『ギヴァー』に登場する人々は、ギヴァーとレシーヴァーになったジョナス以外は、記憶を持たない設定になっています。
ギヴァーが言ったように「きみは去年のことを思いだせるだろう? あるいは7歳の時、5歳の時のことならどうだ? コミュニティの人々はみなそうやって一世代の記憶を有して」(129ページ)はいるわけですが、ジョナスの父親やガールフレンドだったフィオナのように、存在してはまずいと判断された人を解放しても、その記憶はあたかも残らないようです。その理由は、「感情は、あの子の人生には含まれていない。きみと私だけなんだよ、感情をもっているのは」(215~6ページ)だからのようです。
『人生の最初の思い出』(パトリシア・マクラクラン 作、長田弘 訳)を読んで、この辺のことを考えさせられました。
この絵本の主人公は、どこまでも澄んだ空、どこまでもつづく大草原、そして、大きなハコヤナギの木が好きで、引っ越したくない状況は、ジョナスとはまるで逆さの状況です。
「人生の最初の思い出は、いつでも、じぶんといっしょにあるんだ。たとえ、自分では、すっかりわすれてしまってもね」というのが、この絵本のメッセージ。
記憶や思い出を大切にしない社会になっているのでしょうか?
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