NAVET(車輪の軸)というスウェーデンのオレブロ市内にある公立学校の紹介の続きです。
学校訪問の中には、なんと、しっかり授業にゲストとして登場することも計画されていました。(結構、欧米の学校では来訪者を自分たちの授業に活かす発想が行き渡っています。あちらからわざわざ来てくれた人を、活かさない手はありませんから!!)
50分間の最上級生の英語のクラスでした。
こちらから話をする必要はまったくと言っていいほどなく、質問攻めでした。
質問をしていたのは5~6人に限られていたのが残念でしたが、みんな熱心にやり取りを聞いていましたし、質問のレベルの高さには参ってしまいました。
内容は、なんと日本の教育(問題)のことや、日本人が何を持って幸せと感じているのかなど。
もちろん、こちらの答え方や話の内容がそうしていた部分もあったのですが、結構、日本の教育の“悲惨さ”についてはテレビ等が報道しており、「なぜ、あんなにしなければいけないのか?」はぜひ知りたいことのようでした。
主には、受験のことです。そして、それが社会全般に及ぼしている影響のことについてです。
振り返ってみると、彼(女)らが納得できるような説明ができたとは思えません。
と同時に、単純な眼で見ると(「よそ」からの視点で見ると)、「とてつもなくおかしなことを、みんなでやっている」としか言いようがないようにも思え、それに気がつければ、そのおかしなことをやめられそうな気もしてきたから不思議です。
つまり、日本の教育の現状を言いわけ的に説明したり、弁護したりするするよりも、彼(女)らの質問に対して、「そうなんです。ご指摘の通り、私たちはおかしなことをしてるんです」と言いたくなってしまったというか、言わざるを得ない部分は多分にあるんだろうな~と思った次第です。
いい質問や本質的な質問をしたり、されたりというのは大事ですね。
「内輪」だけの視点では、それはなかなか出てきません。「よそ」の(異なる)視点の大切さに気づかせてくれます。
この点も、『ギヴァー』と関連あると思われませんか?
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