★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2011年7月26日火曜日

日本の「老年の家」

 先週、日本のある「老年の家」を訪ねてきました。
 『ギヴァー』の中に「老年の家」のシーンも少しですが、描かれていたからです。
 施設は、両者とも立派です。(後者に関しては、私のイメージでしかありませんが。)

 何が一番印象的だったかというと、先週追いかけ続けていたテーマの「服従」と「同一性・画一性」が日本の場合は、家を離れて保育園や幼稚園に入ったときにはじまり、そして死の直前まで続くのか、という発見でした。
 テーマは上の2つだけでなく、「バラバラ」「依存」「受け身/主体性のなさ」なども含めてです。

 保育園・幼稚園にはじまり、学校や大学、そして企業で、先生や経営側に依存する/服従する体質が長年培われてきていますから、終の棲家である「老年の家」でもまったく同じ構造が存在します。
 主体的に構成員が行動してコミュニティを作ることの難しさです。

 いろいろなアクティビティというかクラブ活動もあることはあるのですが、「全員を差別することなく扱う」ので、結果的に誰にも主体性がなく、運営側がやっているから、そして「暇だから」「時間をもてあましているから」「お付き合いで」参加している状態なのです。

 「老年の家」とは違う健常者対象の老人クラブなどはどうなのでしょうか?
 そして、学校や大学のクラブや部活やサークルは? 選択がある分、主体性は保証されているでしょうか?

 たまたま私の両親が20年以上前から海外(オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ等)のリタイアメント・ビレッジ★に興味を持っていたので訪ねたことがあるのですが、構成員(入居者)が主体的にコミュニティを作るという部分が根本的に違っていました。それは、単にそこに入ってからの問題というよりも、保育園や幼稚園から長年培われた経験というか教育の産物とも思いました。


★ なんとか、そういうのを日本でもつくりたかったのです。
  しかし、残念ながら日本社会の方がまだ用意ができていません。
  あと、少なくとも20~30年。ひょっとしたら50年はかかるかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿