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2012年8月6日月曜日

リーディング・ワークショップとの関連 5


『ギヴァー』の中で描かれていることと、読むこと、読むことについて話すこと/話し合うこと、読むことについて書くことなどが、関係ないようでかなり深いレベルでつながっている気がするので、両者の関連を引き続き紹介します。(今回は、ちょっと長くなります。)

 日本中で読み聞かせが相変わらず流行っています。
 相当数のボランティアが学校や学校外で活躍しています。
 それ自体はとてもいいことなのですが、この本や『「読む力」はこうしてつける』を読んでいただけると、それだけではまったく不十分であることも理解していただけます。

 今回取り上げるのは、139~141ページで紹介されている語り合いの大切さです。

 あるゲストの教師がKaren Barbour作の『Little Nino’s Pizzeria(ニノのピザ屋さん)』という絵本の読み聞かせをしました。あらすじは、ニノはお父さんのピザ店で手伝いをするのが大好きでした。でもある日、スーツ姿のビジネスマンが店に現れ、その後しばらくして、お父さんの店はチェーンのピザ店に変わってしまいました。その新しい店で、ニノが手伝うことはできませんでした。

 しかし、最後にはお父さんは昔のピザ店を再開することに決めました。以前はお父さんの名前がついていたのを、今度は息子の名前にして・・・という、それなりにハッピー・エンディングのストーリーです。

 読み聞かせをした教師も、ストーリーのとおりを子どもたちが理解してくれればいいと思って読んだのだと思います。

 ところが、あるところまで読んだ時に、女の子が絵本のところまで来て、頭の上の部分がハート型にくり抜かれた小さな揺りかごが部屋の片隅に置かれていたのを指しました。その教師は、これまでに何回もこの絵本を読んできたにもかかわらず、はじめて気づかされました。「赤ちゃんの妹がいるのね?」と驚きました。

 そこから、自分の家でもお父さんは女の子とはまともに話そうとしないこと、息子の名前にはしても、娘の名前はまったく考慮しないこと、チェーン店に加盟する時お母さんに相談したような感じはなかったこと、もし相談していたら違った結果になっていたかもしれないことなどについて話し合われたのです。

 片隅でこのやり取りを聞いていた担任の教師は、「子どもたちは、どうしてこんなに夢中になって話をしているの? たかが本の話についてなのに」と反応しました。

140 しかし、本について語り合い、そこに書かれていることを考えるということは、まさに人間が人間であることの基本的な部分ではないのでしょうか?
 太古の昔、人間は話すことで地球を語り、太陽や星や雨を説明してきたのです。何世代にもわたり、親は子どもたちを集め、自分たちの物語を話してきました。話を理解し、それに意味を吹き込んでいくことがなければ、宗教や科学や歴史とはいったい何なのでしょうか?

→ 『ギヴァー』で描かれているコミュニティーは、このことがまさに欠落している社会なのでした。そして、いまの日本も限りなく弱まっている気がします。そうしないためにも、たんに読み聞かせっぱなしにせずに、読んだことについて語り合うことが大切ですし、不可欠なのです。

141 日々の様々な局面において、「なぜ、このことが起こったのだろうか? 他の方法はなかったのだろうか? これは、他のこととどのようにかかわっているだろうか? これが世界にとって、また自分にとってどんな意味があるのだろうか?」と考えて問いかけてみることは、まさに人間が生きていくことそのものではないでしょうか。
 子どもたちが本について考えられるようにしていくことは、まさに生きていくこと全体にかかわることであり、読むことを教えていくことの本質とも言えます。そして、本を読んで考えていくことを教えていく極めて効果的な方法として、読み聞かせを使っての話し合いがあります。

→ 繰り返しますが、読み聞かせだけでは抜け落ちてしまうことがあるので、それを話し合いによって拾うことが大切なのです。気づけるようにするというか。

 子どもたちが本と一緒に考え、本に書かれていることと自分とのつながりを見いだし、場合によっては本に書かれていることに反対することもできるようになるために、教師は本についての話し合いを使い、最終的には自分の考えたことを表現できるようにサポートしていきます。

→ 本についての話し合いぬきの読み聞かせで、これを実現しようと思っても、難しい部分があります。聞いたことを受け入れるだけの受け身的な人間を作り出しているだけとさえ言えるかもしれません。(さらに言えば、聞いていてどれだけのことが理解できているのかは、読み聞かせた人はもちろん、聞いている本人すらわからない、といった状況かもしれないのです。) 『ギヴァー』のコミュニティーでも、これはやられていません。だからこそコミュニティーのルールに服従する人間を再生産しているわけです。しかし、ジョナスはギヴァーのサポートのもとに、話し合いをし、自分の考えももってしまいました。そしてそれを表現までしてしまったのです。

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