おもしろいタイトルの『ヒットラーのむすめ』(ジャッキー・フレンチ著)という本の紹介です。
ヒットラーの娘のストーリーを友だち(女)のアンナが「お話ゲーム」として話し続けるのを、その友だち(男)のマークが、間に受けて、「どうしたら善悪の違いはわかるのだろう?」「ほとんどの人が、ある人のことを正しいと思ってて、でも自分はその人が間違ってると思ったとしたら、どうすればいいのだろう?」「自分のまわりの人たちがみんな間違っていたら、自分はどうしたらいいのか?」「自分のお父さんが極悪人だったらどうしたらいいんだろう?」と考え続ける物語です。
その意味で、ジョナスの頭の中を渦巻いていたことに、ちょっと関連すると思いました。
実際にヒットラーの娘のお話をしていたアンナは、いったい何を考えていたのかな?
主には、スクールバスを待っている小さな待合小屋の中で行なわれた話なのですが、本の中では雨降りの日がやたらと多いのです。オーストラリアで、こんなに雨ばかりが降ることはほとんど考えられないのに。
従って、この雨に込められている意味は?
晴では、生まれないような話ということ?
そういえば、ジョナスのコミュニティでは晴れも雨もなく、いつも曇なのでしょうか?
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