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2018年12月28日金曜日

日本と『ギヴァー』のコミュニティーの食事事情比較


「クリスマスケーキ 大量廃棄の実態 一日500kgがブタのエサに」というタイトルで、

ポイントは、「消費者は、食べ物を捨てているコストを、実は自分たちが日々負担しているということに対し、あまりにも自覚がない。人が作ったイベントに振り回されて、人と同じ食べ物を買う必要はない・・・消費者が、自分たちのお金が損すると自覚を持ってNOと言わない限り、『もったいない』を忘れた食品ロス大国の汚名は晴らせないだろう」ということ。

あなたは、どれぐらいの食品ごみを出していますか?

『ギヴァー』のコミュニティーでは、基本的にゼロに限りなく近いと思います。
個々人が毎日どれだけ食べているか、どれだけ残しているか、どれだけのごみをつくっているかを管理していますから。
私は、ギヴァーのコミュニティーのやり方を見習っているわけではありませんが、食品ごみはもう15年ぐらい家庭ごみとして出していません。すべて庭に堆肥として戻しています。


2018年12月26日水曜日

アラン・セイとロイス・ローリーの関係


アラン・セイについては、
https://thegiverisreborn.blogspot.com/2012/03/blog-post.html で紹介したことがありますが、もっと直接的な関係を、都丸さんが教えてくれました。

1994年、セイがカルデコット賞を受賞した折、同じく児童文学者のロイス・ローリーがニューベリー賞を受賞したため、お互いに自作に署名をして交換した。ローリーが日本語で署名をしたために二人は驚くべき発見をした。ローリーはリッチモンド大学のスピーチでその経緯を次のように語っている。


アレン・セイはなぜ私が日本語で署名できるかを訊ね、私は答えました。
111213歳の時に日本に住んでいたのよ。」
「それって何年?」
1948年、49年、50年。私は1937年生まれなの。」
「僕も。同い年なんだね。どこに住んでたの?」
「東京。」
「僕も。東京のどこ?」
「渋谷。」
「僕も!どこの学校へ行ってたの?」
「目黒。毎日バスで通ってたの。」
「僕は渋谷にある学校に行ってたんだ。」
「渋谷に学校があったの覚えてるわ。自転車に乗ってよく通り過ぎてたから。」
「(沈黙)あの緑色の自転車に乗ってたの、君?」


何と言うことでしょう、こんなつながりがあったとは!!!

これは、
からの引用です。

実際に、これが語られたというリッチモンド大学でのスピーチも確認しました。
http://amytaramasso.com/authorstudy/pdfs/Richmond_Speech.pdf の23~24ページにありました。
同じ時と場所を、東京の渋谷で共有していたというのは奇遇です。

なぜ、彼女のスピーチでセイとの関係に触れていたのかというと、スピーチのテーマと関係していたのです。“In what way are we connected to one another?”(私たちは、どのようにつながり合っているのか?)

なお、スピーチのメインテーマは、“How do we know what questions to ask?” 私たちは、どんな質問をすればいいのかを、どう知ることができるのか?)でした。

そして、スピーチの最後は次のように締めくくられていました。
I feel very strongly that we should question our own beliefs and rethink our values every single day, with open minds and open hearts. We should ask ourselves again and again how we are connected to each other. And we should teach our children to do so, and not to turn away.
私は、自分の信念を問い直したり、自分の価値観を考え直したりすることを、偏見なく心を開いて毎日行う必要があると強く思っています。私たちはどのようにつながり合っているのかを繰り返し問う必要があるのです。そして、私たちはそれを子どもたちに教える必要があり、それから逃げてはなりません。

この彼女のスピーチの最後の部分は、まさに『ギヴァー』を通して彼女が読者に伝えたかったメッセージそのものであり、そして、https://thegiverisreborn.blogspot.com/2011/04/blog-post.html に書いたこととも同じと言えます。


2018年9月28日金曜日

明治維新の西郷・大久保の選択と、ジョナスの選択の違い



英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」 NHK)をみました。

王政復古のクーデターから鳥羽伏見の戦いまでの25日間。慶応3129日、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、王政復古のクーデターを断行。しかし、その後、新政府を徳川慶喜主導のものにしようともくろむ土佐・越前などの諸藩が勢いを増し、慶喜排除を掲げた西郷・大久保らは孤立。しかし、その後巻き返して、鳥羽伏見の戦いに。

司会の磯田道史さんの2つのコメントがよかったです。
1)1,2,3,4と直線的に考える人と、1,2,3,100と飛躍的な思考ができる人の違いについて語っていた点。前者は、あの時代の圧倒的多数の人たち。土佐藩主山内容堂、福井藩主松平春嶽、そして、徳川家最後の将軍の徳川慶喜らであり、後者は大久保利通であり、西郷隆盛である。彼らの低い身分が、それを可能にしていた部分は、多分にある。
2)こちらの方がはるかに大きなインパクトがあったのだが、それは、明治維新を実現させたあの時の大久保と西郷の行為(戦うという選択)が、その後、第二次世界大戦での敗戦までの日本を宿命づけたような部分が、多分にあるということ。

この2つの点は、『ギヴァー』との関連を強く感じました。
1)ギヴァーからたくさんの記憶を注入されたジョナスは、コミュニティーを離れるという選択をしました。それは、これまでコミュニティーの住民には(ギヴァー自身も含めて)考えられなかった選択です。(そういえば、もう一人、ゲイブの母親のクレアも、コミュニティーを離れる選択をした人でした。)

2)ジョナス、ゲイブ、そしてクレアが行きついた、もう一つのコミュニティーは、ギヴァーのコミュニティーとも、大久保や西郷が考えたような国とも大分違うものでした。


2018年9月27日木曜日

『ギヴァー』と関連のある本 122



 それは、マーラ・フレイジーの2冊の絵本『村じゅうみんなで』と『この世界いっぱい』です。ギヴァーのコミュニティーというよりは、ジョナスとゲイブが移り住んだ先を描いているんじゃないかと思わせる絵本です。
 それは、ある意味では、ギヴァーのコミュニティーとは対極にある姿が描かれていると言えるかもしれません。
 ぜひ、読んでみてください。

2018年8月25日土曜日

「日本は変われる」



ゲイ公表のキャンベル氏   


政治家たちの発言より、はるかに元気にしてくれます!   



2018年8月24日金曜日

『ギヴァー』と「イマジン」と「明日の神話」


前回、感想を紹介した河北さんに「イマジン」と「明日の神話」を膨らませてもらいました。

 2人のギヴァーが知覚した音と色で,私が思った音と色は,イマジンと明日の神話だ。

<音>
 中学3年生の冬の朝,ラジオからはジョン・レノンが凶弾に倒れたというニュースとともにスターティング・オヴァーが繰り返し流れていた。
 私は,小学6年生の時に友人の影響でハードロックを聴き始め,ビートルズはイエスタデイくらいでジョン・レノンを聴いたことがなかった。
 当時の三大ギタリストは,ペイジ,クラプトン,ベックで,ビートルズ世代の少し後になる。
 皮肉にも,ジョン・レノンが亡くなったことで,イマジンと出会った。

 ジョン・レノンの穏やかな歌声は,力強く,心を揺さぶった。
 辞書を片手に,メッセージを受け取ろうとした。
 
 ジョン・レノンは,社会の枠を壊して,個を生かすことで,世界の平和を実現しようと言っている。
 ギヴァーの世界は,個を殺すことで,社会の調和を保ち,穏やかな世界を実現している。
 ここで言う,個とは,個性,個人の意思,個の命だ。
 一見,平和に見える生活は,記憶とともに,彼らから思考を奪い取った。
 個の幸せを犠牲にする世界の幸せには,嘘がある。
 ジョン・レノンは,音楽によって,個の幸せを実現する社会を実現しようとしていたと思う。

<色>
 「明日の神話」は長年行方不明になり,およそ40年の歳月を経て,2008年,渋谷に恒久設置された。
 水爆実験による第五福竜丸の被爆を題材にしているこの絵は,現代の社会と重ねてみる人もいる。
 著しい文明の発達に対して,科学技術に対する無知,文化の停滞により,人類は文明を正しく使うことができない。
 岡本太郎の赤は激しく,力強い。
 「明日の神話」では,破壊の力がさく裂した瞬間に,それと拮抗する激しさ,力強さで人間が,誇りを持って,明日の世界を創っていく姿を感じることができる。
 人類の愚かさとともに,人類の崇高な力強さを感じる。
 ギヴァーの世界とジョナスの自由を求める行動だ。
 人は,どのような状況でも,世界を変える力を持っているのだ。

 私にとって,イマジン,明日の神話が明日を変える力だ。

あなたにとっての「明日を変える力」は何ですか?


2018年8月23日木曜日

読者からの感想



『ギヴァー』を読んだ広島市の河北さんの感想を紹介します。

 ・出産,結婚,家族構成,職業,全てのものが安穏とした社会の調和を図るために,コントロールされている社会。
 ・何も創造できない社会。
 ・挑戦をやめてしまった社会。
 ・そのような社会の中で,誰も問いを持つことはない。
 ・混沌とした騒乱の時代を終結させるために,作られた社会システムの中で,何世代もの間,生活する中で,それを当たり前として受け止めている人々。
 ・ついには,人の命さえも,社会全体の調和を保つためには,解放という言葉で,人間自身の手で奪い,その行為をその社会での正義としてしまう。
 ・そのような世界には,色も音楽も,起伏のある自然,季節すらない。
 ・人が喜びを感じる全てのものを捨てて成り立っている社会。

 感想を書きながら,
  ジョンレノンのイマジンを思いました。
  岡本太郎の「明日の神話」を思いました。
  
 素敵な世界を創造できるのは,人の思考が尊重されているから。
 人が考えることを止めると,本当に正しいことに気づけなくなること。
 社会は自分たちがつくっていること。

 人は挑戦し続ける存在であること。



2018年5月18日金曜日

『ピーターと象と魔術師』ケイト・ディカミロ作



 とてもいいストーリーです。彼女の本は全部いいです!! 『ギヴァー』と関連のある本として、紹介したいところでしたが・・・・(数字は、ページ数です。)

134 グロリアがわりこんできました。「もう、たくさんです」
「いや、そんなことはない」すぐにレオが反論しました。「これでいいってことはないんだ、けっしてね。もしもって、なぜって、自問しつづけるべきだよ。疑問に思わなくなっちゃ、世界は変わらないだろう?」
「世界を変えるなんて、むりだわ。世界はいつまでたっても、いまのままよ」(グロリア)
「いや、ちがう」レオはやさしい声で言いました。「私はそうは信じていないんだ。だって、ここに、ピーターがわたしたちまえに立っていて、いつもとちがったことをしてほしいってわたしたちにたのんでいるんだよ」
 世界を、学校や組織や地域に置き換えても、言えそうです。
 ちなみに、レオさんは警官で、グロリアは彼の奥さんです。ピーターは、同じアパートに住んでいる12~3歳の少年で、本の主人公です。

142 「もしも?」と、レオが言いました。
術師は顔をあげ、それからレオの顔を見つめました。「もしも、だって? もしもっていうのは、魔術につきもののことばだ」
「そうです」と、レオがひきつぎました。「魔術に、そして、わたしたちが毎日生活しているこの世界にも通じることばですよ。そう、ですから、もしも、あなたが、ためしてみたとしたら?」
 試してみない限りは、結果がどうなるかはわからない。試さないで後悔するよりは、試してみる方が、断然いいでしょう!!

2018年4月11日水曜日

新刊『ある子ども』



いまとなっては、私よりもはるかに『ギヴァー』シリーズへのこだわりをもっている訳者の島津さんが、『ある子ども』の紹介文を書いてくれましたので、シェアします。

   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

『ギヴァー』ファンのみなさま、長らくお待たせいたしました。シリーズ四部作の完結編(原題:SON)をお届けいたします。
 物語は、ひとりの男児の誕生からはじまります。彼を産んだのは、一四歳の少女クレア。一二歳で〈出産母〉を任命された彼女の、これが初産でした。〈コミュニティ〉では、すべての新生児は厳重な管理下におかれ、やがて「適正な養親」の手にわたります。母子は産後すぐにひきはなされ、二度と会うことはできません。クレアも掟にしたがい、わが子をあきらめようとします。しかし、どうしてもあきらめきれません。とかくするうち、男児は「社会不適合」の烙印をおされ、処刑が確定します。
 この赤ん坊がだれか、みなさますでにおわかりでしょう。そう、ジョナスの運命を変えたゲイブです。つまり本作は、ゲイブとその母の物語です。
 もちろん、作者は寓話の達人ですから、それだけで話はおわりません。前作『メッセンジャー』の世界に暗い影をおとした〈トレード・マーケット〉の謎が、クレアたち母子をまきこみつつ、善と悪の最終決戦へと発展していきます。そこにジョナス、そして第二作の主人公キラ、前作で非業の死をとげたマティもからんできます。
 そして、これもいつもどおり、スリリングな展開のあわいにいくつもの問いが埋めこまれています。まつろわぬ自然の象徴としての赤ん坊。代理出産やデザイナーベイビーをめぐる生命倫理の問題。当然視されている「取引」や「交換」という行為の陥穽。「力」「旅」「記憶」の意味……シリーズ全作にいえることですが、今回も思索と対話をうながす教養小説としての醍醐味に溢れています。
はたしてクレアとゲイブは、母子として再会することができるのか。それを阻もうとする邪悪な「力」に、ジョナスたちはどのように立ちむかうのか。現代の『オデュッセイア』ともいうべき壮大な物語の環が、おどろくべき仕方で、しずかに閉じてゆく瞬間をお見逃しなく。(しまづやよい

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  予約分の発送は41620日頃を予定しているそうなので、受け取りは23日の週になる可能性大です。

2018年3月27日火曜日

『ギヴァー』の完結編『ある子ども』が出ます



『ギヴァー』シリーズの第4巻=完結編の『Son(邦題:ある子ども)』が4月半ばに出版されます。


原稿の段階で読ませてもらいましたが、『ギヴァー』と争う面白さ!
ジョナスがその子の命を救うためにコミュニティーを去る決断をさせた、ゲイブの母親であるクレアの物語を通して、第1巻から第3巻までのつながりも分かるようになっています。(私も実は、分かっていませんでした!)

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ご希望の方は、①本の名前+冊数、②名前、③郵便番号+住所、④電話番号を  giverprojectjapangmail.com  宛にお知らせください。

※  予約分の発送は4月16~20日頃を予定しているそうなので、受け取りは23日の週になる可能性大です。


2018年3月25日日曜日

『ギヴァー』と関連のある本 121



 絵本の『つくる』谷川俊太郎・文です。以下のようなことが絵と言葉で表されています。

 若干、省いてあるところもありますが・・・

 つち → へび → つぼ → 酒 → ともだち
 山羊 → 革 → たいこ → リズム → 祭り
 綿 → 着物 → かかし
 石 → 鉄 → はさみ → 切り抜き絵本
 水 → 川 → ダム → 電気 → 明かり
 おひさま → 野菜 → サラダ → からだ → 記録
 マッチ → 焚火 → 焼き芋 → おなら
 木 → 橋 → 道 → まち
 にわとり → たまご → にわとり → 焼き鳥 → お金
 人 → 兵隊 → 軍隊 → 戦争 → なにつくる?

前と後のつながりが、分かりやすいのもあれば、分かりにくいのもあります。
でも、それがいいところ??

う~ん、最後に作者のメッセージがつまっている気がしました。
すべては、そこに行くためのウォームアップ?
その前が、経済発展と成長を表す2つであることも、象徴的です。

ちなみに、この絵本は10冊ぐらいのシリーズの中の一冊ですが、私に響いたの(『ギヴァー』との関連性を感じさせてくれたの)は、この一冊だけでした。

2018年3月24日土曜日

「SFとは」by小松左京



 『ギヴァー』は、ジャンル的にはSFに含まれるそうです。(私は、個人的にまったく、それは意識していません! ほとんど、どうでもいいこと、です。)

 でも、日本のSFの草分けの一人であり、大家の一人の小松左京(『日本沈没』などの著作がある)が、SFについて次のようなことを書いていたのを見ると、ウ~ン、確かに、と思うところがあったので、紹介したくなりました。(確かに、『ふたりの星』、『サイレントボーイ』とは異なり、『ギヴァー』もSFであるがゆえにできたのだと思いますから。)

SFとは思考実験である。SFとはホラ話である。SFとは文明論である。SFとは哲学である。SFとは歴史である。・・・DFとは芸術である。SFとは地図である。SFとはフィールドノートである・・・。
 いや、この歳になった今なら、やはりこう言っておこう。
 SFとは文学の中の文学である。
 そして、
 SFとは希望であるーーと。(小松左京著、『SF魂』178ページ)

2018年3月12日月曜日

国税庁のすることは!



佐川・前国税庁長官の辞任で沸いていましたが、就任前からの諸々を引きずっていることが「書き換え」報道で、明らかになってきました。(というか、多くの国民は、報道されるはるか前から感じていたことではあります! そして、辞任も「今頃になって」と思う人が多いのではないでしょうか。)    

私事ですが、過去、20年ぐらい「確定申告書」の用紙が1月には送付されてきていましたが、今年からそれが送ってこなくなりました。何の、知らせもなく、です。(いったい、それを待っている人は、どうすべきと国税庁は考えているのでしょうか?)    

近くの税務署に問い合わせたら、送る人と送らない人を、どういう基準でか判別して全面廃止ではなく、一部廃止の形を取っているようです。 この案内というのを告知する努力を、国税庁はしていたのでしょうか? 少なくとも、私には届きませんでした。 いったい、どうやって用紙を入手して、申告をしてほしいと思っているのでしょうか?   

ギヴァーのコミュニティーでは、住民全員に告知できる(日本で言えば防災放送のような形で)アナウンスするだけですから、確実で簡単です。

2018年3月10日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 120



『やくそく』二コラ・デイビス作、『くまさぶろう』もりひさし/ユノセイイチ の2冊です。

まずは、『やくそく』から・・・・
わたしは、スリだった。
じぶんと同じように貧しい人たちから物を盗んで、生きていた。

ある晩、暗い通りで、一人のおばあさんに出会った。
カバンをひったくろうとすると、おばあさんが言った。
「おまえさんにやるよ。これを植えるって約束するんならね」

あの時、おばあさんと交わした「約束」。
その意味に気づいた時、少女は、それを守るために動き始めた。

ちょっと、似ていると思いませんか?


『くまさぶろう』

はじめのころ、くまさぶろうは、
それほど、上手などろぼうではありませんでした。

それが、徐々に腕をあげて、人の気持ちを盗み取ることができるようになりました。
そして、くまさぶろうは泣きたい子どもの気持ちや、悲しい心を盗んで歩くのです。

世界中に 一人きりいないくらいの、素晴しいどろぼうの名人になったのです。

こちらも、ちょっと、似ていると思いませんか、ジョナスに?

ちなみに、これの絵は「超下手」ですが、それがなんとも味わいを出しています。というか、下手という概念を見事に転換してくれる絵です。この絵だから、この作品にあっているとさえ思えます。


 3冊目として、『てん』も思い出しましたが、すでに


2018年3月4日日曜日

『ギヴァー』と関連のある本 119



 ジル・ボム作の『そらいろ男爵』という絵本です。
 『ギヴァー』の最初のシーンは、飛行機がコミュニティーの上空を飛んで、住民と読者の両方を不安に陥れるところから始まります。「あの操縦士は、リリース=解放されるだろう、と。そして、戦争がこのコミュニティーでは常態化していないか、とも思わせます。(結果的には、そうではないのですが。)
 そらいろ男爵という人が、自分の飛行機ごと戦争に駆り出されたのですが、彼は砲弾の代わりに自分の家にあった本を落としまくります。最初は百科事典。のちには、あらゆるジャンルの本を。
 兵隊たちは、それらを読むために、戦争どころではなくなり、夢中で読んだり、詩を書いたり、天体を観測したり・・・しました。物語を半分ずつ落として、両者が話し合うようにまでして。
 そして最後は、家族からの手紙を反対側の陣地に落として、みんな心を打たれ、戦争の終結へ!

 読むことや書くことをうまく使うと、戦争まで止めさせられるというユーモア絵本です。いろいろ戦争関連の絵本を読んでみましたが、ダントツに光を放っていた絵本でした。

2018年2月27日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 118



この絵本『むこう岸には』マルタ・カラスコ作を読んだ時、『ギヴァー』をすぐに思い出しました。
ギヴァーのコミュニティーの境界には川が流れていて、その上には橋さえかかっています。そして、たまには橋の向こうのコミュニティーの人々とも行き来はしています。
でも、いろいろな習慣の違いから「よそ者」という意識を強くもっています。
交わらない方がいいとも思っています。

この絵本には、橋さえ架かっていません。
しかし、勇気のある女の子が一人、向こう岸の男の子が送ってきた船に乗って、向こう岸に行くことに。
交わってみると、まったく変りない生活をしていることが分かり、いつか橋をつくって、お互いに行き交うことを夢見始める、というお話。

これを読んだ時に思い出したもう一冊の絵本は、『むこうがわのあのこ』ジャクリーン・ウッドソン作でした。
3つとも同じテーマを扱っています。とても大切な。

2018年1月18日木曜日

『ギヴァー』を読む


 火曜日(16日)に紹介した読書会の記録を送ってくれたコニコさんが、また『ギヴァー』の読書会を開くそうです。
  興味のある方は、ぜひ参加してみてください。

いつかやってみたいと思っていたBook Club、はじめます。
はじめまして。共楽Story Club、主催のコニコです。あえてStory Clubとしたのは、本をネタにして映画でも絵画でもいろいろなストーリーを語って欲しいから。読書好きの方も、本が読むのがちょっと苦手という方も、共に人が紡ぐストーリーを、本を通して楽しく語りませんか?

今回、共楽Story Club発足にあたって第1回作品としてぜひ皆さんと共に読みたい本として取り上げたのは・・・
四半世紀前にアメリカで生まれたディストピア寓話『ギヴァー』。いま世界が注目しているディトピア小説であり、SF小説であるこの物語は、舞台を近未来としながら、現代に通じる管理社会をするどく描いています。2014年には映像化され、話題を呼びました(Blu-ray & DVD)

<開催詳細> 
日時: 2018年3月2日(金)19時~2030

場所:東京ウィメンズプラザ 2階 第1会議室A
参加費: 1000円 (当日現金払い)
飲食:飲食の提供はありません。会場内の飲食持ち込み可(館内に飲み物自販機有り)。

<課題本>
ギヴァー 記憶を注ぐ者』著者: ロイス ローリー (),‎ 島津 やよい (翻訳)
出版社: 新評論    定価: 1,620



<参加方法>
①課題本を事前に読んできてください。
②コニコ(koniko.1959@gmail.com宛に連絡ください。

<当日のスケジュール>
18時40分 受付開始
19時    読書会 自己紹介
                      グル―プ討議
                        映像紹介

20時半   終了

2018年1月17日水曜日

『ギヴァー』@読書会を読み終えて


 コニコさんが、このブログを見つけてくださり、以下の読書会の記録を送ってくれましたので、共有します。

皆様の鋭い洞察をじっくり読ませていただいて、本当に今回も読書会をやってよかったと感謝してます。特にGiverがジョナスとともにしたように、皆の一番幸せな記憶をシェアできた回は、心に残るものでした。それぞれのかけがえのない時の記憶は、気持ちを和やかにあたたかくしてくれました。この本の大きなテーマの一つは、Aさんが提起してくれた記憶の問題でしたものね。

私がこの本を読んで感じたのは、次のようなこと。記憶が幸せなものであっても、辛いものであっても、人が人にそれを伝えて分かち合うことで、社会を変えるというヒロイックなことはできないとしても、目の前の人の心を変えることはできるかもしれないと思えることでした。一人ひとりが、Giverであり、 Receiverであって、人間の普遍的な気持ちをつないでいくことの先に未来がある、とも思えました。過去を伝えるGiver、現在に行動するジョナス(彼はすでにGiverでもある)、そして未来に生きていくガブリエル、この3人にいろいろ重ね合わせて考えさせられました。

アメリカ人で「Hiroshima」という広島の原爆のことを書いたジョン・ハーシーもこんな言葉を残しています。

「過去 現在 そして未来は、記憶という絆でつながっている。
ヒバクシャのいなくなる日が来る。しかしヒバクシャの記憶の集積は、人類が生存し続けるための偉大な希望として残されている。」 

もう一つのテーマが、Bさんが言われていたことのも関係する“天気から結婚、仕事、生き死に、そして言葉、色も感情までコントロールされた社会で"守られて"生きていくことが幸せか”ということ。(言葉のことでは、Giverからもらった記憶から、ジョナスが次々とfamily, snowなど言葉を紡いでいく場面は、まさにCさんが言われるヘレン・ケラーを彷彿させました。)そういったコントロールは、ある意味監視社会につながっているわけで、この本を読んでいる時に、スノーデンの事件や、日本での共謀罪法案が問題になったことも、この本のコミュニティを思わせるにおいがして、リアルに現代社会に通じるものがありました。そんな社会で自分自身が考えて選択していくジョナスとGiverを本当に勇気ある人たちだと感じています。DさんもGiverはすごいと言われていたのに共感しました。

エンディングでは、ジョナス、ガブリエル、そしてGiverのその後が、敢えて読み手に委ねられる形で終わっていました。Eさんが、終わり方がジョナスの頭の中で起こった出来事ではないかと感じ、"観念的"と思えたという意見は新鮮でした。

私が胸をつかれたのは、まさにラストシーンで、ジョナスが歌声を聞いて、あゝ、音楽だと認識した時に、「遥か彼方になってしまったコミュニティからも音楽が聞こえたように思ったと、それは、エコーにすぎなかったかもしれないが。」というところでした。ジョナスがGiverのために唯一残した彼の幸せな記憶――音楽、もうお互いに会えなくても、それが遠くで微かでも響き合って、心の交流があった気がしました。

この世界の続きは、あと3冊あります。映画も、私は面白いと思いました。映像だからこその原作とは違うく工夫もしてあって。ジョナス役は、最新作のカリブの海賊の主役の青年です。


長々読んでくれて、ありがとうございました😊