ギヴァーは、感情があるのは、君と私だけだよ、とジョナスに言いました。
ジョナスが愛するフィオナも父親も、解放を自分の手で下すことをなんとも思っていないことを知ってしまい、いてもたってもいられなくなってしまいました。
183ページから、感情共有で語らわれるものは、短気さやいらだちなど底の浅いレベルのもので、深いレベルのものが語り合われることはないことがわかります。
また、「愛」という感情を知ったジョナスが、父母に「ぼくを愛してる?」と尋ねました。その反応は、「きみらしくもない。言葉は正確に使いなさい」「あなたがすごく抽象的な言葉を使ったといっているのよ。今では意味がなくなって、ほとんど使われない言葉ですもの」「言葉を性格に使わないとコミュニティがうまく機能しなくなってしまうわ。あなたはこう聞けたでしょう。『ぼくといて楽しい?』と。答えは『楽しい』よ」(176~8ページ)
しかし、ジョナスにとっては「意味がない? あの記憶ほど意味にあふれたものはそれまでなかったのに」という体験だったのです。
ジョナスにとって、記憶を注がれれば注がれるほど、感情が研ぎ澄まされていき、ギヴァー以外のコミュニティの人たちとの接点を見出すことができなくなっていきます。
ローリーさんは、この状態を『ギヴァー』の中で極端に描いてわかりやすくしてくれたんだと思います。私たちの社会の中では、それがとてもゆっくりしたスピードで、しかし確実に進行している気がします。そのことに警笛を鳴らすために。
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