この池澤夏樹著の本で一番面白いと思ったのは、最後の解説で、なだいなだ(ちなみに、このへんちくりんな名前は、スペイン語のnada y nadaから来ています。Nadaは「無い」という意味です。yは「and」です。従って「無いと無い」。つまり「何もない」です)さんが紹介していたことです。
解説者が、「全国ラジオ子ども電話相談室」の回答者をしていたときのことだそうです。
一人の小学4年生が電話をかけてきて、「日本は民主主義の国なのに、どうして代議士の子どもが代議士になるのですか」という質問をしてきた、と。(以下、文庫版の202~206ページのやりとりのダイジェスト版)
「それはねえ・・・ほんとうにどうしてだろう」
考えたら、こっちが分からなくなった。だから一緒に考えることにした。
「どうしてだろうねえ」
「どこかが間違っているのじゃないですか」
「そうに違いない。きっとそうだ。だけど、どこが間違っているのだろう?」
「そこが分からないんで、電話をかけたのです」
「親に聞いたかね」
すると、学校の先生に聞けと、そして学校の先生に聞くと、ラジオ子ども電話相談室に聞いてみろと言われたそうだ。(なださんは、ここで「たらい回しだ」と思い、なぜたらい回しと言うのだろうと思ったそうだが、それは子どもが電話をかけてきた主旨ではないので、後で考えることにしたそうだ。果たして、答えは出たのだろうか?)
「う~ん、学校の先生はそういったか」といいながら、ぼくは考えている(時間稼ぎをしていた?)と、
「もしかして、民主主義って、勉強するのに時間がかかることなんじゃありませんか」
ぼくは子どもの答えにしびれた。
「それだ。それだよ、君」
「なにが、それですか」
「時間がかかるということ。日本は、建前は民主主義の国になったんだ。でも、まだ、本当の民主主義になったとはいえない。だから親が代議士なので、子どもも代議士になる場合がまだ多いのだよ」
「選ぶ人が、まだ民主主義が分かっていないのですか」
「きっとそうだ。選ばれる方が、民主主義が分かっているかどうかも問題だがね」
「選ぶ人も、選ばれる人も、民主主義とはなにかが分かるまで、時間がかかるということですか」
「そうだよ、ぼくはそう考える。時間がかかるばかりでなく、さまざまな経験をして、そうなるための努力をしなければならないという意味もある。ともかくも、日本はまだ十分に民主主義になっていないということだ」
ぼくはなんとかそう答えて、「少し分かってきた」と、その子どもに許してもらったが、今でも、そのときのことを忘れない。
結局、どっちがどっちに教えていたのでしょうか? 「相談」というのは、所詮はこんなものなのではないでしょうか? 相談してくる側が、すでに答えを持っている。された側は、一緒に寄り添って聞き役をすればいい。(以上、なださんの解説は終わり。)
ひょっとしたら、「日本は民主主義の国なのに、どうして代議士の子どもが代議士になるのですか」という問題は、第14条の第2項の「貴族や貴族階級などの制度は認めない」に触れているかもしれません。制度化はされていないわけですが、実態はそうなわけですから。
他に気づいたことは、読みやすい憲法が書いてある、ということ。
その理由は、あの硬いのではなくて、英文をわかりやすく翻訳してくれているから。
(そもそも、あれを最初に訳した/書いた人たちは、読まれることを想定していたのかな、とさえ思ってしまいます。読まれない方がいいということを前提にしていたのでは、と勘ぐってしまいます。単純に、法律用語の限界??)
とにかく前文はいいです。これに反対する人はいるのかな?
冒頭で紹介したのと同じように、「日本は民主主義の国なのに、どうして天皇はいるのですか?」と小学校高学年の子どもが質問してきてもおかしくないかもしれません。(ちなみに、これは憲法第1~8条に書かれています。なんと、一番議論の多い第9条の前の8つの項目がすべて、そのことに費やされているのです。)
『ギヴァー』のコミュニティには、憲法はないだろうな~、と思ってしまいました。
あなたは、あると思いますか?
3500人のコミュニティには必要なくて、国家には不可欠なのが憲法?
日本の自治体レベルには「憲章」はありますが、憲法といわれるものは存在しません。
憲法は、国家にしか認められていない?
国家というのは、それほど構成員に対して拘束力を持つ存在??
なお、日本国憲法には、地方自治に関するものが、申し訳程度に第92~95条で扱われています。でも、実質は、憲法とは別の「地方自治法」という法律で決められているそうですから、そちらを見ないとわからないようになっています。(でも、これって、国の都合で決めた法律なんじゃないの??)