ソンタグ再び。
●「人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です」 ~ まったくその通り! 恐ろしいほどに。 慣れや習慣がアテンションを弱める最大の要因になるので、「動き回ってください。旅をしてください」と提案し、さらには見慣れた「眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと」とも提案してくれています。でも、この連休中も多くの人が動き回っていますが、「心の傾注」や「眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと」に役立っているかというと、大きなクエスチョン・マークです。
●「注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです」 ~ その意味で、教育やメディアや政治に関わる人たちの役割は、とてつもなく大きいわけですが、自覚しているでしょうか? もちろん、個人や家庭の意識・意志も大きいですが。
●「人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください」 ~ 異質、刺激、挑戦は疲れます! しかし、それらなしには成長できないわけで...
●「検閲を警戒すること」 特に、自己検閲に。 ~ 社会中に「自己検閲」というか「自己規制」が充満しているように思えますが、特に、教育やメディアや政治の分野はそれが秀でているかもしれません。
●「本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)」 ~ 「期待を持続」して、読み続けること、とても大切ですが、一方で「二度読む(観る)価値のない本(映画)」を作り出しすぎている出版業界や映画業界の罪も結構大きなものがあるようが気がするのですが...「商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます」は出版やメディア相手でも可能でしょうか?
●「自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと」 ~ 自分以外のことに少なくとも半分以上の時間を割く! なかなか難しいように思いますが、でも、自分以外のことは何らかの形で自分とつながっている!!! 一番最後の引用で言っているように。
●「動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます」 ~ 私自身、10代の後半から20代は旅に明け暮れていましたが、もう20年以上「旅」といえるものものからご無沙汰しています。 それを、「家族」のせいにしてはいけないんでしょうね。そこにあるのは、自分の傾注・注意を向ける方向性の問題だけなんでしょうから。
●「暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること」 ~ まったく!!! でも、日本ではこんなことを言ったら、いつの時代でも「非国民」扱いされそうです。 懐疑的にみるべき対象は、国家以外にどんな単位の組織があるのでしょうか?
●「少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください」 ~ 思いをはせることの大切さ!! しかし、それイコール必ずしも(短絡的に?)募金運動に参加することではありません。
●「傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。 傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください」 ~ この「傾注すること。注意を向ける」ことは、『ギヴァー』の(隠された?)テーマなのではないでしょうか? ジョナスの場合、ジョナスの父の場合、ジョナスの母の場合、ジョナスの妹のリリーの場合、ジョナスの友だちのアッシャーやフィオナの場合などを考えてしまいます。それはもちろん、自分のことを考えることなのですが...
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