教師の役割は、一般的に「教えること」と捉えられていますが、私にまったくそうではないことを教えたくれた本が2冊あります。
1冊は、私が教育に関わり始めるきっかけをつくってくれた『ワールド・スタディーズ』という本の中で、「教えることは、問いかけること」と言い切っていたのです。1986年のことでした。それまでは、私も研修等では、一生懸命がんばって講義をしていましたが、この本を読んでからは、話ができなくなってしまいました。何せ、「教えることは、問いかけること」ですから。
日本の授業でも「発問」が大切にはされてきましたが、「問いかけ」と「発問」の違いは大きいです。前者には答えがないのに、後者には正解があるニュアンスがあります。前者にはシナリオはありませんが、後者は教師のシナリオの一環として行われます。
もう1冊は、Donald Murrayという人の『Learning by Teaching』。タイトルからは想像できませんが、これは主には書き方の教え方について書かれた本です。その中で、なんと、書くのを教えるベストの方法は「聞くこと」とあったのです。
日本の作文教育しか体験していない私にとって、書く教え方のベストの方法が「聞くこと」とは目からうろこでした。日本の先生がいまでも固く信じ、かつ実行している添削をしている限り、生徒たちは書くことを嫌いになったり、書く力をつけられないのです。がんばってつぎ込んでいる時間とエネルギーが、マイナスにしか機能していないのですから、できるだけはやくやめるべきです!!! その代わりに、生徒たちが書いている間に「聞くこと」が教師の役割だというのです。それしか、生徒たちが書くことを好きになり、書く力をつける方法はない、と言い切っています。
興味のある方は、残念ながら上記の本は英語のみなので、『ライティング・ワークショップ』と『作家の時間』を参照してください。それを読みに応用したのが『リーディング・ワークショップ』です。(いま、それの日本での実践版と、リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップをさらに進化させた教え方のTo Understand『理解するってどういうこと?』仮題, by Ellin Keeneを翻訳中です。両方とも、おすすめです。読むことは、聞くこと、話すこと、書くこと、考えること、世界を見ること、そして生きることと切り離せんから。)
なお、このアプローチは、国語だけで効果的なのではなく、他の教科すべてで求められています。教師が話し続けている限りは、生徒たちがよく学べない(教科が嫌いになる)ことを確約しているようなものですから。
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