学力テストに関連して、以下のような記事がありました。
結果が報道されるたびに、同じようなことが繰り返されています。
テストの価値をまったく理解していない、文科省、政治家、学者/研究者、そしてマスコミが輪になって、問題を拡大しています。
そういう意味で、悲劇です。
実は、悲劇を通り越して「犯罪」の領域なのですが。
当事者たちは、そういうことは気づいていません。(だからこそ、その犯罪性は、東京電力★が2年半前に犯した罪と同じか、それ以上に重いのです。学力テストや入試を含めて教育の犯罪性は、気づくのが難しいです。放射能よりもはるかに。)
林竹二の『教育亡国』を最近読み直したのですが、まじめでいい先生たちの多くも、みごとなぐらい(悲劇的)に、この見えにくい「犯罪」に組み込まれています。そして、親たちも、子どもたちも。★★
このように厳しい状況下で、まっとうな教育(授業)をしていくことは極めて難しいことではありますが、不可能なことではありません。それも、学力テストで測れるレベルをはるかに超えた力を子どもたちにつけさせることも。しかし、それは旧来の枠の中に自分をおき続けていては無理です★★★。枠自体が、すでに悲劇と犯罪を生みだしていますから。
静岡県の川勝平太知事は9日の記者会見で、今年4月に行われた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で小学生の基礎的学力を問う国語Aの平均正答率が同県は全国最下位だったことに関連して、「(成績順に)下から100校か、平均点以下の校長先生の名前を公表したい」と述べた。
同県の小学生の国語Aの平均正答率は57・7%。全国平均の62・7%を5ポイント下回った。川勝知事は「絶望的な気持ちになり、強烈な危機感に襲われた。義務教育の責任は先生が持つ。責任を取るべきだ」と語った。
文部科学省が作成した全国学力テストの実施要領では、都道府県や市町村教委は個別の学校の結果を公表しないとされている。川勝知事の発言について、同省学力調査室の柿沢久美子専門官は読売新聞の取材に対し、「校長名の公表は校名を明らかにすることにつながる。実施要領に法的拘束力はないが、公表は控えてほしい」と話した。
こう言われてしまうと、現場はテストのための授業をせざるを得なくなります。
皆さん、テストのための勉強、覚えていますか?
教師は、ひたすらカバーし、生徒はひたすら暗記します。
でも、数日後にはほとんど全部を忘れてしまいます。
少なくとも、『ギヴァー』のコミュニティでは、こんな愚かなことはしていません。何せ、一学年たったの50人ですから。必要もありません。
★ こちらも教育と同じで、非があるのは東京電力ではなくて、教育の場合と同じように政治家、官僚、学者/研究者、そしてマスコミの怠慢のなせる業だったように思います。構造は、何事も同じなんだと思います。
★★ 林さんがこの本を出したのは、1983年でした。それから30年、状況は変わっていないというか、悪くなっている感じをもちます。より巧妙になっているというか。浸透しきったというか。
★★★ 「枠」という言葉で理解できなければ、「必要な変化」ないし「変化のスピード」に対応する、というのではどうでしょうか? あまりにも同じ過ちを繰り返しすぎています。誰も、その正当性を証明していないものを、あたかもすべて正しいと思い込んでやり続けているものが、多すぎます。特に、教育の世界では。
◆ 林さんの本の感想も含めて、学力テスト、および今の学校、教育の現状について興味のある方、ぜひ考えをお聞かせください。「画一化」は、『ギヴァー』のコミュニティに負けないスピードで進んでいます。
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