『14歳からの哲学』(池田晶子著)を、『ギヴァー』と関連のある本として取り上げます。(左の数字は、本のページ数です。)私があくまでも「面白い」と思った部分の抜書きです。
36 言葉こそが現実を作っている。
言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなんだ。
目に見えるものだけが現実だと思い込んで一生を終えるなんて、あんまり空しい人生だとは思わないか。
39 自分とは誰か ~ 自分であるということに気がつくのと、言葉を話し始めるのとが同じ頃だというのも、面白いことだ。物ではなくて言葉が世界をつくっているってこと...その言葉を話しているのは自分なんだから、世界を作っているのは、じつは、自分なんだ。子供が言葉を話し始めるってことは、世界をつくり始めるってことなんだ。
47~51 死をどう考えるか ~ ウ~ン!!!
62 心はどこにある ~ 目に見えないもの、思いや感じや考えのことをひとまとめにして「心」と呼んでいるけれど、同じ目に目えないものの中でも、動いて変わる部分と、動きも変わりもしない部分とがある。前者が感情。後者が精神だ。感情は感じるもので、精神は考えるものだ。移ろい変わる感じや思いについて、動かずに観察、分析して、そのことがどういうことなのかを考えて知るのが、精神というものの働きだ。
考える精神によって、冷静に観察してごらん。気分や感情というものは、それ自体が面白いものだ。どこからかスーッとやってきて、またどこかへスーッと消えてゆくんだ。
67 他人とは何か ~ 自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ...世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ。
76 家族 ~ 完全な親なんか、人間の中には存在しないんだ。完全な親であることができるのは、動物の親だけだ。人生の真実とは何なのか、死ぬまで人は考えているのだから、その限りすべての人間は不完全だ。
78 ところで、不思議なのは、世の中にはいろんな他人がいるのに、なぜ、よりによって、君は君の親のところに生まれてきたのかというこのことだ。理由がないという意味では、これはまったくの偶然だ。でも、偶然なのにそうだったという意味では、これは確かに縁なんだ。他人と他人の「親子の縁」、人生の意味も、ここからから考えてゆくと、意外と面白いことになることに気がづくはずだ。
82 社会 ~ 思いや考えのことを、ここではまとめて「観念」と呼ぶことにしよう...で、「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない...観念が現実を作っているのであって、決してその逆じゃないんだ。
このことに気がつくことはすごく大事なことで、うまくこれに気がつくことができると、すべてがそんなふうにできあがっているということもわかるはずだ。「社会」なんてものを目で見た人はいないのに、人はそれが何か自分の外に、自分より先に、存在するものだと思っている。思い込んでいるんだ。
83 世のすべては人々の観念が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。このことを、しっかりと自覚できるようになろう。社会がそうなら、国家というものもそうなんだ...日本なんて、どこにもない。人々の観念の内にしかない。
84 結局のところ、「社会」というのは、複数の人の集まりという単純な定義以上のものではない。それ以上の意味は、人の作り出した観念だということだ。
「社会」とはちょっと違ったニュアンスで使われる「世間」という言葉がある。そうだな、君が言うなら「みんな言っているよ」「みんなやってるよ」というあの「みんな」のニュアンスかな。
さて、でも「みんな」って、誰のことだろう。みんなが言ってるやってることが、君の言うこととやることにならなければならない理由はないよね。みんなが思い込んでいるだけの社会通念を、ひとつひとつ正確に見抜いてゆけるようになろう。
94 理想と現実 ~ 理想こそが現実を作っている。理想を失わずにいるのであれば、それはすでに現実であるということになるね。
だって、考えてもごらん。もし目標としての理想が自分の内にあるのでなければ、どうやって人は何かをすることができるだろう。「何かをする」ということは、必ず何かを目指してすることだ。
100 友情と愛情 ~ 自分の孤独に耐えられるということは、自分で自分を認めることができる、自分を愛することができるということだからだ。孤独を愛することができるということは、自分を愛することができるということなんだ。そして、自分を愛することができない人に、どうして他人を愛することができるだろう。
101 考えるということは、ある意味で、自分との対話、ひたすら自分と語り合うことだ。だから、孤独というのは、決して空虚なものではなくて、とても豊かなものなんだ。
133 メディアと書物 ~ 情報は変化するものだけれども、知識というのは決して変化しないもの、大事なことについての知識というのは、時代や状況によっても絶対に変わらないものだということだ。 → 古典の価値
150 歴史と人類 ~ さあ、有史以来、あるいはそれ以前から、人類は、この地上で、何のために何をやってきたのだと君は考えるだろうか。人類史にとっての進歩とはなんだろう。
自分と他人はうんと深いところでつながっていると言ったね。そして、自分とは、世界に他ならないとも。まったく関係のない他人同士が、自分勝手に動き回ることで、世界の時代が現れるのはそのためだ。これは気がつくと、ものすごく面白い眺めだよ。すべての他人が自分なんだ。原始人も科学者もテロリストも、同じ精神としての自分なんだ。歴史とは精神の歴史だ。人が自分を精神であると、はっきりと自覚するとき、そこには「内」も「外」もない壮大な眺めが開けることになるんだ。
ところで、自分とは人類、人類の全体に他ならないのだから、自分がよくならなければ、人類の全体もよくはならない。逆もまた真。
さあ、精神であるところの君は、この地上で、何を何のためにやってゆこうと考えるだろうか。人類の進歩とは、何の進歩のことであるのか...
私の「哲学」路線もこの辺でいったんは終了です。
返信削除どなたかがいい本を紹介してくれるまでは。
よろしくお願いします。