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2013年3月3日日曜日

『教育再定義への試み』 2


鶴見さんの続きです。(とてもいい内容なので、しばらく続きます)

5 学校は、戦中から戦後へとファシズムを温存するトンネルの役割を果たした。途中数か月、トンネルがきれて青空のもとに教室がおかれたことはあったが。 ← なんと、わずか「数ヵ月」だけだそうです。少なくとも、鶴見さんはそう見ています!!

14 教師の器量が、教育の質をつくる。制度がかわってこそ完全な教育ができるという期待は、制度をかえることに成功したあとでその制度をむしばむ。そればかりか、制度をかえる運動そのものをも改革運動の最中からむしばむ力となる。 ← 要するに、上からの改革では悪くなるだけ!

15 試験につよい子どもをつくる幼稚園~大学。教師に飼いならされた受験犬になる。
 教師がなぜ正しい答えをもっているかを問うことはしない。
 自分で問題をつくるという作業は、受験本位の学校教育では、出番がない。
 自分で問題意識をもって考えろ、と大学でいっても、すでに、小~高でつくられた勉強のイガタは、大学でもこわされることはない。(大学教授たちも、ゆたかな社会の中のそれなりに激烈な受験戦争を勝ち抜いた人たちであり、自らの問題と模範解答を海外の最も新しく正しい学問の書物からうつしてきている。) ← なんと「受験犬」です!! 試験・受験は、いいことないどころか、悪循環を強化しているだけのようです。 ちなみに、『ギヴァー』のコミュニティーには受験犬はいません。ある意味で評価という観点では、理想的な評価をしている社会かもしれません。評価される側をアン・ハッピーにしない評価というか、ハッピーにする評価というか。もちろん、12歳で個々人が選べるようにしたらどうなるか、見たい気はしますが・・・・おそらく、長老たちの見立てよりもはるかにまずい選択になるように思います。

18 教育は、家庭がベース。
   病院の外で死ぬことが尊厳死。

19 東京でなくとも、大都会の中では、学校にいても、会社にいても、家庭にいても、社会が見えにくくなっている。
   小さい町、村、小さい島では、都会よりも、全社会がちいさいときから見わたすことができる。 ← スケールを下げる努力、見える関係づくりが求められています。

 『ギヴァー』のコミュニティーは、3500人です。

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