前回書いたように、『ギヴァー』が哲学で扱うテーマをかなり網羅していることを知ったので、金曜日に早速図書館に行き、よさそうの本を探してみました。
結局は、すでに読んでいた本の中から以下の3つを借りてきました。
・レイフ・クリスチャンソンの「あなたへ」のシリーズ(岩崎書店)
・オスカー・ブルニフィエの「こども哲学」のシリーズ(朝日出版社)
・『14歳からの哲学』他の池田晶子さんの本
上2つは、絵本です。
私には、このぐらいがわかりやすくてちょうどいいので。
これらは、すべて2~3年前に読んでいたのですが、その当時は『ギヴァー』との関連で捉えることもなく、自分の頭の中では素通りしてしまっていた部分が多分にあります。(しかし、今回戻れたのは、頭の片隅にはあったのかもしれませんが。)
レイフ・クリスチャンソンはスウェーデン、オスカー・ブルニフィエはフランスで出された本です。
★ こういうタイプの、日本人が書いた本というのはないのでしょうか?
シリーズ全部は借りて来れなかったので、詳しくはまた後日書きたいと思います。
◆追伸: 上で紹介した3つのシリーズの本ですが、最初に読んだ当時は、今回とは違った目的で読んでいたので、それほどのインパクトは残っていませんでした。
同じ本も、見る視点というか、読む側の用意の違い(というか、用意のあるなし、さらには単にタイミングの違い?)で読めるものがまったく違うんですね!
今回は、『ギヴァー』の視点でみごとに引っかかりました。
これって、いろいろなことに当てはまりそうです。
たとえば、授業。
教える教師の側は、用意ができていると思っても、学ぶ側に用意ができていなければ、教師がいくらがんばって教えたところで、素通りというか単なる雑音です。
他にも、親子の会話、上司と部下のやりとりなどなど。
ということは、私たちは、相当の量の無駄を毎日やらかしているんだな~、と考えてしまいました。
なんとかせねば!!
それとも、その無駄の集積が人生??
これ(「追伸」の部分)って、哲学ですか???
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