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2013年3月5日火曜日

『教育再定義への試み』 4


鶴見さんの本の4回目です。

40 教育は、それぞれ文化の中で生き方をつたえるこころみである。 ← 『ギヴァー』のコミュニティは、学校での教育は12歳(11歳?)までですから、それほど学校でのまなびは重視していないのかもしれません。基本的には、On-the-job重視です。

41 生き方の中にあるものとして死に方も含まれる。 ← 死に方に関して、『ギヴァー』のコミュニティは、それなりにこのことを考えて仕組みをつくっている部分がある気はします。生まれ方の対を成す形の死に方というのでしょうか?

   私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる。 ← もちろん、そうさせているのは周り(文部科学省、教育委員会、親、マスコミ)でもあるわけですが。この辺の関係は、『ギヴァー』のコミュニティではどうなっているんでしょうね?

66 アメリカで受けた15~19歳の(主に、ハーヴァード大学での)教育  ~  教育と反教育の両面があった

87 サークルでのまなびの大きさ
   個人との付き合いによるまなびの大きさ(梅棹忠男、今井美沙子)
  ← 鶴見さんにとってはハーヴァード大学での学び以外は、ほとんどこの2つ+本(?)が学びの源泉になっているようでした。それもきわめて長い期間。76歳になっても中学生13人とサークルを作って「みんなで考えよう」と話し合い、シリーズ3冊の本を出しています(『大切にしたいものは何?』『きまりって何?』『大人になるって何?』)。中学生の本音が出ていて、とてもおもしろいです。もともとは、KBS京都が企画・製作したテレビ番組だったそうです。自分から企画したわけではなくても、よく引き受けたもんです。やり取りを読んでいても、「好き」としか言いようがありません!

Frank Smithという人も、Literacy Clubを国語の授業ですることを1987年に出した本で提唱していました。それが読み・書き(+聞く・話す)をよく学べるベストの方法だと。同じことは、他の教科にも言えてしまいます。算数・数学クラブ、理科クラブ、社会クラブなどなどです。教師ががんばって教え続けるかぎり(教科書をカバーし続けるかぎり)は、いままでの悪循環を繰り返すだけ=鶴見さんの言葉だと「受験犬を作り出す」だけです。

このサークルの一つが、先日出したブッククラブの本でした。ブッククラブをし続けることで、どれだけの力や資質が身につくかに驚かれるでしょうから、ぜひご覧になってください。

 『ギヴァー』のコミュニティには、このサークルやクラブ的なものは残念ながらなさそうです。

95 ヘレン・ケラーとの会話
 「私がハーヴァードの学生だとこたえると、自分はそのとなりのラドクリフ女子大学に行った、そこでたくさんのことを“まなんだ”が、それからあとたくさん“まなびほぐさ”なければならなかった、と言った」 ← ヘレン・ケラーさん、ちゃんとわかっていたんですね。大学の価値が。
 ちなみに「まなびほぐし」は英語ではunlearnです。学ぶことと同じか、それ以上に大切といわれ始めています。もちろん、間違って学んでしまったことに関してですが。それが結構というか、かなり多いのが学校であり、大学であるということです。

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