昨日の最後がコミュニティの規則に背くところで終わりましたから、その流れをついで今日のテーマは「規則」にしました。
『ギヴァー』を注意して読んでいくと、特に前半部分は規則尽くめであることに気づきます。
こうすべき、ああすべき、これはいけない、あれはいけない、ばかりなのです。
ミスに対する処罰(最悪は<解放>)、公式謝罪、毎晩の<感情共有>と毎朝の<夢の共有>、家族ユニットは子ども2人(一男一女)、規則尽くめの毎年の儀式、服装が年齢で決まっていること、安眠アイテム、自慢の禁止、自転車の置き方、仕事別の規則と指示、家具もすべて規格化、そして告知者のアナウンスと住民のそれへの反応などなど。
以下の2つの引用が、象徴的かもしれません。
68 コミュニティは綿密な注意のもとに秩序付けられているし、さまざまな選択はきわめて慎重に行われている。
71 ジョナスはピエールがあまり好きではなかった。彼はきまじめでおもしろみなく、小さなことでくよくよするし、告げ口屋でもあった。「規則になんて書いてあるか確かめたか? ジョナス」「それ、規則で許されてるかなあ」ピエールは、年中もったいぶってそんなふうにささやいていた。それも彼が気に病んでいるのはたいていくだらない、誰も気にしていないようなこと ~ 「そよ風の日に上着の前を開けていてもよいかどうか」だの、「友だちの自転車をちょっとだけかりてもよいかどうか、それも乗った感じがどうちがうかを確かめるためだけに」だのといった、ごくささいなことなのである。
以下は、「規則」に関する『14歳からの哲学』(池田晶子著)からの引用です。
86 一般の社会生活で守らなければならない規則や法律は、とても数えることなんかできないくらいだ。たくさんの「べし」と、たくさんの「べからず」、社会生活とは、ある意味では、規則の集積であるといってもいい。どうして社会生活には規則が必要なんだろう。
もし規則がなかったら、みんなが勝手なことばかりして収集がつかなくなる、社会生活が成り立たなくなるからだ、というのが、多くの人の意見だし、昔から人々はだいたいそんなふうに言ってきた。
すでにというか、歴史的に、私たちの社会もジョナスのコミュニティと同じことをしているようですね。
90 人間はもともと悪いものだと見るその人間が作る法律なんだから、その法律の方が悪い場合だって当然ある...じゃあ、社会が決める法律には正しさは必ずしもないとすれば、正しさはどこにあるか、わかるね。そう、自分にあるんだ。善悪を正しく判断する基準は、自分にある、自分にしかないんだ。なるほど、人には自分のしたいことをする自由がある、悪いことをする自由もある。でも、悪いことをする自由は、じつは自由ではないんだ。だからこそ、善悪を自分で判断すること、それができることこそが、本当の自由なんだ。自分で自由に決めるということの、本当の意味なんだ。
我らがジョナス君、みごとに実践していましたね!!
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