★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2013年3月2日土曜日

『教育再定義への試み』 1


 安倍政権の柱の一つが教育改革です。その中のひとつが、「いじめ対策」。
 いじめや子どもたちが犯す犯罪事件も含めて、教育について考えるときに大事な視点を提供してくれているのが、この本、鶴見俊輔著の『教育再定義への試み』です。
 初版が出たのは1999年ですが、古さは感じません。
 しばらく前にとっておいたメモから紹介していきます。(数字は、ページ数です)

2 1997年に神戸で14歳の中学生が9歳の小学生を殺し、その頭を胴からきりはなして自分の学校の門の前におくという出来事があった。
  子どもや生徒の殺傷事件が起こるたびの、親、教師、校長、教育委員会、大人社会全体の対応の仕方  ~ 「生命を大切にするように」という一般論の訓辞をしたということにも、共感できない。校長が、大臣や次官や銀行や証券会社の重役や(教育委員会の役人)とおなじく型どおりの言葉づかいで自分を守っていることにも共感できなかった。

この点について解説者は、

197 1997年の酒鬼薔薇聖斗事件を考えることは、そのまま教育を考えることだ、というふうに問題を立てている。
  教育が子どもを善導すると信じている凡庸な(と私には思える)人たちは、殺人を犯した少年に「教育の欠如」を見る。教育の欠如を見るゆえに、このような事件が起きるたびに、より一層の教育の必要性を声高に訴える。 ← 安倍さんに代表される政治家や教育委員会、管理職。企業や役所の不祥事しかり。「指導・教育を徹底します」 その切迫した調子が、さらなる国家による教育への介入を促すことになる。 ←「こころの手帳」、学力テスト、そして今度は道徳の教科化です。道徳を評価する/される者の立場にたって考えたことある人たちがこれを提案した人たちの中にいるのでしょうか? こうしてまた現状に息苦しさが加圧されていく。 ← 「学校ごっこ」の一つがまた増えるだけです。

198 鶴見は、まったく逆に、教育がもたらした痛みが一人の少年を酒鬼薔薇聖斗に仕立てたと考え、子どもが殺人を犯すに至るまでの教育の関与こそを問うのである。教育とは、男の子の未来をこのような殺人犯に仕立てていくような親、教師、子どもたちのかかわりがもたらした痛みのことである、と鶴見は述べる。

 『ギヴァー』のコミュニティでも、殺傷事件やいじめは起こると思いますか?

0 件のコメント:

コメントを投稿