『野性の実践』の著者であるゲーリー・スナイダーの山尾三省との対談集『聖なる地球のつどいかな』です。最初の3分の2近くは、メモを取らずに読み進んだのですが、残りは結構取りましたので紹介します。対談なので、『野性の実践』よりもはるかに読みやすくもありました。
長くなるので、3つぐらいに分けます。
171 「場所」の力 ~ 今いるところが己の場所とわかる時修行がはじまる(道元の「現成公案」 ~ それは自分が誰かを深く探すことがテーマ ~ 「仏道を習うというは、自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり」)
175 人間であるというのは何であるのか?
・ 人はあまりにも大きな力を持ってはいけない、あまりも多くの華やかさ、栄光を持つことはできない。
・ 正気でなければいけない。
・ 質素でなければいけない。
・ 権力を持ちすぎてもいけない。
・ いつも心を開いてなければいけない。
また、近代社会においては、人間であるための条件の大きな要素がいくつか欠けています。
・ 自分の場所を持たない
・ 家族を持たない
・ 家族の歴史を持たない
・ 共同体にも属さなくなっている
・ 自分の仕事についても、確固とした信念が持てない
176 ですから、まず、自分の場所に腰を落ち着けることです。
修業というのは本当の生活のことなんです。なにも一日中座禅をしているだけが修業じゃないんです。修業とは、一生懸命生きること。
→ 読み方によっては、『ギヴァー』との関連が感じられると思います。
対談している両者にとって、場所は新しい場所であることがおもしろいとも思いました。故郷的なニュアンスはまったくないのです。私が結構気に入っているテレビ番組のイタリアの『小さい村の物語』は、もろ故郷をテーマにしていますから、対談者の二人を含めた、日本の今やアメリカとの違いを感じます。
177 もうひとつ別な表現もできるんです。たとえば、アメリカ先住民は、グレート・スピリット(宗教における主神)が一人ひとりの個人に対して、それぞれ決まった仕事を与えていると考えています。ですから、まず何をしなければならないのかと言うと、自分の仕事はいったい何かということを見つけることなんです。...難問ですが、本当の仕事を見つけなければならない。人生のはじめのうちにそれを見つけなければならないのです。自分の真の仕事を見つけるのは難しいかもしれないが、一度見つけてしまえばあとは簡単なんだね。
→ この辺に書いてあることは、確実に『ギヴァー』との関連がありますね。
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