前回の数学に続いて、今回は理科です。
紹介するのは、『科学と創造』(H.F.ジャドソン著)。
サブタイトルの「科学者はどう考えるか」の方が、本の内容をよりよく表していると思いました。原タイトルは、The Search for Solutionsです。
この本の特徴の一つは、使われているたくさんのいい写真とその解説のよさです。それらだけを見たり、読んだりするだけでも、内容のかなりの部分が伝わってきます。「科学」とは関係のない日本の芸術や日ごろの風景までが使われているのに(「こんな写真、よく見つけたな~」と)驚いてしまいます。
もう一つの特徴は、人(科学者たち)の紹介の仕方がうまいことです。
写真は、章立てと連動しています。
それらのタイトルも、科学および科学者を理解する大きな助けになっている気がします。
以下のとおりです。
探究
パターン
スケール
偶然
フィードバック
モデル
予言
証拠
理論
子どもたちが嫌いになる教科書を中心にした理科の授業の代わりに、これらこそを中心に据えた形で理科の授業を考えていくべきだと思います。なんと言っても、「これらこそが科学と科学者の考え方」なのですから。
2011年6月26日日曜日
オフライン思考
ちょっと経路の違った本を読んでいます。
『数学する遺伝子』(キース・デブリン著)です。
この本の主な主張は、脳の機能はパターン認識ですが、数学は「パターンの科学」なので、人は誰でも数学する遺伝子を持ち合わせているというものです。
では、なぜ嫌いな人やできない人がいるのでしょうか?
マラソンと同じだそうです。
マラソンも、40年より前は長距離選手の中のごく一部が走るもんだと思われていました。普通の市民が走れるものとはまったく思われていませんでした。それが健康ブームで、今では誰でもやる気にさえなれば走れてしまうのです。数学もまったく同じだというのです。ですから、ぜひ「やる気になりましょう!」と著者は提唱しています。
私がこの本で一番面白いと思ったのは、「オフライン思考」ということでした。
それは、ひとことで言うと「内的に生じたシンボルの世界についての思考」(294ページ)のことです。これだけでは、まだわかりにくいので、さらに説明すると「過去の出来事をくわしくかえりみたり、未来の行動をずっと前から計画して、様々な選択肢について考えたりできる」(295ページ)能力です。そして、オフライン思考ができる動物は人間のほかにはいない(295ページ)そうです。
オフライン思考に対して、オンライン思考の開始と維持に必要なのは、物理的環境というか刺激です。(301ページ)こちらは、基本的に「動物的」思考というか反応です。もちろん、人間も依然としてもち続けています。危ない状況などに遭遇した時は、ほぼ自動的に作動します。
脳は、オフライン思考が可能になる前に、きわめて多様な活性化のパターン(すなわち、いくつかの組み合わせ、意味のある活性化の連鎖を開始し、維持するのに十分なだけのパターン)を生み出す能力を獲得していなくてはならなかった(302ページ)、と著者はビッカートンという人の主張を紹介してくれています。
それらのパターンを蓄えることができたおかげで、オフライン思考が可能となり、それによって「人間が ~ そして人間だけが ~ できるようになったことはたくさんある。私たちは、遠く離れているものも含めて、さまざまなものや場所、状況や出来事について語り合うことができる。過去や未来の出来事について、考えられる。時間の経過についても考えられる。架空の物語を作ることもできる。様々な道具や、機能的な人工物や、純粋に象徴的な人工物も作れる。複雑な未来の行動プランを立ててそれにしたがうこともできる...そして、論理的推論によって世界に対する理解を深め、行動の意思決定をすることもできる。」(311ページ) ← 『ギヴァー』の中で、これらができているのはほとんどギヴァーとジョナスだけと思えてしまいます。私たちはせっかく身につけているこれらの能力をしっかり使わなくては、とも思いました。特に、3月11日以降のような状況では。
デブリンは、これからの数学・科学教育ということでは(340~343ページ)、
① 数学や科学がどんなものであり、暮らしの中での役割を明確にすること と
② 論理的思考/科学的に考える習性を身につけること
に集中すべきであると提言しています。従来の忘れてしまうことが約束されているようなスキルの練習に無駄な時間を割くべきではないとしています。
論理的思考/科学的に考える習性はどうやって身につくかというと、「数学や科学をすること」であり、それにはスポーツや演劇などをすることを参考にすべきだとしています。★それには、上に書いたように必然性というか「やる気」になる決意のようなものが前提として必要になります。それなしで厳しい練習をするだけだと、あまり生産的ではないスキルのドリルになってしまいますから。
★ そういえば、まさにこの視点で開発されたのが『ライティング・ワークショップ』と『リーディング・ワークショップ』でした。
『数学する遺伝子』(キース・デブリン著)です。
この本の主な主張は、脳の機能はパターン認識ですが、数学は「パターンの科学」なので、人は誰でも数学する遺伝子を持ち合わせているというものです。
では、なぜ嫌いな人やできない人がいるのでしょうか?
マラソンと同じだそうです。
マラソンも、40年より前は長距離選手の中のごく一部が走るもんだと思われていました。普通の市民が走れるものとはまったく思われていませんでした。それが健康ブームで、今では誰でもやる気にさえなれば走れてしまうのです。数学もまったく同じだというのです。ですから、ぜひ「やる気になりましょう!」と著者は提唱しています。
私がこの本で一番面白いと思ったのは、「オフライン思考」ということでした。
それは、ひとことで言うと「内的に生じたシンボルの世界についての思考」(294ページ)のことです。これだけでは、まだわかりにくいので、さらに説明すると「過去の出来事をくわしくかえりみたり、未来の行動をずっと前から計画して、様々な選択肢について考えたりできる」(295ページ)能力です。そして、オフライン思考ができる動物は人間のほかにはいない(295ページ)そうです。
オフライン思考に対して、オンライン思考の開始と維持に必要なのは、物理的環境というか刺激です。(301ページ)こちらは、基本的に「動物的」思考というか反応です。もちろん、人間も依然としてもち続けています。危ない状況などに遭遇した時は、ほぼ自動的に作動します。
脳は、オフライン思考が可能になる前に、きわめて多様な活性化のパターン(すなわち、いくつかの組み合わせ、意味のある活性化の連鎖を開始し、維持するのに十分なだけのパターン)を生み出す能力を獲得していなくてはならなかった(302ページ)、と著者はビッカートンという人の主張を紹介してくれています。
それらのパターンを蓄えることができたおかげで、オフライン思考が可能となり、それによって「人間が ~ そして人間だけが ~ できるようになったことはたくさんある。私たちは、遠く離れているものも含めて、さまざまなものや場所、状況や出来事について語り合うことができる。過去や未来の出来事について、考えられる。時間の経過についても考えられる。架空の物語を作ることもできる。様々な道具や、機能的な人工物や、純粋に象徴的な人工物も作れる。複雑な未来の行動プランを立ててそれにしたがうこともできる...そして、論理的推論によって世界に対する理解を深め、行動の意思決定をすることもできる。」(311ページ) ← 『ギヴァー』の中で、これらができているのはほとんどギヴァーとジョナスだけと思えてしまいます。私たちはせっかく身につけているこれらの能力をしっかり使わなくては、とも思いました。特に、3月11日以降のような状況では。
デブリンは、これからの数学・科学教育ということでは(340~343ページ)、
① 数学や科学がどんなものであり、暮らしの中での役割を明確にすること と
② 論理的思考/科学的に考える習性を身につけること
に集中すべきであると提言しています。従来の忘れてしまうことが約束されているようなスキルの練習に無駄な時間を割くべきではないとしています。
論理的思考/科学的に考える習性はどうやって身につくかというと、「数学や科学をすること」であり、それにはスポーツや演劇などをすることを参考にすべきだとしています。★それには、上に書いたように必然性というか「やる気」になる決意のようなものが前提として必要になります。それなしで厳しい練習をするだけだと、あまり生産的ではないスキルのドリルになってしまいますから。
★ そういえば、まさにこの視点で開発されたのが『ライティング・ワークショップ』と『リーディング・ワークショップ』でした。
2011年6月25日土曜日
「貢献」と「異和感」
先日、ある人と話していたら、組織改善で大切なのは、「貢献」と「異和感」と言っていました。ウ~ン、まったくその通り、と思いました。
あえて、「違和感」ではなく、「異」を使いたいそうです。確かに、「違」には「そむく」を含めて否定的なニュアンスが色濃くただよっているのに対して、「異」の方は「異なる」「疑う」など「オルターナティブ」なニュアンスが濃いと思います。
それを聞いて、すぐに両方とも『ギヴァー』の代表的なテーマだと思いました。
ほとんどそれらについて書いた本とも言えなくはないぐらいに。★
さらには、授業というか、授業改善にも、この2つは欠かせないと思いますし、人と人との出会いにも欠かせないと思います。
菅さんはじめ、いま政治に関わっている人たちも、震災地の復興とこれまでとは「違う」日本をつくり出すのに、この2つのキーワードを実行してほしいところですが、どうもあるのは「自分のことだけ」と「保身」としか思えません。(東京都の知事さんは、他にすること/考えることがないらしく、またオリンピックの招致活動に税金の無駄づかいをしたいようです。)
★ そういえば、これも前に訳した『エンパワーメントの鍵』(クリスト・ノーデン-パワーズ著)も、この2つのキーワードをテーマにした本でした。残念ながら本屋さんでは買えないので、図書館で借りて読んでみてください。
あえて、「違和感」ではなく、「異」を使いたいそうです。確かに、「違」には「そむく」を含めて否定的なニュアンスが色濃くただよっているのに対して、「異」の方は「異なる」「疑う」など「オルターナティブ」なニュアンスが濃いと思います。
それを聞いて、すぐに両方とも『ギヴァー』の代表的なテーマだと思いました。
ほとんどそれらについて書いた本とも言えなくはないぐらいに。★
さらには、授業というか、授業改善にも、この2つは欠かせないと思いますし、人と人との出会いにも欠かせないと思います。
菅さんはじめ、いま政治に関わっている人たちも、震災地の復興とこれまでとは「違う」日本をつくり出すのに、この2つのキーワードを実行してほしいところですが、どうもあるのは「自分のことだけ」と「保身」としか思えません。(東京都の知事さんは、他にすること/考えることがないらしく、またオリンピックの招致活動に税金の無駄づかいをしたいようです。)
★ そういえば、これも前に訳した『エンパワーメントの鍵』(クリスト・ノーデン-パワーズ著)も、この2つのキーワードをテーマにした本でした。残念ながら本屋さんでは買えないので、図書館で借りて読んでみてください。
2011年6月23日木曜日
12歳で「二度目の誕生」は無理
「ちくま少年図書館」の第3弾として『銀河鉄道をめざして ~ 宮沢賢治の旅』(板谷英紀著)を読みました。 なんといっても、日本のゲーテ、あるいはヴァン・ゴッホですから、焦点の当て方次第では、いろいろなことが書ける人ですが......ここでは『ギヴァー』との関連で。
その宮沢賢治でさえ12歳までの経験で、これまで、今、そしてこれからの多くの人たちにインパクトを与え続ける作品群(や彼の生き方)は可能だったかというと「無理」と言わざるを得ません。
宮沢賢治にとって、
・ 故郷を離れて盛岡中学校に入り、岩手山との出合い。そして文学と宗教への打ち込み。(13~18歳)
・ 中学校卒業と同時に起こり、その後自分をときどき襲う幻覚<青い波>との出合い
・ 法華経との出合い (18歳)
・ 盛岡高等農林での教師や友人たちとの出会い ~岩手山での誓いも含めて (19~22歳)
・ 法華経の布教活動のために上京し、本格的に童話を書き始める。のちに自分の作品を「法華文学」と位置づける (24歳の約7ヶ月間)
・ 花巻農学校の教師になり、生徒たちとの様々な活動や授業 (25~30歳)
・ 自分の最大の理解者だった妹・トシ子の死
・ 羅須地人協会の設立(賢治30歳)
これだけの多様な出会い/出合いとアクションがないと「二度目の誕生」というのは実現しないというか、つくづく難しいと思った次第です。
その意味では、『ギヴァー』のコミュニティは、「ひと」として生まれることを最初から否定している社会、二度目の誕生を制度として廃止している社会なんだとも思いました。たくさんの記憶によって生まれ変わることが可能なギヴァーおよびギヴァーの卵であるジョナス以外は。
テーマ以外に、本を読んでいてマークをつけた箇所は、以下のとおりです。
130 偉大な才能ほど周囲から多くものを吸収し、それをすばらしいものに変えることができるのです。
132~3 生徒を無視して教科書をカバーする授業から、わかりやすく、生徒たちがけんめいに勉強する、(教師がモデルとして示し続ける)授業への転換をアッという間に成し遂げた宮沢賢治の才能。
その宮沢賢治でさえ12歳までの経験で、これまで、今、そしてこれからの多くの人たちにインパクトを与え続ける作品群(や彼の生き方)は可能だったかというと「無理」と言わざるを得ません。
宮沢賢治にとって、
・ 故郷を離れて盛岡中学校に入り、岩手山との出合い。そして文学と宗教への打ち込み。(13~18歳)
・ 中学校卒業と同時に起こり、その後自分をときどき襲う幻覚<青い波>との出合い
・ 法華経との出合い (18歳)
・ 盛岡高等農林での教師や友人たちとの出会い ~岩手山での誓いも含めて (19~22歳)
・ 法華経の布教活動のために上京し、本格的に童話を書き始める。のちに自分の作品を「法華文学」と位置づける (24歳の約7ヶ月間)
・ 花巻農学校の教師になり、生徒たちとの様々な活動や授業 (25~30歳)
・ 自分の最大の理解者だった妹・トシ子の死
・ 羅須地人協会の設立(賢治30歳)
これだけの多様な出会い/出合いとアクションがないと「二度目の誕生」というのは実現しないというか、つくづく難しいと思った次第です。
その意味では、『ギヴァー』のコミュニティは、「ひと」として生まれることを最初から否定している社会、二度目の誕生を制度として廃止している社会なんだとも思いました。たくさんの記憶によって生まれ変わることが可能なギヴァーおよびギヴァーの卵であるジョナス以外は。
テーマ以外に、本を読んでいてマークをつけた箇所は、以下のとおりです。
130 偉大な才能ほど周囲から多くものを吸収し、それをすばらしいものに変えることができるのです。
132~3 生徒を無視して教科書をカバーする授業から、わかりやすく、生徒たちがけんめいに勉強する、(教師がモデルとして示し続ける)授業への転換をアッという間に成し遂げた宮沢賢治の才能。
2011年6月21日火曜日
田中正造が「生まれる」
実は、田中正造に入れ込んでいたころ(80年代の中ごろ)は、何本かの論文を書いたこともありました。中には、ルソーの『エミール』をベースにしながら田中正造の生き方、成長、教育などを分析したものまでありました。
前回紹介した『ひとが生まれる』との関連で言えば、田中正造以外の4人は20歳ぐらいまでに、二度目の誕生を終えているのですが、田中正造の場合は3度の牢獄生活も含めて少なくとも35~6歳までは(ひょっとしたら死ぬまで)何度も生まれ変わり続けた人のような気がします。足尾鉱毒以外のたくさんの経験を背負っているというか、逆に言えば、それらがあったからこそ、そこに必然的にたどり着いた気もします。
前回紹介した『ひとが生まれる』との関連で言えば、田中正造以外の4人は20歳ぐらいまでに、二度目の誕生を終えているのですが、田中正造の場合は3度の牢獄生活も含めて少なくとも35~6歳までは(ひょっとしたら死ぬまで)何度も生まれ変わり続けた人のような気がします。足尾鉱毒以外のたくさんの経験を背負っているというか、逆に言えば、それらがあったからこそ、そこに必然的にたどり着いた気もします。
2011年6月20日月曜日
二度目の誕生
『日本史との出会い』があまりによかったので、「ちくま少年図書館」を継続して読んでいます。今回紹介するのは、彼これ30年前に読んだことのある『ひとが生まれる』(鶴見俊輔著)です。
なぜ読んだかというと、30年ぐらい前に数年間、田中正造に入れ込んでいた時期があり、彼に関する本を全部読んだことがあったのです。あまりの入れようで「全集」まで購入しましたが、それはまだ一部しか読んでいません。
「人間はいつ自分になるのか。
人間は、生まれた時に、いきをする。手足を動かす...そんなふうにして、なんとなく私たちはことばを覚え、人間としていろいろなしぐさを覚えてしまう。それでけっこう暮らせる。
ところがそのうちに、なにか変なことが起こる。いままで自然に覚えたことでは、どうにもそこをこえられない。
今まで自分にそなわった力では、それとかくとうしても、組みふせることができない。そういう恐ろしさの中から、あたらしい自分が生まれる。
そういう自分の誕生の時は、生まれてから何年目にくると言えない...
自分が、どういう時代のどういう世の中に生きているのかというふうに、自分を社会の中の一人としてとらえることが、いつある人にとって起きるかには、いろいろな場合がある。だが、人間が、隣の人と違うからだとこころをもって個人として生きているからには、社会の中の一人として自分をとらえる時が、いつかは、やってくる。」(はじめに)
まさに、ジョナスにもギヴァーとの出会いによって、12歳か13歳でそれがおとずれました。
鶴見さんが自分自身の誕生の記録(記憶?)に残っている5人として選んだのは、田中正造以外に、ジョン万次郎、富岡製糸工場について書いた横田英子、関東大震災直後の朝鮮人、社会主義者、無政府主義者たちに対する弾圧によって獄中で自殺した金子ふみ子、学徒出陣で徴用され1945年7月28日に四国沖の偵察飛行中に通信を断った林尹夫です。
すごい人選です。 『日本史との出会い』に引けを取らない。
ところで、ジョナス(ギヴァーになる人)以外のコミュニティの人たちには、この二度目の誕生はあるのでしょうか? ない方が幸せとも言えるのでしょうか?
なぜ読んだかというと、30年ぐらい前に数年間、田中正造に入れ込んでいた時期があり、彼に関する本を全部読んだことがあったのです。あまりの入れようで「全集」まで購入しましたが、それはまだ一部しか読んでいません。
「人間はいつ自分になるのか。
人間は、生まれた時に、いきをする。手足を動かす...そんなふうにして、なんとなく私たちはことばを覚え、人間としていろいろなしぐさを覚えてしまう。それでけっこう暮らせる。
ところがそのうちに、なにか変なことが起こる。いままで自然に覚えたことでは、どうにもそこをこえられない。
今まで自分にそなわった力では、それとかくとうしても、組みふせることができない。そういう恐ろしさの中から、あたらしい自分が生まれる。
そういう自分の誕生の時は、生まれてから何年目にくると言えない...
自分が、どういう時代のどういう世の中に生きているのかというふうに、自分を社会の中の一人としてとらえることが、いつある人にとって起きるかには、いろいろな場合がある。だが、人間が、隣の人と違うからだとこころをもって個人として生きているからには、社会の中の一人として自分をとらえる時が、いつかは、やってくる。」(はじめに)
まさに、ジョナスにもギヴァーとの出会いによって、12歳か13歳でそれがおとずれました。
鶴見さんが自分自身の誕生の記録(記憶?)に残っている5人として選んだのは、田中正造以外に、ジョン万次郎、富岡製糸工場について書いた横田英子、関東大震災直後の朝鮮人、社会主義者、無政府主義者たちに対する弾圧によって獄中で自殺した金子ふみ子、学徒出陣で徴用され1945年7月28日に四国沖の偵察飛行中に通信を断った林尹夫です。
すごい人選です。 『日本史との出会い』に引けを取らない。
ところで、ジョナス(ギヴァーになる人)以外のコミュニティの人たちには、この二度目の誕生はあるのでしょうか? ない方が幸せとも言えるのでしょうか?
2011年6月17日金曜日
出会い
「愛と家族と死」の3つ以外に、「出会い」というのも『ギヴァー』と『メイおばちゃんの庭』の両方に共通したテーマだったと思います。
その「出会い」を中心に据えた本として、秦恒平著の『日本史との出会い』を見つけました。「ちくま少年図書館」に収録されている1979年に出版された本ですが、内容的にはまったく古さを感じさせない、しかも50歳を過ぎた私が読んでも読み応えのある本です。
本のタイトルは「日本史との出会い」ですが、4組の出会いが紹介されています。いずれも、日本史を代表するような出会いです。①後白河院と乙前、②法然と親鸞、③足利義満と世阿弥、④豊臣秀吉と千利休。
これら4組の出会いを、ジョナスとギヴァー、『メイおばちゃんの庭』のサマーとメイおばちゃんやオブおじちゃん、そしてクリータスとの出会いのことも考えながら読みました。そして、日本史に存在する他のたくさんの出会いや、自分のこれまでの出会いにも想いを馳せながら。
おもしろいとはお世辞にも言えない日本史の教科書を読むよりも、この本を読んだ方がはるかに考えますし、歴史好きになります。(そして、いまの時代についても、自分についても考えます。~ 歴史の教科書から「いまの時代」や「自分の行動について」考えることなんてあるのかな??)
193ページには、「室町時代の特に前半は、他のどの時代より手ひどい飢饉に人民がくりかえし苦しみぬいた時代でしたが、必ずしも天災とばかりはいいきれない。むしろ天災は、いつもいくらかは政治の無策と背をあわせていたことを、ぼくらはにごりない目で見きわめていなければなりません」 とありますが、これはまさにいまの時代にも言えてしまいますね。
メモ: 146~7、170、204~209、229ページ。
その「出会い」を中心に据えた本として、秦恒平著の『日本史との出会い』を見つけました。「ちくま少年図書館」に収録されている1979年に出版された本ですが、内容的にはまったく古さを感じさせない、しかも50歳を過ぎた私が読んでも読み応えのある本です。
本のタイトルは「日本史との出会い」ですが、4組の出会いが紹介されています。いずれも、日本史を代表するような出会いです。①後白河院と乙前、②法然と親鸞、③足利義満と世阿弥、④豊臣秀吉と千利休。
これら4組の出会いを、ジョナスとギヴァー、『メイおばちゃんの庭』のサマーとメイおばちゃんやオブおじちゃん、そしてクリータスとの出会いのことも考えながら読みました。そして、日本史に存在する他のたくさんの出会いや、自分のこれまでの出会いにも想いを馳せながら。
おもしろいとはお世辞にも言えない日本史の教科書を読むよりも、この本を読んだ方がはるかに考えますし、歴史好きになります。(そして、いまの時代についても、自分についても考えます。~ 歴史の教科書から「いまの時代」や「自分の行動について」考えることなんてあるのかな??)
193ページには、「室町時代の特に前半は、他のどの時代より手ひどい飢饉に人民がくりかえし苦しみぬいた時代でしたが、必ずしも天災とばかりはいいきれない。むしろ天災は、いつもいくらかは政治の無策と背をあわせていたことを、ぼくらはにごりない目で見きわめていなければなりません」 とありますが、これはまさにいまの時代にも言えてしまいますね。
メモ: 146~7、170、204~209、229ページ。
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