エイプリル・フール、おめでとうございます。
今日にぴったり(!?)のテーマをお届けします。
3月28日の「龍馬伝」は、竜馬が脱藩するところがテーマでした。
世の中を、常に『ギヴァー』の視点で見ている私には、「これって、ジョナスのコミュニティ脱出に似てない?」とすぐに思ってしまいました。
その意味では、『ギヴァー』と関連がある本に加えられるぐらいだと思います。
竜馬のころの脱藩は、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』に「脱藩」に(くにぬけ=国抜け)とわざわざルビが振ってあるぐらいに、おおごとだったようです。
要するに、家族はもとより親戚縁者にまでお咎めが及んでしまうという意味で。
「心優しい」竜馬も、そのことにかなり悩んだらしく、結局は乙女姉さんの励ましなどで、脱藩を決意したようです。
「わしは、土佐にはおれんがぜよ!」
「やっと見つけたがです。自分の進むべき道を」
というふうに。
テレビでは出てきませんが、竜馬の脱藩は、
「考えてみると、天が、竜馬という男を日本歴史に送り出すために、姉の人を離縁せしめ、いま一人の姉に自害までなさしめている。異常な犠牲である」 (『竜馬がゆく』第2巻、文春文庫、413ページ)
と司馬遼太郎さんは書いています。
歴史とは、こういうもんなんですね。(もちろん、司馬史観に異を唱える見方もあります!)
ジョナスにも、似たような気持ちが渦巻いていたのでは、と思いました。
15年間ぐらいではありますが、自分が生まれ育ったコミュニティを抜け出す決意をしたのですから。
(でも、家族に対する思いは、まったくと言っていいほど、描かれていませんでしたね!!家族愛が欠落しているからでしょうか?)
竜馬は土佐の内紛状態にいやけがさし、もっと大きなことがやりたい、ということで出て行ったわけですが、ジョナスもそれに負けないぐらい大きなコミュニティを再生させたいという願いを持っていたのです。間違っても「解放」寸前の赤ちゃんのゲイブリエルを助けるために、コミュニティを脱出したのではありません。それが、日程を早めるきっかけにはなりましたが。
関連ということでは、
返信削除『ギヴァー』との関連ではありませんが、
ここしばらく紹介してきたスウェーデン+
他の北欧諸国を私が訪ねていたのは
1996年の1~3月でした。
父からのファックスで、司馬さんが亡く
なったのを知った時の記憶はいまでも
鮮やかに覚えています。
そういえば、司馬さん、亡くなる前の
数年間は、特に日本の未来を憂えていた
ように思えます。と同時に、子どもたち
には、明るい未来を託してもいました。
私が特に好きだったのは、司馬さんの
視線というか視点だったのかと思います。
モンゴル、アイルランド、チェジュ島
(済州島)、オランダ、バスクなど。
今年の正月に、このブログを書き始めたときに
返信削除3ヶ月も書き続けられるとは思っていませんでした。
1冊の本で、果たしてブログが成り立つのか?
そんな大胆な試みをする人が、そもそもいるんでしょうか?
挑戦してみる価値だけはあると思って、スタートしました。
そしてなんと、3日坊主をはるかに通り越して、3ヶ月も越えました。
ますます油が乗ってきた感じです!!!
(ウソです。)