F・コルトハーヘン著の『教師教育学』というタイトルの本です。
教育の世界は、「ボタンの掛け違え」「偉大なる悪循環・悪習」「誤った神話」で成り立っている部分が多分にあります。(最大の問題は、その中にいる人たちが、その事実に気づいていないことかもしれません。そのことは、この本の中での最大のポイントの一つと言っていいのですが、自分が体験をしたことは、たとえそれが効果的な方法ではなくとも、すべてのベースになってしまうからです。)
問題は、授業レベル、学校レベル、教育行政レベル(文科省と教育委員会)、そして教員養成レベル(要するに、大学)、マスコミ・レベル、政治レベル、会社等の組織レベルで渦を巻いています。(要するに、すべてです。)
一言でいうと、主役の逆転現象が起こっているということです。学び(学ぶこと)を置き去りにしたままで教えることの横行がおき続けている、と言い換えてもいいかもしれません。
この本は、ジョナスがコミュニティの人たちのためを思い、そしてゲイブリエルのことも思って、アクションを起こしたことと同じ価値があります。
この本は、教育の世界での「最初のボタン」をちゃんと付け直しましょう、と提案しています。しかし、実態はボタンを掛け違えていますから、「がんばればがんばるほど、うまくいかなくなる」(162ページ)構造に、いまの教育界は陥っています。
この本が、日本から出てくればよかったのですが、先に書いたように気づいている人はほんの一握りですから、残念ながら最先進地の一つであるオランダの手を借りなければなりませんでした。(オランダは、私自身1980年代の中ごろから親近感をもっているところです。いろいろ学ばせてもらいました。★)
教員養成(=大学)レベルでしていることは、そのまま筒抜けで、小中高の授業レベルでしていることや、会社や社会全般でしていることにつながっています。
大学での教員養成は「最初のボタン」であり、とても大切なのですが、壁はどこの国にもまして厚いのが日本です。でも、ジョナスのような人が何人か出てくることを期待せざるを得ません。そうしない限りは、この本に紹介されているように、大学での教育も、小中高で行われる教育も変わっていかないことを意味しますから。そして、会社や社会や政治も変わらないことを。
★ オランダのよさの一つは、国民のほとんどが英語を使いこなせることです。(この本も、オランダ固有に開発されたものというよりは、英語やドイツ語の文献や経験なども踏まえながら、長年の実践に裏打ちされて考え出されたものです。) 成熟した社会というか、成熟した人間関係の持ち方も、オランダのよさです。
0 件のコメント:
コメントを投稿