★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2013年3月6日水曜日

『教育再定義への試み』 5


鶴見さんの本の最終回です。
(いつものことですが、書き抜き=引用しているところは、あくまでも私が「引っかかった」ところです。他の人が読んだらとうぜん引っかかるところは違うものになると思います。斜字は、私のコメントです。)

114 学校などなかった時代から人間の教育はつづいている。そこにかえって教育を考えるほうがいい。 ← 鶴見さんは自分の日本での学校体験があまりにもひどいことと、現状への厳しい目を持っているので、痛烈に批判的なのですが、学校外の教育との関係についてはしっかり見直しはしたほうがいいと私も思います。いまのキャリア教育/総合学習的なレベルでお茶を濁していては、まずいです。教員研修の一環として行われる会社(他組織)体験も然りです。

  教育されない力。それは教育をはじきかえす野性の力である。教育者のおもわくどおりに、生徒の力をためなおすことはむずかしいし、そういう努力をすることは、のぞましい教育ではない。教育と反教育の相互交渉の場を、のこすほうがいい。のこすなと言っても、のこるのだから、はじめから予測に入れておいた計画をたてるようにしたい。 ← まったく! 教科書が絶対なもの。教師のいうことが絶対なもの等々を見直すことも大切です。世の中すべてバランスですから。

115 13~14歳の中学生たちとの話し合いから出てきたこと:

  教師が自分を含めての問題を出してこない。親についてもそうで、親が子どもを含めて自分として、人生の問題を問うことがないということを、とてもはっきりと、なげかけてきた。

  教師や親が、尊敬されなくてはならないという考えは、現代では考えなおす必要がある。子どもたちの前に、自分自身をもっと前に出す方法を考えたらどうだろう。 ~ いい意味でも、悪い意味でも(?)モデルであることを自覚して。鶴見さんは、それを見事にしています。

  家庭は失敗を語り継ぐ場 ← これも学校と同じで、失敗はできるだけ隠しちゃって、できるだけ見えないようにしていますね。

116 親問題をすてない。
    親問題には、正しいひとつの答えを出せないものが多い。
119 いじめの問題も親問題である。 ~ 登校拒否も?
118 教師は、その正しい答えをどこで知ったか。
    教師は、その問題をどのようにして手に入れたか。
    教師は、その問題を自分でつくったのか。
 ← 114ページからこの辺までは、前回紹介した中学生たちとのサークルで(『大切にしたいものは何?』と『大人になるって何?』で話し合われている内容です。
146 教育は世界のどこでも国家の統制の下におかれるのが当然なのか?

165 私の自己教育の計画 ← 鶴見さん自身の、という意味。「計画」というよりは、「方針」というニュアンスに見えますが・・・
1. くらしそのものは、くらしの意識より大きい。そしてもっと重大なものを含んでいる。私自身のくらしは、私の考えをこえる重さをもつ。
2. 記録にのこるわずかの数の個人を越える偉大な個人が人間の総体にいる。人間の総体は、どんな偉大な個人より偉大である。
3. 専門の思想家の仕事をこえる仕事が、専門の思想家外の人の仕事にはある。教育専門家以外の人たちによって大切な教育がこれまでになされてきたし、今もなされている。そして、これからもなされていく。

0 件のコメント:

コメントを投稿