新しいレシーヴァーに選ばれたジョナスの資質が紹介されるシーンがあります。
知性、正直さ、勇気、そして叡智はまだ身につけていないけれども「彼方を見る力」はもっていると。
ギヴァーも、ジョナスに、自分は「名誉はもっているけれども、力はもっていない」と言いました。
そして、ジョナスのコミュニティで最大級の不名誉は、解放されることと、名前が「口にするなかれ」とされることでした。
そういえば、あとで出てきますが池田晶子さんも「名を惜しむ」と言っていました。
それでは、池田晶子さんの「品格と名誉」の章(『14歳からの哲学』)からの引用です。
117 「上品」「下品」という言い方がある。「じょうひん」「げひん」ではなくて、「じょうぼん」「げぼん」と読みます。古い言い方で、今は死語になりつつあるけれども、人間の品性、人品骨柄を言い表すための非常に的確な表現だから、この際しっかり覚えてしまおう。この2つのことばが、心の隅っこにでも引っかかっているのなら、そのことだけで、君の人生は全然違ったものになるはずだ。
「じょうぼん」「げぼん」は、徹頭徹尾、見えない人柄、人の内面、精神性こそを評価する言葉なんだ。
118 服装は小汚くて、言葉遣いもガラッパチだけれども、話をしてみれば、曲がったことが大嫌いで、どうすれば人の役に立てるかということを常に心がけているような暖かい人柄の人もいるよね。きっと照れくさいから、わざとそういう態度をとっているんだ。すごくじょうひんな人、「じょうぼん」とはこういう人のことを言うんだ。
もともとが仏教の言葉、お釈迦様みたいな正しくて優しくて高潔な心の人を最高位として言う言葉だから、見た目が問題なのではないのは言うまでもない。でも、ある意味で、人間はやっぱり見た目がすべてともいえるんだ。面白いから、そう思って、友だちのことを観察してごらん。やさしい人は優しい顔つきをしているし、意地悪な人は意地悪な顔つきを、やっぱりしているんじゃないか。外面とは内面そのものじゃないか。
だからこそ、人は内面をきれいにしなくちゃダメなんだ...
119 さて、それなら、内面をきれいにする、精神性を高めるとはどういうことなのか、考えよう。君は自分のことを大事だと思うだろう。愛しているとも思うだろう...どんなにひねくれた仕方であれ、すべての人は必ず自分というものを愛しているんだ。
この辺りまでは、なんとか付いてこれますが...
精神は自分を自覚する。精神としての自分を自覚するんだ。そして、精神にとっては精神よりも大事なものはないと知る。なぜなら、精神としての自分にとって何が大事かを考えて知ることができるのが、まさしくその精神だからだ。精神にとっては、精神こそが大事なもの、他の何ものにも換えられない価値なんだ。自分を大事にするとは、つまり、精神を大事にするということなんだ。
この辺、何度読んでもわかったようでわからない状態が続いています。
120 「自尊心」、自分を尊ぶ、自分を愛するということの、本当の意味がこれだ。
私がこの言葉がピンと来るようになったのは、英語のself-esteemからでした。言葉だけでは、ピンと来ず、それを身につけるための様々な活動を通してだったのです。★自尊心がそうなのかどうかは、私にはまだ確かではないのですが、少なくともセルフ・エスティームの高い低いが勉強の出来不出来を含めて、多くのことを左右しているというのです。それほど大切なもんなわけです。
これ以降、池田さんは、自尊心とは異なる、あるいは反対の感情や感覚として、プライド(虚栄心)、嫉妬、自己顕示、恥ずかしい、見栄、卑しい・卑怯などをあげて説明してくれています。
122 極端なことを言っていると思うだろう。でも、人間には命よりも大事なものがある。それが精神だ。精神の正しさ、美しさ、その高さだ。命が大事なものであり得るのは、精神が大事なものだと自覚しているからでしかあり得ない。精神が価値ではなくて、どうして命が価値であり得るだろう。なぜなら、命の価値について考えられるのは、精神があるからこそだからだ。
・・・すべての人間は、精神つまり言葉を所有しているからだ。言葉を所有する限り、人間は問わざるを得ないんだ、「なぜ生きるのだろう」。
今は、「名を惜しむ」という古い言い方をもうひとつ、心の隅に飾っておこう。
いぜんは「自尊心」が受け付けられなかったのですが、「精神」を受け付けられない状態は、いまでも続いているようです。「名を惜しむ」などと言われても...
★ 学ぶタイプには大きく分けて、4種類あるそうです。①読んだり、聞いたり、見たりして学ぶタイプ、②じっくり考えるタイプ、③フィーリング/感情で学ぶタイプ、④動いたり、体験して学ぶタイプ。人はすべて持っているのですが、一番得意なのは結構わかれます。おもしろいことに、だいたい4分の1ぐらいずつに。私は、断然④のタイプです。じっくり考える哲学タイプではないのですが、『ギヴァー』のおかげで、それがやれているのですからありがたいです。それも、このブログがなければ、ここまでこだわることもなかったと思います。このブログを書き続けることで、ひょっとしたら「自尊心」や「精神」に近づけるかもしれません。そういう淡い期待をもって書き続けます。
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