまさにそう。教科書をカバーするアプローチは、振り子が前者に行き過ぎている!

 私は自分の専門知識を子どもに押し付けるのをやめた。その代わりに、彼らの本来の才能を邪魔しているものを取り除こうとした。私にとって、教師の仕事は、もはや教室で生徒に知識を授けることではなくなった。学校は今もその無益な教育方針を続けているが、私はこうした教育の伝統をできるだけ打ち破り、生徒一人ひとりの可能性を引き出そうとした。

 政府に支配された学校は、私のような教師が増えると、学校制度全体が危機にさらされるとして警戒する。 → 学校という制度は、あくまでも社会全体の歯車のひとつであることを思わされます。少なくとも、社会のあり方と教育のあり方は強固に関連しているわけです。

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