日本でも、『ギヴァー』のコミュニティでも、「老年の家」を管理運営する側にとっては、住人たちがバラバラで依存した状況にある方が楽のようです。
「バラバラ」で「依存」したままで「受け身/主体性のなさ」は、日本の「老年の家」だけに存在するのではなく、あらゆる組織に蔓延しているのではないでしょうか。保育園・幼稚園にはじまって、学校や大学の各クラス。
そういえば、もう30年ぐらい前の話ですが、ある大学では学内で学生たちが数人集まって話し合うことすら禁止していたような記憶があります。
「自治」は管理運営する側からは、毛嫌いされるようです。コントロールする際の阻害要因でしかないと捉えているのでしょう。
「バラバラ」で「依存」したままで「受け身/主体性のなさ」は誰のせいか、というともちろん当人たちのせいでもあるのですが、より多くの責任は保育園や幼稚園、学校や大学には先生たちの側に、会社や国や自治体の政治の場合は経営者や行政や政治家の側にあります。(『ギヴァー』の中では、長老たち。)なんといっても「その他諸々」はバラバラにされ、そして受け身で依存したままに置かれ続けていますから、自分たちが主体的に動くのは至難の技です。
どうも、指導的な立場にある人たちは「その他諸々」に「自立して主体的に動かれては困る」と思っているようです。
そんな中で、行動を起こしたジョナスはすごい!!!
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