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2013年3月12日火曜日

「日本国憲法」を読み直す



井上さん続きで、井上ひさしさんと樋口陽一さんの対談集の『「日本国憲法」を読み直す』。(数字は、ページ数です。)
   
 226 「国家からの自由」と「国家による自由」の2つがある。 ~ 後者は、国民が国家を動かし、その国家を通しての自由を確保する(国民の意思を反映した国家によって確保される自由)、という意味
227 ジョン・スチュアート・ミルは150年ほど前のイギリス社会をモデルにして、ポリティカル・オプレッションとソーシャル・タイラニイという2つの言葉を使い、「国家からの自由」と「国家を通しての自由」の必要性をデザインしています。 ~ 国家および民主主義をつくり出す経験の長さがあまりにも違いすぎる!!!  単に、長さだけでなく、その質も。片や、単に絵に描いた餅?
  それと同時に、個人と国家のあいだに立ちはだかって個人を意識的、無意識的に圧する中間集団からの自由を確保しなくてはいけない。
    その典型例としての、“自粛”
228 独禁法
    「日本は本当に自由経済か」
229 大事なことは、自由経済の国なのだから国家は何もできないというのはウソだということです。自由経済であるからこそ独禁法をもっと厳格に運用して独占を壊す、あるいは制限して自由な競争がおこなわれるようにしなくてはいけない。
    なるほど、「国家を通しての自由」は、経済的な問題で考えるとわかりやすいですね。福祉なども一種の「国家を通しての自由」かもしれませんね。
    問題は、「表現の自由市場」です。
232 日本国憲法のタテマエとしては思想、表現の自由は優越的だということは広く認められている。しかし、実態としてはそれが機能していない。
234 家永教科書訴訟 ~ 教科書検定には大変な憲法上の問題があることを気づかせた。
235 パブリック = 自分という個人がより個人であるために、維持しておかなくてはいけないフォーラムのようなものを努力して大事にする。私たち日本人はこれを本当につくれるのだろうか? ← これは、日本にとっても、『ギヴァー』のコミュニティにとっても最大の課題ではないでしょうか?
236 国家というのはどこか信用できないんだぞという、この緊張の上に世の中が乗っかっているかどうかということの見極めです。(国家を自分にとっての他者として信用しないという見地と、自分たちの責任ある投票行動でその国家をつくっているという見地の)どちらがなくても(民主主義国家の国民にとっては)大変なことになるのです。


 日本のことについて書かれているのですが、まるで『ギヴァー』のコミュニティについて書かれているようにも読めました。 国家をコミュニティに置き換えるだけでいいのですから。

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