「老年の家」訪問以来、ずっと考え続けていることです。
『ギヴァー』のコミュニティは、友達関係も、職場でのやりとりも、そして家庭内も含めてすべて表面的なコミュニケーションしか成り立っていないようです。一方で、ビデオですべての行動は収録されているという社会です。そんなところでは、真のコミュニケーションというか関係など築けるはずがないと思えてしまいます。
翻って、自分たちの社会を見ると、
いいコミュニケーションやいい人間関係の築き方を学校や大学の授業で体験したり、習ったりした経験があるでしょうか?
授業では扱わなくてもいいほど、価値のないものなのでしょうか?
それでは、授業以外の休み時間や部活動等で学んでいるのでしょうか?
大学のゼミでは、自然と含まれていると思われますが、それは果たしてプラスの面とマイナスの面のどちらが多いでしょうか?
会社、そしてPTAや町内会・自治会などではどうでしょうか?
さらには、家庭では?
指導的な立場にある人たちも、いいコミュニケーションや人間関係を築きたくないわけではないと思います。単に、自分たちが経験していないし、方法ももっていないだけかもしれません。それとも、あまりにも深刻な悪習の中にドップリ浸り過ぎているのでしょうか。(後者ではないことを期待します。前者ならいくらでも体験して、方法さえ身につけられれば、可能性はありますから。)
今日の悲しいニュースです。
九州電力ばかりでなく、まったく機能しているとは言えない原子力安全・保安院が中部電力や四国電力にやらせ質問要請していたというのです。
そういえば、小泉政権時代には同じようにタウンミーティングのやらせが、安倍政権時代には教育改革タウンミーティングでのやらせがありました。
どうも、いいコミュニケーションや人間関係は最初から放棄しているようです。
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