紹介するのは、『ファンタジーが生まれるとき』からです。
「魔女の宅急便」が生まれた経緯のようなことが書かれた本です。
角野栄子さんが、結婚してすぐにブラジルに行き、12歳の男の子にポルトガル語を教えてもらうシーン(162ページ):
歌つき、踊りつきのレッスンが始まった。単語はいつもリズムに乗って3回は繰り返される。「アスーカ、アスーカ、アスーカ(さとう)」
歌うように、話すように、手を動かし、腰を動かし、足はステップをふんで。それにあわせて、私もまねして口を動かし、からだも動かす。憶えたと思っても、日がたって忘れてしまうと「あれ・・あれ・・」とどこか一点を見つめて考えているうちに、教えてもらったときの周りの様子などが、ぼーっと浮かんできて、からだも動き、思い出すことができた。頼りになるのはたいてい言葉の意味ではなくて、そのものの形や色、またその時の風景なのだった。そんなとき、言葉って面白いなって、つくづく思った。
言葉には意味と音がある。でも意味は時代によって変わりやすく、あまり信用がおけないと私は思っている。8月15日やベルリンの壁など。でも音やリズムは変わらない(168ページ)。
どうも、ポルトガル語というかブラジル語の世界は、日本語の世界と大分違うのかな~、と思わせられます。
でも、太古はもちろん、中世、あるいは江戸ぐらいまでは、似たような状況は日本にもあったのかもしれないとも思います。
168ページでは、「どうも私たちの国はみんないっしょがすきみたい! 答えが一つが好きみたい。これでは人に与えられている、一番大切な力、想像力の使いかたを忘れてしまうのではないだろうか」と、角野さんはとても心配しています。
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