自分自身が、日本の小~高の授業で読むことが嫌いになったのが原因です。
教育現場では、私が極めて悲惨な体験をしてから40年たった今でも、同じ授業を続けています。
そんな状況をなんとかしたい(少なくとも、嫌いにはならず、願わくは好きになる状態にしたい)、と思って訳しています。もちろん、この本に書いてあるのは、そのレベルだけではなく、一生使い続けることのできる読む際のワザをたくさん身につけることのできる方法が紹介されています。
教師にとっては、教え方の楽しさを思い出させてくれる本ですし、教える際の評価の大切さにも気づかせてくれる本です。
その中(第9章のはじめの方ですが)に、こんなところがでてきます。
『ギヴァー』との関連を読み取ったので、紹介します。
太古の昔、人間は話すことで地球を語り、太陽や星や雨を説明してきたのです。何世代にもわたり、親は子どもたちを集め、自分たちの物語を話してきました。話を理解し、それに意味を吹き込んでいくことがなければ、宗教や科学や歴史とはいったい何なのでしょうか?
日々の様々な局面において、「なぜ、このことが起こったのだろうか? 他の方法はなかったのだろうか? これは、他のこととどう関わっているのだろうか? これが世界にとって、また自分にとってどんな意味があるのだろうか?」と考えて問いかけてみることは、まさに人間が生きていくことそのものなのではないのでしょうか。
→ 考えること、物語ること、記憶を葬り去ってしまったジョナスの世界
他の子どもたちと話す練習ができることで、自ら考えていく土台をつくっていくことができるということです。「何を考えているの?」、「この本のどこを読んでそう思ったの? そのことを裏付けることはどこに書いてあったの?」といった質問を繰り返し行うと、いずれは自分に同じような質問をするようになっていくのです。
→ 読むこと、書くこと、話すこと、聞くこと、見ることは、考えること。
それらを軽視しているとしか思えないジョナスの世界
そして、私たちの世界も。
学校教育において話すという活動は、大きな価値があると見なされることもありますし、まったく無視されることもあります。しかし、いずれにしても話すということが教えられることは皆無に近いのです。子どもたちが上手に話せるようになるためにはどのように教えればよいのかということが、教師の間で話題に上ることはあまりありません。しかしながら、読み書きと同じように話すことは知性の発達を促す原動力であり、この原動力は極めて大切なことなのです。
→ 軽視ないし無視されているのは、話すことだけでなく、書くこと、読むこと、考えること全体です。
訳している本のタイトルは何ですか?
返信削除という質問をもらいました。
The Art of Teaching Reading, by Lucy
Calkins です。
日本語訳は、『リーディング・ワークショップ』
のタイトルで、『ギヴァー』も出してくれた
新評論から、2~3ヵ月後に出る予定です。
「書くこと」の効果的な教え方も同じレベルで
返信削除求められているので、『ライティング・ワークショップ』
とその日本での実践版の『作家の時間』は
すでに新評論から出版済みです。
読みも書きも、本物の読書家や作家になる
ことを通じて学びます。
学校の中だけで通じる「ごっこ遊び」では残念ながら
うまくもならないし、好きにもなりません。