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2010年6月19日土曜日

『ザ・ギバー』の感想 ①

 『ザ・ギバー』を読んで、復刊しようと思ったのは2007年の春でした。
 手始めにしたことは、自分だけで興奮していてもしかたがないので、知り合いの人たちに読んでもらって感想を聞いたことです。これは、「マーケティング・リサーチ」とも言います。
 復刊するのであれば、講談社がした過ちを犯し続けたくなかったので、読者対象を「ユース」以外にも広げることでしたから、読んでもらった人たちは20代~70代までの人たちでした。従って、読んでもらったのは、『ザ・ギバー』の方で、その時はまでできていない『ギヴァー』ではありません。

 今日から何回かにわけて、その人たちが書いてくれた文章を紹介していきます。

 まずは、小学校の教頭さんをしているSさんから。Sさんは、送ってくれた感想に、「快適で安全であれば、自由はいらないか」というタイトルもつけてくれていました。

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 すごい科学技術が出てくるわけでも、恐ろしい怪物が出てくるわけでもない。しかし、ぞっとする世界を、作者は創り出している。


 最初の衝撃は、ジョーナスが橇を疑似体験する場面における、老人とジョーナスの会話で味わった。

「斜面は?そのことばもなんのことだかわからないな?」「ぜんぜんわかりません」

斜面を知らない?斜面を学習していない社会。どういうことだろうか。「画一化」のために丘、斜面は捨てられたという。

 さらに追い討ちをかけるように、何とこの世界には「色」もないという。

 そして、明らかになる画一化できないものは抹殺するという「リリース」の実態。

 これらの理解しがたい事実が、ごく自然に日常生活に組み込まれた形で、物語は進行していく。このようにエンターテインメントとしても面白い。

 しかし、それだけで終わらない。「幸せとは何か」ということを、つい考えさせられる物語でもある。

 「すべて他者によって決定されるが、快適で安全な生活」と、「どうなるか分からない危険な面があるが、自由のある生活」どちらが本当に幸せか、という問題だ。

 これは、教育における今日的な問題だ。現代の日本では、「怪我をしないように」「困らないように」、家庭も、学校も、国も、大変気を遣っている。「転ばぬ先の杖」どころか、「転ばぬために歩かせない」といった感さえある。それが本当に幸せにつながるのか。この物語は、大きな問題提起をしているように思う。

 ジョーナスは、<いずこ>を目指して、コミュニティーを飛び出した。子ども達は、本来活動的で、未知なるものにチャレンジする生命力にあふれているものだ。そうでないのは、それを阻害する何かがあるからだ。

 その意味で、教師をはじめ、教育に関わる多くの人に読んでほしい物語である。

 もちろん、小学校高学年になれば、十分に楽しめると思う。

 聞くところによると、続編もあるという。ぜひ、続きを読みたいものだ。

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