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2016年11月29日火曜日

私たちは進化しているのか、それとも退化しているのか


これは、間違いなく『ギヴァー』のテーマの一つだと思います。

ギヴァーのコミュニティーは、近未来の社会は描いていると思います。
良かれと思っていろいろしたことが、結果的にそうはなっていない・・・・

似たようなことを、身近に体験したので紹介します。

一つは日々の暮らしに不可欠な給湯器を昨日替えました。
19年以上ももったのですが、寒いと自動的に停止してしまうので、いよいよ寿命と思って取り替えました。
いろいろな機能が追加されているのはいいのですが、工事をしてくれた人に、「これじゃ、19年はもちませんね?」と尋ねたところ、「はい、いいところ、10年です」という答えが戻ってきました。
生産者も、シンプルで壊れにくいのでは、儲からないので、機能を豪華にして(私が思うに、ほとんど必要ないものばかりなのですが!)、早く壊れて交換してもらうようにしたとしか思えませんでした。

もう一つは、翻訳出版には仲介をするエージェントというのが欠かせません。昔、洋書が手に入りにくい時代なら、こういうのが存在するのも致し方ないのかな、と思いますが、いまやクリック一つですぐに読める時代です。日本の出版社にも、英語でコミュニケーションがとれるスタッフは増えており、そういう仲介者の世話にならなくとも、直に版権をもっている相手の出版社(ないし出版社が使っているエージェント)とやり取りができる時代です(メールや電話で)。
しかし、そんな時代であるにもかかわらず、一方で「アウト・ソーシング」の方がいいということもあり、3か月、4か月とその仲介エージェントの返事がないというだけで、プロジェクトは止まったままということが、いま続いています。
そういう真っ只中にいる編集者を含めたスタッフたちは、自分が極めておかしな状況の中にいるということを気づけないようです。


皆さんが体験している「進化か、退化か」の事例を教えてください。


2016年11月2日水曜日

『ギヴァー』と関連のある本 116 


 タイトルは、『見えない糸』ローラ・シュロフ著(海と月社)。
サブタイトルは、「物乞いの少年とキャリアウーマンの小さな奇跡の物語」です。
実際にあったお話です。

『ギヴァー』の中のジョナスとガブリエル、あるいはギヴァーとジョナスの関係とよく似ていると思いました。

「友だち」とは、「家族」とは、を考えさせてくれる本です。

そして教育者ではなくても(教えなくても)、たくさんのことを学んで、自分のものにしてもらうことができることも(=教師ではなくても、教育はできることも)。★

たとえば、ケーキを一緒に作ることで、たばこやドラッグやお酒など頭と身体に悪いものについて話すことで、なぜ小銭を大きなビンに集めるのかという理由を話すことで、そして将来について話し合うことで。そして、いい体験をいろいろ一緒にすることで。

★ 逆に言えば、たくさん教えても、子どもたちが学びもしないし、自分のものにもできないことを、学校ではしている気がしないではありません(教師という役割をもっていても、教育は必ずしもできないことが)。そのベースにあるのは、「関係」以外の何物でもない気がします。

2016年10月29日土曜日

『ギヴァー』の感想

新潟の高校の国語の先生の押木さんが、以下の感想を送ってくれました。

これは、近未来小説だったのですね。最も恐るべき未来です。私は、あらゆる行動が監視され、スピーカーで司令が発せられたり、解放という名前で殺されたり、12歳の儀式で生涯の仕事(係)が〈任命〉されることに、違和感と不快感を覚えずにいられませんでした。思春期の個人的な感情を「高揚」と名付けられ、錠剤でコントロールされてしまうことにも恐怖を覚えました。コミュニティが(同一化)を選んだことで、安全と安定を得られたかもしれませんが、それによって、どれほどのことが失われたでしょうか。しかし、すでにその社会に生きる人たちは、恐怖や不快を感じられないのですね。自由を体験していないためにその価値を知らない。無知ほど恐ろしいものはないかもしれない。

ジョナスがりんごの色を感じた場面は、とても印象深く、変化への伏線だと感じ、ジョナスが特別な存在であることを予感しました。

彼が過去の記憶を伝達される「レシーヴァー」に任命されることで、ストーリーは一気に展開し、ジョナスは、今まで塞がれていた好奇心、知りたいという願望を解放されます。私は記憶を身体を通して受け取るというところに大きな意味を見出しました。とても象徴的だと思いました。記憶は知識ではないのですね。けれどもジョナスは、全身で感じるもの、しかも体験したものの言葉(名前)を掴むことまで課されていました。名前を手に入れるということは、記憶を、世界を手に入れることなのだと思いました。
飢餓や戦争の記憶を引き受けたジョナスは、記憶など欲しくないと思います。しかし「愛」の記憶を体験したとき、ジョナスは、決定的に自分たちの生きる記憶のない世界がおかしいことに気づきました。老人を排除しないこと、色を知覚できること、愛があること、記憶があること。この4つが、ジョナスの理想とする世界に選ばれていることに私は意味を感じました。

もう1つ衝撃的な場面は、ジョナスが「解放」の本当の意味を知る場面です。その後ギヴァーは、「ものごとは変わらねばならない」と気づくのです。解放とは恐ろしい言葉です。役に立たない、不要になった存在を、死に至らしめる。
この物語は、ジョナスがゲイブリエルとともにコミュニティを抜け出し、〈よそ〉に向かうところで終わっています。記憶は消えていき、寒さと飢えの中、ただゲイブリエルをしっかり抱いて〈よそ〉にたどり着いたとかんじさせるところで終わります。音楽が聞こえてきたようだという表現から、私たちはジョナスの勇気が勝利したことを察するだけです。この終わり方は、やはり、私たちに勇気を持って、〈ものごとを変えなければならない〉と訴えているのでしょう。しかしすぐに動き出せないのが、私です。やはり仲間と信頼できる師、がいてほしいと願ってしまう。清々しい読後感の一方に、私は不安を抱いてしまうのです。

2016年10月22日土曜日

『7(セブン)』


『ギヴァー』と関連のある本としても扱えると思うのですが、控えめに外しました。

書かれている内容は、以下の通りです。というか、私が面白いと思ったところを書き出しました。(~ 以降の斜体は、私のコメントです。また、本にはページ数はありません。)


どう生きるかを選びましょう! どんな困難が待っていようと、いつもそれだけは忘れないで! 人生を漫然と浪費し、存分に活用しないのは、なにも選択しないのと同じことです。   ヘレン・ケリー(修道女)

誰もが毎日すべきことが3つあります。生きている間、1日も欠かさずにすべきことです。1つは、笑うこと。もう一つは、考えること。そしてもう一つは、涙を流すほど心を揺さぶることです。幸せの涙でも、喜びの涙でもいい。笑って、考えて、泣く ~ 中身の濃い1日です。

「毎日を大切にすること。1日1日を自分の全生涯だと思って生きること。それを実践すると、それまでの人生より充実した毎日をおくれるようになりました」  ~ これはよく言われること。でも、どうやって?!

私はこの30年、毎朝鏡を見て、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だとしたら、これからやることを本当にしたいだろうか?」と。 もし、答えがノーの日が続くようなら、なにかを変えるべきだと判断します。
       スティーブ・ジョブズ(スタンフォード大学の卒業式スピーチで)

あらゆるものを はじめてのつもりで見てみよう。

初心とは、「いっさいの予想や期待、判断や先入観のない無垢な状態」 初心の持ち主は、なにも知らないまっさらな状況を大いに楽しむ。

仕事は、あなたが子どもに虹を見せるまで待ってくれる。でも、虹は、仕事が終わるのを待ってくれない。   パトリシア・クリフォード

「リンゴの瞑想」 ~ 目の前のリンゴのことだけを考え、堪能する。リンゴをありのままに味わい、リンゴを食べるという行為に集中し、その瞬間に没頭する。いまを大切にすれば、もっと生き生きとした人生をおくれる。リンゴを味わえる人は、人生も味わえる。

人生の小さなことは、小さなことではない。

人生の目的を見つけるには、「なにがあなたをいきいきとさせ、これこそ本当の私だと感じさせてくれるかを考えよう」「それが見つかったら、あとはそれを追求すればいい」

幸せで心穏やかな人生をおくるための指針は ~ 自分の価値観に従って、毎日を生きよ。
価値観とは、自分にとってなにがいちばん大切かという基準のこと。
幸いにも、価値観に従って生きることは、いつでもすぐに始められる。

よい人生をおくりたければ、自分によい問いを投げかけるといい。問いは、ものごとを動かす触媒だ。思考を揺さぶり、刺激を与える。それは、案内図となり、期待をもたせ、行動をうながし、新しい出発点にもなる。だから、できるだけよい問いかけをしよう。 ~ 質問が答えを決める!!

人生を逆さまに生きていないか?
まず、ありたい自分になり、そのために必要なことをし、その結果として、モノやカネや名声を手にするべきなのだ。

毎日、時計が深夜零時を回ると、86,400秒が自動的にあなたの人生体験に加わる。それはあなたのいちばん価値ある財産だ。そのうちでどれだけの時間、感動を味わえるだろう? どれだけの時間、一生忘れない経験ができるだろう? 時間の使い方を決めるのは、あなた自身だ。人生の1秒、1秒は使って楽しむためにある。1日の間に活用しなかった時間は、二度と返ってこない。

週8日あったら、8日目はどう使う? ~ 究極の価値観を鮮明にする質問?

どのように日々をおくるかは、
どのように人生をおくるかにほかならない。
        アニー・ディラード(作家)

いちばん大切なことに使う時間は、かならずある。

ただ息を吸って吐いているだけで、生きているつもり? ~ 多くの人は、それさえ意識していない!

人生は義務ではなくチャンスなのだと気づいたとき、人はいっそう幸せになれる。
                                                        メアリー・オーギュスティン

「どうしてうまくいかないの?」 → 「どうすればうまくいくの?」

あなたの名刺に仕事の高次のミッション(使命)や目的を書こう。

楽しくないことを なぜするの?

有名なサウスウェスト航空の原則
     ユーモア精神のある人を雇う。
     人々が遊び心を発揮できるよう後押しをする。
     誰よりも最初に笑う。
     誰かを笑うのではなく、誰かと一緒に笑う。
     深刻に働くけれど、深刻にはならない。

あなたはいま、人生の重要な部分で何%の幸福度を感じているだろう? ~ 50%に満たない部分があるなら、その生き方はいますぐ変えた方がいい。

ずっとやりたいと思っていて、まだやれていないこと。→ 今日、私がやることは・・・

リスクから逃げていたら、新しいことはなにもできない・・・新しいことに挑戦しよう。生きることを楽しむのだ。クレイジーに、そして大胆に。自分にブレーキをかけるのはやめよう。居心地のいいところに留まっていないで、どんなときも限界に挑もう。

常識、思い込み、偏見から解放されよう! ~ 考え方を変えて、人生を変えよう

なにをすれば自分がいきいきとするのかを考えて、それを実行しよう

What a Wonderful Worldの歌詞

自分のための祝日を設定し、過ごそう  ~ 「わたしの日」になにをする??

東洋や南の島には、時刻を数字で言うのではなく、“なんの時間”かで表現する地域がある。宴の時間、魚釣りの時間、人助けの時間、聖なる時間、怠ける時間・・・


驚く時間を大切にしよう!

2016年10月21日金曜日

原発処理に総額30兆円 既に国民負担14兆円



原発で、さんざん儲けた人や組織があります。
まずは、その人たちから集めることが先決ではないでしょうか。

しかし、その人たちは利益集団ですから、意思決定に圧力をかけられます。
それに反して、声なき民は、ものを申す媒体がありません。(結果を聞くだけ)

これって、戦争が起きた時と同じなんだな~と思ってしまいました。

すべてのしわ寄せは、ものを申さない国民へ、です。


こういう社会であり続けていいんでしょうか?


2016年10月14日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本 115


それは、『5(ファイブ)』ダン・セドラ著です。

あなたの人生最良の日は、「自分の人生は自分のものだ」と決めた日だ。言い訳をするのはやめよう。他人を頼みにするのも、当てにするのも、責めるのもやめよう。人生は、あなたに与えられた宝物 ~ すばらしい旅だ。そして、このたびに責任を負っている人は、あなたをおいてほかにない。

あなたの旅は、あなたが下す選択によって決まる。あなたの答えは、あなたがたずねる質問によって決まる。あなたの目的地は、あなたの歩みによって決まる。そしてあなたの未来は、あなたの今日の行動によって決まる。

これだけ読んでも、十分に関連がある本だと思いませんか?

アプローチの仕方は大分違いますが。

私の好きなドクター・スースの『きみの行く道』の中の一文も引用されています。

  きみの頭のなかには脳が、靴のなかには足がある。
  きみは自分が選んだ方向に、自由に進むことができるのだ。
  きみはもう一人前の人間だ。たくさんのことを知っている。
  さあ、自分の頭で考えて、好きなところへ行きなさい。


2016年9月30日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本114


本は、『アイデアたまごのそだてかた』コビ・ヤマダ文、メイ・ベソム絵です。

こういう感じではじまります。

あるひ、ちいさな アイデアが うまれた。

「どうして こんなこと、おもいついたんだろ?」
うまれたての アイデアたまごを ながめながら、
ぼくは くびを ひねった。

最初のうちは、僕とは関係ないと、その卵を放っておいた。

でも、アイデアたまごは ぼくに ついてきた。

友だちに見られたら、と不安になって、たまごを隠したりしたが・・・・、でも

アイデアたまごの ちかくに いると、げんきが でて、
しあわせな きもちに なったんだ。

そして、友だちになった後、みんなに見せに行ったが、

「きみの わるい たまごだなあ!」
「きたい したって、なんにも うまれて きやしないさ」

と言われて、僕の勇気もしぼんだ。

でも、そのとき、はっと きづいたんだ。
いったい みんなが なにを しっているんだろう?
これは ぼくの アイデアだ。
みんなと ちがってたって、かわってたって、
ちょっとばかり おかしくたって、かまうものか!

そして、たまごはドンドン大きくなって、僕は、前よりもずっとアイデアたまごが好きになった。

そして ついに あのひが きた。
アイデアたまごが とつぜん へんしん したんだ。
アイデアたまごは ・・・ あたり いちめん いろを ふりまきながら、
そらへ すいこまれて いった。

ぼくの となりから、アイデアたまごは きえた。
でも、いなくなった わけじゃ ない。
アイデアたまごは せかいと ひとつに なったんだ。

あたらしい せかいは、ぼくに おしえてくれた。
アイデアたまごは だれの なかにも いるってことを。
そう、きみの なかにも。
いったい、なんのために だって?

せかいを かえるためさ!


どうですか、『ギヴァー』と比べて?


そして、裏表紙には、以下のようなことが書いてありました!!
(全部を見るには、コピーをクリックしてください。)


2016年9月21日水曜日

原発の廃炉費をすべての電力利用者(=国民)負担へ


原子力政策の限界鮮明に

政治(日本の場合は、政治家+官僚+民間企業の三位一体の場合が多いわけですが)の無策/展望のなさが、結果的に国民への費用転化で幕引きとなるケースが多すぎます。これは、その象徴的なケースに過ぎないわけで・・・・

これで、私たちの国は民主主義を実践していると言えるのでしょうか?

ごく少数の利益を得る人たちのやりたい放題のままで。

そして、圧倒的多数の国民には「声」を出す方法をもたないままで。(選挙は、「声」とはまったくの別物です。)

『ギヴァー』の中でジョナスは、「声」どころか、行動に出ました。
いまの私たち国民に求められているのも、そういうことなのではないかと思うのですが・・・
それとも、いつまでも「ごく少数の利益を得る人たち」の尻拭いをし続けることで満足することでしょうか?

~~~~
ちなみに、この記事を載せたのは地方紙が中心で(プラス毎日)、全国紙のほとんどは掲載していません。特に、読売は日本の原子力政策に最初から推進し続けている新聞社ですから、記者が書きたくても組織レベルでストップがかかると思います。(その意味では、三位一体ではなく、四位一体になります!)


2016年8月2日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 113


久しぶりの「関連のある本」です。
『わが道はチベットに通ず』サブリエ・テンバーケン著を読みました。
盲目のドイツ人女子学生が、チベットの子どもたちのために、ラサに盲学校を開校するという話しです。
とてもいい本なので、オススメです。

最初は、私が印象に残った部分の抜書きを考えたのですが、彼女の生の声をそのまま伝えた方がいいと思ったので、コピーさせてもらいました。(これだけの量のコピーはまずいなら、教えてください。削除しますので。)
人生を歩む上で、仕事をする上で、いろいろな意味で、大切なことが詰まっていると思います。


残りのコピーは、彼女がドイツの国(途上国援助を司る部門)とNGOと決別する箇所です。当初、彼女は国の援助をもらうのが一番手っ取り早く、その手段としてあまり考えることなく(かなり適当に)その受け皿となるNGOを選びました。そのしっぺ返しが数年後に来たわけです。しかし、決別以後は、逆に順調に進んでいるようです。



 パウル、ノルドン、アニラは、チベットの現地スタッフ。パウルは彼女のパートナー(オランダ人)です。


これを読んでいると、日本の国内の諸々の関係に当てはまったしまう気がしました。

たとえば、文科省と中間に入る教育委員会と学校との3者の関係などです。
決別した方が、はるかにいい教育は実現します!!


『ギヴァー』のコミュニティにも、こうした必要のない関係というか、ゆがんだ関係はあるかな??


2016年7月26日火曜日

参議院選 → 都知事選


 単純に、巨額の税金の無駄遣いが今月に2回あります。
それだけのコストをかけても、社会や政治がよくなるわけではありません。
「身近度」では、今回の方に軍配が上がります。

ラジオでの政見放送を聞いていると、マスコミで取り上げられる3人と、その他の方々とはまったくと言っていいほど差がありません。ひょっとしたら、よりまともなのは、後者の中にいる気さえします。
しかし、後者の方々は、どうあがいても当選は無理です。当選できないことがわかっているのに、なぜ立候補しているのでしょうか? 自分の言いたいこと(の一部)が言えるから??

以前に紹介した『希望(ホープ)のいる町』ジョーン・バウアー著の中で起こっていることが、実際に起こっているかもしれないと思わせてくれる人もいます。
しかし、如何せん選挙期間が短すぎます。
『希望(ホープ)のいる町』で起こったようなことが東京で起こるには、もっと長~い選挙期間が必要です。私のまちの市長選や市議会議員選ですら、もっと長い期間が必要です。
その代わり、何の意味もない(というか、効果的にはマイナスしかない)「うるさくがなりたてる」選挙カーはやめるべきです。単なる騒音公害以外の何物でもありません。
たとえば、こういうふうに変えるだけで、違った選挙→政治になるかもしれません。
(いずれにしても、これまでに何度も書いてきたように、既存の仕組みは機能していません。というか、既存の政党を優遇するための仕組みとしか言いようがありませんし、世の中の半数以上の人たちは、その仕組みにNoを突きつけていることは明らかです。)

候補者と有権者との継続的なつながりこそが、選挙に意味を持たせる確実な方法のように思います。
それは、いったいどの規模なら可能なのでしょうか?
スウェーデンをはじめ北欧諸国ではやれていると思います。


『希望(ホープ)のいる町』や『ギヴァー』なら確実にOKです。


2016年7月23日土曜日

『共感の時代へ』という本


著者のフランス・ドゥ・ヴァールは、オランダ生まれの心理学者、動物行動学者、動物学者です。霊長類(主に、チンパンジー)行動の研究では、世界の第一人者として知られています。

この本の最初の数ページに以下のようなこと(彼の専門外のこと)が書かれていたので紹介したくなってしまいました。

 この悪夢(2008年の世界的な金融危機)を招いたのは、四半世紀前にアメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相が導入した、いわゆる「トリクルダウン」経済で、市場は見事に自己統制するという心強い言葉が当時まことしやかにささやかれた。もうそんな甘言を信じるものはいない。 ~ なんと、日本の有権者の半分以上は、同じことをいい続けている安倍さんの甘言を信じ続けているというこっけいな状態にあります。

 どうやらアメリカの政治は、協力と社会的責任を重んじる新時代を迎える態勢に入ったようだ・・・生きる価値のある社会を築くことを、社会から物質的豊かさを引き出すことよりも大切にする。 ~ ここで、著者は空振りをしています。結果的にアメリカはそうはならず、今回の大統領選挙では、その振り子が真逆に揺れている感さえします。それは、日本も同じです。東日本大震災という天災の危機を活かすことができず、「生きる価値のある社会」とは何かを忘れたままで、あっという間に、物質的豊かさの追求に逆戻りです。

 ハリケーン・カトリーナは、アメリカという国が第三世界的な要素を色濃く持ち続けていることを世界にさらけ出してしまった大惨事でしたが、それと比較して、著者の母国の「国土の大半が最大で6メートル余り海面よりも低いオランダでは、堤防は神聖そのものなので、政治家たちはそれについていっさい口出しできない。治水は、技術者と、建国にすら先立って設立されていた地元の委員会の手に委ねられている。考えてみると、これまた政治に対する不信感を反映している。政治と言っても、大きな政府ではなく、目先のことしか頭にない大半の政治家のことなのだが」(12ページ) ~ ここは、東日本大震災を含めて、日本の地震や津波対策にそのまま呼応しています。日本の場合は、技術者や地元の委員会ではなくて、中央の政治家や電力会社や原発村の住人たちに任せっきりの状態が続いています。

以上は、本のタイトルとは若干関係ない気がします。(いや、あるのかもしれません!)
関係ある部分については、
をご覧ください。

彼が実際に話しているところは、

で見られます。

2016年7月5日火曜日

『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』マーティン・ファクラー著を読んで


このタイトルにあるような内容について考えていたタイミングで出てきた本なので、早速読んでみました。書いた人は、日本人ではなく、日本での取材・執筆経験の長い外国人ジャーナリストです。日本人ジャーナリストには(しかも、組織に属していては)書けない内容です。もし、日本人でこのテーマについて書いている人がいたら、ぜひ教えてください。

 1~2年前に、朝日新聞とテレビ朝日がバッシングされたこと(それも、政権によって)が、かなり詳しく書いてあります。確かに、朝日側の非は否定できなくても、確実に政権側の意図があった、というのが著者に言い分です。それに対して、他の報道機関がこれをチャンスに、朝日たたきに乗っかるところが極めて日本らしいとも。(アメリカであれば、会社へのアイデンティティよりも、ジャーナリストとしてのアイデンティティの方がはるかに大きいので、そんなことはあり得ない、と。著者自身、AP通信社、ウォール・ストリート・ジャーナル社、そしてニューヨークタイムズ社の日本支局に属していた!)

 以下、数字は本のページ数です。

43 日本外国特派員協会での記者会見から逃げる自民党(というか、安倍政権) ~ そこで記者会見をしても「メリットはない」と割り切っているからです。それに対して、公式の記者会見(そこからは外国人やフリーのジャーナリストは除外されています。「質問するときは、所属と氏名を言ってください」という司会者の言葉にそれが表れているわけです)では、外国人やフリーのジャーナリストたちは、価値のある情報は何も得られるはずがないと思っています。そして、それをありがたく報道する機関に成り下がっているのが、日本のメディアだという主張です。それを、ジャーナリズムと呼ぶことはできない。政府の単なる広報機関でしかないわけですから。

88 慰安婦報道に関して、安倍首相は国会答弁で「朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報により、多くの人が苦しみ、そして悲しみ、そしてまた怒りを覚えたわけであります」と言いました。「個別の報道機関の記事については本来コメントをするべきではない」と言いながら、特定のメディアを名指して、「朝日新聞が国際社会に悪影響を及ぼした」と一方的な批判をし、「苦しみ」「悲しみ」「怒り」という言葉を用いて、人々のエモーションな反応を引き起こそうとしました。
 と著者は書いています。国際社会では朝日新聞を誰も読まれていないのに、です。

107、116~120 ネット右翼によるやりたい放題を放置する政権
134~136 ネット右翼の横暴に青信号を出している安倍政権

180 「世界報道自由度ランキング」で61位に転落した日本
 これは、ジャーナリストによる国際NPO「国境なき記者団」が毎年発表しているもの。2009年は、第17位。2010年は第11位と、上位にランクインしていた。それが、原発事故以降、低下傾向を見せはじめ、安倍政権になってからは悪化の一途をたどっている。2014年は第59位。2015年は第61位。
 民主主義のバロメーターの一つといえる、報道の自由がある国とは思われていない実態がこの国にはあるということです。

232 安倍政権のメディア対策とは関係ありませんが、「日本の世論調査は誘導尋問のような“世論操作”」だということです。アンケート調査は、出してもらいたい答えありきで、質問項目を考えられるということです。その結果、あたかも客観的な声を聞いているような錯覚を読む人や見る人に起こさせることができるわけです。
 これも、民主主義の自由度を奪う行為です。

 『ギヴァー』のコミュニティでも、似たようなことは行われているでしょうか?


2016年7月3日日曜日

選挙の季節の到来


 また、騒々しいだけで、何も変わらない季節がやってきました。(市議会選挙よりは、騒音レベルははるかにマシですが。)
 その民主主義とはお世辞にも言えない日本の選挙について考える2冊の本を読みました。
 一冊目は絵本です。『こどものとうひょうおとなのせんきょかこさとし著
もう一冊はヤングアダルトの『希望(ホープ)のいる町』ジョーン・バウアー著です。(実は、この著者が書いた『Stick』という本を読みたかったのですが、まだ訳されていないので、一番人気のこの本を代わりに読んでみましたが、思わぬヒットでした。)
一生に一度は、こういう選挙に関わってみたいと思います。
かこさんの絵本もそうですが、決定的に大切なのはスケール(規模)だと思います。
 スケールが小さいところですら民主的な物事の決め方ができない私たち日本人ですから、それ以上規模の大きいところでは、すべてが茶番になってしまいます。(そうなると、そんなところでの意思決定はすべて、茶番の上塗り以外の何物でもない?ことになります。)

 ギヴァーのコミュニティのスケール(人口約3500人)がちょうどいい規模です。

 でも、北欧やオランダあたりは、規模が大きくなっても、結構うまくやっている感じです。いったい何が違うんでしょう? 改憲云々の前に政治家の人たちは、これをまずは学ぶところからスタートしてほしいです。


2016年6月28日火曜日

SNSによるストーカー事件 と 『ギヴァー』


ラジオを聴いていて、「女子大生刺傷事件から1か月~なぜ防げなかったのか」というテーマでゲスト(小早川明子さん=NPO法人ヒューマニティ理事長)へのインタビューをしていました。
 これまでもストーカー事件は存在しましたし、その凶悪性は指摘されてきましたし、それなりの対処もされてきました。が、昨今の「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」による場合は、それがなかった時とは根本的に変わっているというのです。
 小早川さん曰く、使い手や警察が、SNSを知らないし、コントロールできていない、と。
 どちらかといえば、それが一人歩きをしている感じです。
 それは、都会で電車の中の風景を見たり、歩行者が歩いているのを見てもわかります。
 スマホを見ている人が、前者では8割以上、後者も3割ぐらいいる感じです。
 この光景を宇宙人が見たらどう思うでしょうか?
 あるいは、『ギヴァー』のコミュニティの人が見たら。
 「おかしい!」「異常だ」ではないでしょうか?

 これと、SNSによるストーカー刺傷事件は、密接につながっています。

 要するに、コミュニケーションのあり方が根本的に変わりつつあると言ってもいいかもしれません。

 『ギヴァー』のコミュニティは、一方で未来的な社会という感じがしますが、しかしスマホやコンピュータなどを各自がもつことは許されず、一対一の話し合いやスピーカーを通じた伝達が中心のコミュニティです。ギヴァーのコミュニティを、コミュニケーションの観点で分析してみると面白いかな、と思いました。(殺傷事件は、起こりえるかな??)もう一つは、テクノロジーもでしょうか? さらには選挙が近いので、意思決定も? (ギヴァーのコミュニティでは、選挙というのはなさそうです。なぜ、ないのか?)

2016年6月26日日曜日

アベノミクス 前進か後退かではなく


まったくです。
読売新聞は自民・公明与党の、朝日新聞は民進党の広報紙なので、紹介すること自体しません。最初から何が書かれているのか読まなくても分かってしまいますから。

要するには、今回の選挙は(いつものことですが)まったく選択肢が提供されていない中で有権者は投票させられることを意味します。
「いったい何これ?」です。
選択肢のない選挙は、選挙と言えるのでしょうか? 
単なる、選挙に費やす税金の無駄遣いでしかないのでは?

ということで、主な争点に関しては、選択肢がないのですが、隠れた争点(与党側は少なくとも争点にしたくない?)では、明確な結果が選挙後にすぐにでも表れます。
改憲です。
改憲には反対の有権者が多いのですが、ここで目をつぶって他の要素で選んでしまうと、ここは好むと好まざるとに関わらずついてきてしまうという構造になっています。
前回の選挙でも、ここまで考えた人は少なかったと思いますが、結果は明らかでした。

そうなると、私たちには選択がないようで、あると言えるのでしょうか?

『ギヴァー』のコミュニティでは、こんなアホなことにこれだけの税金を投入して「民主主義」を演じるようなことはしないと思います。もっと、宮本常一が『忘れられた日本人』の中で描いていた村社会の決め方をしている気がします。どちらかといえば、中世的な・・・・民主的なものごとの決め方って何なんでしょう???

2016年6月25日土曜日

イギリスのEUからの離脱


  昨日のビッグニュースです。

 予想された僅差の結果になりましたが、それをもたらしたのは移民の流入に対する嫌悪感だったようです。自分たちの職を取られたり、福祉等でその人たちをサポートすることに耐えられなかったと。

 今回の国民投票が脚光を浴びていたのは、それが単にイギリスだけでなく、他の多くの国に飛び火する可能性をもっているからです。崇高なヨーロッパ共同体の崩壊の第一歩と捉えられていたからです。

 しばらく前に、スコットランドのイギリスからの独立を問う国民投票も行われ、あの時は僅差で独立は免れました。これからは、しばらく離脱や独立のうねりが強くなるのでしょうか? それはイコール門を閉じたり、壁を厚くする動きです。 それとも、これまでが門を開けすぎたり、壁を薄く、しかも低くしすぎたのでしょうか?

 ギヴァーのコミュニティには、3500人しかいません。

 私たちが一体感を感じられるスケールが問われています。


2016年5月31日火曜日

現首相の安倍さんという人??


何もしなかった/できなかった民主党から政権を奪取してから、いったい何をしてきたのかな~、と考えましたが、結局何も浮かびませんでした。
しなくてもいいことや、景気のいいことは繰り返し言っていたようには思いますが(それに、国民の多くは踊らされ/ごまかされ続けたわけですから)、結果的にはゼロないしマイナス?という感じです。(ということは、前政権時代と同じ?)

そして極めつけは、消費税の棚上げ。延期はやむなし、という部分もありますが、自分がそれを決断することから逃げました。

となると、安倍晋三という人 ~ 結局、政権にしがみついているだけで、何もせず、そしてこれからも何もしない人と言うしかないように思うのです。

2016年5月10日火曜日

ガイドブックをもった旅行者と探検家の違い


『旅する哲学』by アラン・ド・ボトンには、『理解するってどういうこと?』byエリン・キーンの中でも扱われたなつかしい2人が登場します。エドワード・ホッパーとヴィンセント・ヴァン・ゴッホです。
それらもおもしろかったのですが、私が今回紹介するのは、「未知なるものの魅惑」というタイトルの第4章で、著者自身がスペインのマドリッドを訪問していたエピソードと、類稀なる探検家+博物学者のアレクサンダー・フォン・フンボルトの旅を対比しながら書かれたものです。

ガイドブックの有り無しが、旅を面白くもするし、面白くなくもする、とド・ボトンは書いています。
南米中を調べてヨーロッパに帰ったとき、フンボルトは関心のあるグループに取り囲まれて、お祭り騒ぎになりました。そして著者はこうも書いています。「フンボルトがサボテンの周りを回ったり(なんと、周囲が1.54メートルもあった!)、温度計をアマゾン河に突っ込んだりしたとき、彼自身の好奇心も他の人たちの関心に導かれている感じがあったに違いない。そして気だるさや体調の悪さにおびやかされる避けようのない瞬間にも、他の人たちの関心が支えになったに違いない」と。

さらに147~148ページにかけては、以下のように書いています。
「もうひとつ、問題がある。先に来て事実を発見した探検家たちは、同時に何が重要で何が重要でないか、区別する線を引く。区別は何度も繰り返されるうちに固定化され、マドリッドではどこに価値あるものが存在するかについて、ついにはほとんど動かし難い事実となってしまう。ラ・ヴィリャ広場は一つ星、王宮は二つ星、ラス・デスカルサス・レアレス修道院は三つ星、オリテンテ広場は無印といったふうに。
 区別は必ずしも間違いではないが、区別の効果となると、これはもう有害だ。ガイドブックはある場所を褒めるとともに、訪問者に権威ある熱狂ぶりを共有するようプレッシャーをかける。ガイドブックが沈黙している場所については、歓びも関心も抱いてはいけないみたいない気にさせてしまう・・・
 フンボルトは、こんな脅しに悩むことなどなかった。彼の旅路を辿ったヨーロッパ人はほとんどいないし、先行者がいないことが彼に想像の自由を与えた。自意識にじゃまされることなく、自分は何に興味があるか決めることができた。他人の積み重ねに従うことも故意に反抗することもなく、自分自身の価値の区分を創り出すことができたのだった。
 リオ・ネグロ河畔のサン・フェルナンド伝道会に着いたときにも、フンボルトはすべてが興味深いか、それとも興味を惹くものなどないか、考える自由を持っていた。彼は好奇心のおもむくままに従って、彼の旅行記の読者にとっては別に驚くほどのことでもないが、植物の許へと行き着く」

 この辺を読んでいて、ガイドブックと教科書の関係や、旅行者と探検家の違いについて考えてしまいました。後者は、科学者、歴史学者、地理学者、数学者と言い換えることもできると思います。
 それは、『算数・数学はアートだ!』の21~28ページで紹介されている「三角形の面積」についての旅行者アプローチと探検家アプローチの違いとも言えます。
 ガイドブックつきの旅行者(=数学者としてではなく、教科書を突きつけられた教室の中の生徒たち)にワクワクした発見などは何もなく、すでにすべてが明らかにされているものを覚えるしかない苦役しか残っていないのか、と。

 さらに、ド・ボトンはとても大切なことを書いてくれています。
 「フンボルトの興奮が証言するのは、世界について正しい質問を持つことの重要さである・・・
 不幸なことに、旅行者にとってほとんどの対象は質問をともなわない。問いかける姿勢さえあれば、対象に価する興奮も生まれようものを・・・
 (ガイドブックの)この情報は、どうやったら好奇心が目覚めるのか、何のヒントも与えてくれない。
 (大きな問い)とは、フンボルトにとっては「なぜ自然には地域による変化があるのか?」というものだった。イグレシア・デ・サン・フランシスコ・エル・グランデの前に立つ人にとっては、大きな問いとはこういうものではないだろうか ~ 「なぜ、人々は教会を建てる必要を感じたのだろう?」さらには「なぜ、私たちは神を拝むのか?」
 このようなナイーヴな出発点から、好奇心の連鎖は成長するチャンスをもつのではないか」(157~160ページ)

 ガイドブックを片手に、カメラを片手に持った旅行者には、こういう問いを発する暇は与えないようです。教科書を片手に、鉛筆(チョーク)を片手に持った生徒たち(や教師たち)にも持たせないのと同じように。

 ちなみに、「1802年の6月、チンボラソ山の10インチ幅の尾根で蠅に好奇心を持つところまでフンボルトを導いた質問の連鎖は、遥かに遡って7歳の時に始まる」というのです。「ベルリン育ちの少年は、ドイツのほかの地方に親せきを訪ねたとき、自問したのだった ~ 「なぜ、どこでも同じものが育たないのか?」と。なぜ、ベルリン近郊の木々はバヴァリアで育たないのか? その逆の現象も、なぜなのか? 少年の好奇心は、外からも励ましを受けた。自然に関する本をまとめて与えられ、顕微鏡を買ってもらい、植物学を理解している家庭教師も付けてもらった。家族のなかでは「ちっちゃな科学者さん」と呼ばれるようになり、母は息子の植物画を自分の書斎の壁に貼った」(156ページ)


 こういうことをするところが学校であり、教室であり、授業であり、教師の役割のような気がするのですが・・・

2016年4月20日水曜日

自己チェック/改善機能がない日本


<国連報告者>「報道の自由に脅威」…放送法改正勧告へ
外から言ってもらわないと、気がつけないのが相変わらず続いています。

昨日は、全国レベルで学力テストが行われて10回目が行われました。
報道機関は、このまったく意味のないテスト(イヤ、税金と、子どもたちや教師の時間の無駄遣いをしていますからマイナス面がかなり大きい!)を宣伝する媒体に化していました。
政府が出している「学力を向上するため/授業を改善するため」という建前を棒読みしているアナウサーたち。

テストで学力と授業が向上すれば、世話はありません。まったく相関関係はありません。
いましたテストの結果が8月に出て、それを検討して、いったい何の授業に生かすというのでしょうか? すべては建前です。
もう一つ、一切テストを意識していないで勉強しているフィンランドがOECDPISAのテストで(たまたま?)トップの成績を出していることも思い出してください。こちらからも、テストと授業の相関関係がないことがわかります。

厖大な時間と税金の無駄遣いを政治家(確か、前政権時の安倍さん?)の思いつきのアイディアに付き合って、みんなでやり続けてだけです。
こんなバカなことを止められないのが日本の構造です。まさに第二次世界大戦に突入していったのと同じで。あの件も棚上げしただけで、まったく自己チェックと改善のための努力はいまだかつて行われているとは思えません。
そして、それを可能にしているのが日々学校で行われている授業という関係にもなっています! 根は深いです。
に書いたことと、つながっているのです。
というか、学校で日々大切にすべきことが大切にされていない結果が、社会レベルでのおかしさもつくり出しているという関係(?)です。

まあだ、この辺に関しては『ギヴァー』のコミュニティの方がマシな気がします。

自己チェック/改善機能がないということは、学べないということを意味してしまいます!


★ マスコミは、単に学力テストの宣伝媒体化しているだけにとどまらず、テストこそが何よりも大事なんだという雰囲気をつくり出しています。いま全国的に先生たちはテストでいい点を取ることを強いられつつあります。それが、真の意味での学びとは違うことは、誰もが受験体験などを通してウスウスは(それとも、ハッキリと?)知っているにもかかわらず。
  テストでいい点を取るための授業だらけになって本当にいいと思いますか?



2016年3月16日水曜日

震災・原発と「考えることを教えること」との関係


3.11に、海外の友人・知人に、震災と原発事故のその後を中心したメールを出しました。http://thegiverisreborn.blogspot.jp/2016/03/blog-post_11.html

そのうちの一人からの返信は、
Thank you for sharing an update of your professional work and the ongoing challenges in your home country. We are hearing news as the fifth anniversary occurs and I am reading articles about the slow progress. This is the reason we need to teach more students to thinkcritically and creatively.

最後のところがポイントです。
それが丸ごと抜けているからの結果として現状があるわけです。
考えること(それも、クリティカル★に、クリエイティブに)を教えることの必要性を。
このことを日本人で気づいている人はいったい何人いるのでしょうか?

日本と同じで、『ギヴァー』のコミュニティにも多くなさそうです。


2016年3月14日月曜日

震災復興と原発処理は誰が負担?

震災および原発に関しては、政府は「国が責任を持って取り組む/解決する」みたいなカッコいいことをいつも言っていますが、国にお金があるわけではありません。要するには、「すべて税金でやります」と言っているだけなんです。
しかし、その言い方で印象は180度変わってしまう!! 魔法です。

こういうニュースは、ほとんど日本のマスコミは流さないようです。
『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』マーティン・ファクラー著のような状況がありますから。
これも、日本人には見えず、外国人には明快に見えていることの一つです。
とにかく、不思議な国です。

上記の本との関連では、『人間を幸福にしない日本というシステム』カレル ヴァン・ウォルフレン著というのもあります。

こういうことは、『ギヴァー』のコミュニティでは起こりません。
スケールが互いに見える規模なので。言っていることと、していることのギャップはすぐに見破られてしまいます。


2016年3月13日日曜日

琵琶湖で微細プラごみ検出 拡散し回収不能

これまでに日本周辺の海域で確認されているが、関西地方の「水がめ」となる琵琶湖での確認は初めて。川や湖岸から流れ込んだ買い物袋などのごみが、紫外線や波で砕かれて拡散したとみられ、回収不能な状態になった。
 直径5ミリ以下のプラスチックは「マイクロプラスチック」と呼ばれ、魚や鳥がのみ込み、生態系に悪影響を及ぼす懸念が国際社会で高まっている。

ごみの問題は、もう40年ぐらい前から関心があるので、40年弱買い物袋持参で買い物はしています。それで、買い物袋はもらうのを拒否してきていますが、すでにプラスチック容器に入っている品物も少なくありません。もちろん、プラスチック容器類のごみとして出していますが、それらのごみはちゃんと処理されているのでしょうか? ★どなたかお知りの方がいたら、教えてください。★
プラスチックごみとして出す以外の選択肢はあるのでしょうか?

ちなみに、生ごみはすべて庭に捨てているので、燃えるごみは紙類を2か月に一回ぐらい出す程度です。
要するに、ごみを出すのを極力少なくする生活をしています。
★さらにごみ関係でやれることの情報などお持ちの方はぜひ教えてください。★

『ギヴァー』のコミュニティのごみ問題を考えると、どう思われますか?
あまり問題化しているようには見えません。(映画を見ても。)
でも、うまく隠しているだけでしょうか??
けっこうごみを出さないような努力をしているコミュニティに思えます。
無駄が少ない社会というか。

2016年3月11日金曜日

5年目の3.11

5年目の3.11を振り返って、
私にとっては
に書いたことに尽きています。
(それは過去5年の自分に成長がなかったことの証しでしょうか?)

そして、いろいろが新しい(よりいい)方向に動き出せるきっかけと捉えたのですが、現実は前に戻るよりさらに悪い方に向いて加速化しているとしか思えません。とても残念です。

2016年3月9日水曜日

『この世界いっぱい』


リズ・ガートン・スキャンロン/文、マーラ・フレイジー/絵、長田 弘/訳を読みました。


『ギヴァー』と関連あると思いましたが、似ているから? それとも対極にあるから?