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2011年6月11日土曜日

教育の目的のそもそものズレ

 ピアジェの『教育の未来』が出たのは1972年ですが、日本の教育は彼が「してはいけない」と書いていたことをやり続けてきた(逆に、「やるべきだ」と書いていたことはまったくやれていない)ことに気づかされます。

 いったい何が問題なのでしょうか???

 これは単なる教育や学校関係者の問題というよりも、深く社会のあり方の問題とつながっていると思います。(教育や学校関係者だけがおかしいはずはありませんから!)『ギヴァー』で描かれている学校や教育のあり方もコミュニティのあり方と深くつながっていたように。

 この問題が象徴している点について、ピアジェに関する他の本を読んでわかりやすい図を見つけました。下の図です。

    出典: Young Children Reinvent Arithmetic, 2nd Edition, by
    Constance Kamii, p.63(Originally in “To understand is to
    invent” by Jean Paget 邦訳は、『教育の未来』)

 AとBには、大きなズレがあります。Aは自立した学び手を育てることを目的とした部分です。それに対して、Bは現時点での教育の目的です。それは意図してはいないのかもしれませんが、結果的には「依存」や「従順」を養っている部分の大きい教育です。各人が自分なりの知識や意味を作り出すのではなく、すでにある既存の知識を覚えることに時間とエネルギーを割く教育です(その大半は、テストや試験の後しばらくして忘れられる運命にある知識です。)それでも、少ないですがオーバーラップしているところ(青の部分)はあります。

 ピアジェは、右側のBの公的な教育の部分で「自立」に貢献していない部分を減らし、すでにオーバーラップしている部分を広げていく形で、Aの「自立」を促進するようにBを転換していく必要がある、と提唱していたわけです。

 この2つの円がずれているのは、ピアジェが指摘した教育の分野だけでなく、政治や環境や福祉など他の分野でも同じように言えることです

2 件のコメント:

  1. そのような教員に依存した教育が普通の日本で、自立を促す授業を展開すると、学生からは「テヌキ授業」と断罪される始末。

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  2. ウ~ン、そうですかね。

    ちゃんとやってくれる教員がいたら、感謝すると思いますが。なんと言っても、「依存」から「自立」に転換させてくれるのですから。

    「依存」の方は、「その場しのぎ」とか「ほとんど後に残らない」と言い換えてもいいかもしれません。それに対して「自立」の方は、「身につく」とか「活かせる」です。後者の方が誰にとってもいいと思うのですが...

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