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2011年6月2日木曜日

『親鸞と道元』 2

92 宿業(しゅくごう) → 296と298ページ
93 業縁(ごうえん)
   善とか悪とかいうものは相対的なもの。「業縁あれば、人は状況のなかで常に変化するものだ」 人の善悪は簡単に評価してはいけない。

117 悪人正機という説に出合ったときの衝撃。規制の枠の中(いいことをした人間はいい報いを受け、悪いことをした人間は悪い報いを受けるのは当然!)で考えていたことを粉砕される。 → 今回の原発事故にも言えてしまう??

108 親鸞がしたことは、個人というものを信仰と結びつけたこと。個人の信仰を確立した。親鸞は近代に至る前に個人の自我というものを確立した。それまでの宗教は国のため。

184 法然、親鸞、道元は、個人のための信仰。白衣から黒衣への転換が象徴するもの → 「国のための電気、個人のための電気」と考えてしまいました。まだ、ほとんど後者が考えられていなかったがゆえに起こってしまった今回の悲劇? しかも、営利企業と国が密接につながっているわけですが、個人の存在は単なる「ありがたく分けてもらう対象」でしかなかったし、そうであり続けています。少なくとも、電機が登場する以前は、そういう関係はなかったわけで......

109 アニミズム=自然発生的な信仰観は非常に深くあったと思う。だから人々は祭りをし、いろいろなものを畏れ、敬った。だけどそこにはやっぱりこの思想はなかったと思います。 → 電気や自動車に代表される文明の利器が、そういう部分をドンドン減らしていったんでしょうね。

110 『木喰』立松和平著

119 現世往生説 = この世に生きている間に、いっぺん自らの生を清算して、そして生まれ変わって、そして念仏を信じて生きるという生き方に変わったときに、その人は仏と等しくなるという考え方

138 中国から何もお持ち帰らなかった道元のすごさ → 中国に行くことを考えなかった親鸞のすごさ

143 道元も、法華経を唱えながら亡くなった

 本覚(ほんがく)思想、悉有(しつう)仏性、悉皆(しっかい)成仏(じょうぶつ)

156 「仏道を習うということは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘るるなり」

160 煩悩は死までつきまとう

203 『歎異抄』 読むたびに変わるもの

207 ブッダも、親鸞も、いまをよりよく生きるために語った人

218 戦争前から戦争中は「思考停止の状態」 → 現代も?! いまの政治や、テレビ等の状況を見るにつけ、そう言わざるを得ないというか、いてもいなくて/あってもなくても同じ状況が、すでに長年続きすぎています。(さらに言えば、いること/あることの弊害が大きくなっています。)

1 件のコメント:

  1. 特に、ここ2~3日(数カ月おきに首相が変わるようになってから)の政治家のあり方は、人間の悪いところを凝縮して見せられている気がします。(もちろん、政治がまったく機能していないこともですが。)

    こんなことに時間とエネルギーとお金をかけ続けるなら、井上ひさしさんが『吉里吉里人』の中で提案していた「タッチ制」の方がはるかに効果的です。どうせ、誰がなってもまったく変わらないのですから。(変わると思っているのは、ご本人たちだけではないでしょうか。)

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