前回は、タイトルしか紹介しませんでしたが、今回は内容を。
以下は、本からの引用です。
まえがき
V 現在、私たちの生活にあらわれたもっとも明瞭な目に見える影響は、良きにつけ悪しきにつけ科学のもたらした技術によるものです。科学は良いとか悪いとかいう今日の大方の議論は、技術の価値に関するもので、科学のそれに関するものではありません。
・・・しかし、技術は科学の一側面にすぎません。長い目でみれば、重要性のもっとも少ない側面ということになるでしょう。
科学は、私たちの生存と安楽、娯楽と滅亡の道具をもたらしたのと別に、私たちの考え方に大いに影響しています。
人の考え方への影響はゆっくりと現れるのです。それはしばしば微妙で、かつ意識下でおこります。知識が改まると世界観が変わるでしょう。私たちが宇宙の中心なのではないと考えるようになったのも科学のせいです。私たちは迷子になった。少なくとも、まだ自分をとりもどしていない。宇宙における役割について、何世紀か前に知らされていたほど確かな知識は、いまはありません。人口は増えましたが、私たちは以前より孤独です。しばしば恐れすくんでいます。科学というものは、未来を知るための人間の努力のなかで最も頼るべきものといわれています(とどのつまり、予言が科学の最大の仕事です)。しかし、科学の時代に生きている私たちは、歴史上かってないほど未来に不安をいだいているのです。これこそ、現在までに科学が人の意識にもたらした最大の皮肉であります ~ 少なくとも、西欧世界ではそうです。 (ルイス・トーマスという人による「まえがき」は全部引用したいぐらいです。)
探究
2 「うまくいった」という感じが心の中に広がる瞬間がある。
私の友人の数学者は、ある日、8歳になる娘が偶然に<素数>を見つけたのをわきで見ていた。素数というのは、11,19,83,1023などのように、ほかのどんな整数(1は除く)でも割り切れない数のことである。
もちろん彼が教えたわけではない。「娘はそのことを“不公平な数”っていうんだ」と彼は言った。
「ぼくが“どうして不公平?”と聞いたら、彼女は“だって、公平にわける方法がないんだもん”だってさ。」
彼が喜んだのは、娘のチャーミングな話し振りや頭の回転のよさ(17個のペパーミントを友達に分けるとしたら?)ではない。むしろ彼女が<真実を科学的にさぐりあてる瞬間>を体験したことだ。彼女は独力で、ものごとの成り立ちを発見したのだ。
その瞬間わきおこる激しい満足感を言葉で表すのは簡単ではない....いま手にした世界の真理の美しさ! これこそが、科学者をゆり動かす魅力の源なのだ。 ← こんな瞬間こそを学校の授業で体験するようにできないもんでしょうか? 十分にできるのですが・・・
3 マサチューセッツ工科大学の理論物理学者であるフィリップ・モリソンは言った。「違いは考える対象にある。科学者たちはね、たいていの人々が本気に考えない、注意深く考えてみようとしないもろもろの領域に、日常の思考方法をぶつけてみるんだよ。
哲学者たちは科学のもつこの日常性にも、多様性 ~ 多様な考え方、多様な障害、そして落とし穴、多様な道ゆき ~ にも目を向けない。
・・・・とにかく、科学者たちが実際やっている仕事を見ることだよ。」
ところが哲学者や歴史家は本にとらわれている。
いや本によって目隠しされているというべきか。
11 「科学的な推論とは、<こうかもしれない>と<本当はこうだ>との対話である。
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