2014年哲学連載18回目/『哲学してみる』の9回目。
このテーマについて、絵本は「ひとはそれぞれ、たったひとりのわたしなのでしょう?それとも、他のすべてのひととおなじようなわたしなのでしょうか?」と問いかけています。
このテーマ、『ギヴァー』を読むにあたっては、極めて大きな切り口のような気がします。いろいろな選択の問題に代表されるように。
でも、わたしたちの社会は、どれだけの選択を幼稚園や保育園にはじまって、学校、大学、そして社会人になっても有しているのでしょうか?
この絵本では、このテーマの最後は「こうして、ひとは自分がだれなのかをよりよく理解していくのです」で結んでいるのですが、『ギヴァー』のコミュニティの住人と私たちの社会の住人にとって、この自分の理解度はどちらが果して高いのでしょうか?
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