以下は、リーダーの役割について学校の校長たちを題材に取り上げてまとめた『校長先生という仕事』★(平凡社新書)からの引用(48~50ページ)です。
なお、ティムさんは、生徒数1550人、教師数80人、副校長3人の高校の校長さん。
★ この本では、4人の校長の「追っかけ」をしています。2人の日本人校長と、2人のアメリカ人校長の。そして、その時間の使い方と教師を中心に人との接し方の違いが明らかになります。以下に紹介するのはそのうちの一人で、午前8時から9時までの間に起こったことです。
なお、ティムさんは、生徒数1550人、教師数80人、副校長3人の高校の校長さん。
学校は、高校生の銃撃事件で一時有名になったコロンバイン高校に近い、アメリカ・コロラド州のデンバーにあります。
八時少し前に部屋に戻り、社会科教師のキムとのミーティングは八時丁度からはじまる。
その入ってきた先生を紹介された後、確認の意味も含めて「退席した方が、いいですか?」と尋ねると、「あなたもミーティングに入って、アドバイスをしてあげてください」と極めてオープンである。★従って、話されている内容に集中せざるを得なかったので、メモをとることがおろそかになってしまった。
★ この辺の人の使い方は、とてもうまいと思う。「利用できるものは、なんでも利用してしまえ」というのをまさに地で言っているような気がした。日本だったら、このレベルの話でも「個人的な内容」ということで退席を要求されると思う。もちろん、中・高レベルで、教科違いの校長に自分が教える教科の中身の相談を個人的にするということ自体、考えられないと思うが。
とにかく、こういう人の使い方のうまさというか、オープンさは、何から来ているのか、といろいろと考えさせられてしまう。わずか一時間前に、初めてあった、それも異国から来た人間に対して、カリキュラムについての話に同席してもらい、かつアドバイスまで要求するということについてである。部分的には、彼らの人間関係のつくり方にあるのだと思うし、もう一つは、ティムさんの自信のようなものも感じた。こちらがテストされているような感じもしないではなかったが。
この時キムから提起されたことは、三点あった。
1)自分の時間の使い方
2)最終学年の社会科の中身
3)成績のつけ方
この中で、話し合いというか、私の意見を求められたのは、二番目である。1)の時間の使い方については、ティムさんも基本的にはキムの希望である「家族のために、教える時間を減らしたい」という要望を聞いて、それを尊重し、最大限実現するように努力する旨を伝えていた。3)については、どれだけ話し合いが行われたのか、残念ながらまったく記憶も記録がない。話の中心は、キムから一枚の資料も提示されていたこともあって、2)の最終学年の社会科の中身についてであった。
キムからは、これまで教えてきたテーマや自分が教えたいテーマが、全部で一〇ほどリストアップされたものがタタキ台として提示されたうえで話し合いが行われた。それには含まれていなかったが、他にもボーダレス、貧困、メディアの力などのテーマもあり得ることも追加説明された。
私とティムさんがキムに言ったことは、
・ 生徒たちの興味・関心を第一に考えること
・ コースのねらい(ないし達成したいこと)は何かを明確にすること
・ それを明らかにした上で、それに至るプロセスを考えること
などであった。
こういう活用法というか人間関係のとり方というのは、『ギヴァー』の世界にも、日本にもないと思った。いったい何の違いが、人間関係の違いを招いているのか?
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