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2010年7月31日土曜日

 これまでは思ったこともなかったのですが、「夢」というのも『ギヴァー』の一つのテーマであるような気がしてきました。

 しかし、それは私たちが持っている夢とは大分種類の違う夢です。
 職業にしても、配偶者にしても、家族にしても。
 すべては<長老委員会>から「あてがわれる」のですから。
 ジョナスをはじめ、コミュニティの人たちにとっての夢は常に「気がかり」  (10ページ)のレベルです。

 しかし、そのコミュニティを飛び出したジョナスだけは、<長老委員会>が細心の注意を払ってなされる決断の枠の外にも飛び出して、真の夢を見始めた気がします。ローリーさんは、本の最後ではまさにそういうことを描いてくれていたのかもしれません。

 夢を夢として描けることの大切さ、大事にしていきたいですが、私たちの社会はどうも『ギヴァー』の中で描かれているコミュニティに近づきつつあるようです。

 夢は、どこかの偉い人が授けてくれるものではありません。たとえば、最近だとアメリカのオバマ大統領のような人が。(日本の政治家は幻想を抱かせるパワーさえ失っているようです。2009年8月の「政権交代」は民主党に単に騙されただけ? 長い自民党政権、そしてその後の政党らしい体裁をなしてさえいない民主党政権によって、多くの選挙民は無力感を味わっています。政治では何も変わらないんだ、と。ジョナスのコミュニティでいえば、<長老委員会>に任せておいても「何も変わらない」のと同じように。)

 変わらない理由は別に為政者や長老たち(要するに、「力を持っている人たち」)にあるだけでなく、私たち自身にも同じレベルであると思います。その原因といえるものが、私たちの生活のあらゆるところにはびこっていますから。それらに気づき、改めていく努力を自分たち自身がしない限りは、誰かが直してくれることなど期待できるはずもありません。

 要するには、自分の夢のためには、ジョナスがしたように、自分自身が行動を起こすしか方法はないんだと思います。

2010年7月30日金曜日

大切なことは何か        = 『ギヴァー』と関連のある本32

 これをテーマにした本はたくさんあると思いますし、切り口も様々あると思います。

 その中で、『クリスマス・ボックス』(リチャード・ポール・エヴァンズ著)は日常に追われて気がつけなくなってしまう「本当に大切なこと」を、何とかして気づけるようにし、そしてアクションを起こさないといけないと思わせてくれる、という意味でとても『ギヴァー』と似ていると思いました。

 その際に、自分を真に気づかってくれる他者の存在はとても大切、ということについてもです。

2010年7月29日木曜日

記憶

 『ギヴァー』に登場する人々は、ギヴァーとレシーヴァーになったジョナス以外は、記憶を持たない設定になっています。

 ギヴァーが言ったように「きみは去年のことを思いだせるだろう? あるいは7歳の時、5歳の時のことならどうだ? コミュニティの人々はみなそうやって一世代の記憶を有して」(129ページ)はいるわけですが、ジョナスの父親やガールフレンドだったフィオナのように、存在してはまずいと判断された人を解放しても、その記憶はあたかも残らないようです。その理由は、「感情は、あの子の人生には含まれていない。きみと私だけなんだよ、感情をもっているのは」(215~6ページ)だからのようです。

 『人生の最初の思い出』(パトリシア・マクラクラン 作、長田弘 訳)を読んで、この辺のことを考えさせられました。

 この絵本の主人公は、どこまでも澄んだ空、どこまでもつづく大草原、そして、大きなハコヤナギの木が好きで、引っ越したくない状況は、ジョナスとはまるで逆さの状況です。

 「人生の最初の思い出は、いつでも、じぶんといっしょにあるんだ。たとえ、自分では、すっかりわすれてしまってもね」というのが、この絵本のメッセージ。

 記憶や思い出を大切にしない社会になっているのでしょうか?

2010年7月28日水曜日

嘘はつかない

 ジョナスは、12歳の儀式まで、「嘘をついてはいけない」と教えられてきたし、実際に、嘘をつくことはいけないことだと思っていました。

 でも、ジョナスに与えられた仕事であるレシーヴァーの規則と指示がリストアップされた最後には、なんと「八 嘘をついてもよい」と書いてあったのです。

 ここ読んだ時に、ジョナスが考えたことは、

 もしほかの人たちも ~ 今の大人たちも ~ 12歳になった時、自分たちへの指示の中に、同様の恐ろしい一文を見たのだとしたら? もしすべての人が、「嘘をついてもよい」という指示を受けていたとしたら?

 三番目の指示には、「今この瞬間から、あなたは不作法をとりしまる規則の適用から除外される。どの市民にどのような質問をしてもかまわないし、つねに答えを得られるだろう」とも書いてありました。

 でも、ジョナスには返ってきた答えが真実かどうかを知るすべはないのです。

 実際に、すべては嘘で固められていることを、父親が赤ちゃんを殺すビデオを見て知りました。

 「嘘をついてもよい」ことで成り立っているコミュニティにもはや居続けたくないというのが、ジョナスのコミュニティ脱出の大きな要因の一つだと思います。

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 38 - 39)

2010年7月27日火曜日

自分であること

 ジョナスが12歳を迎える儀式の場で、主席長老は、以下のようにスピーチしました。

 「いまや、差異を肯定すべき時がきたのです。あなたがた<11歳>は、これまですべての歳月をかけて調和を学んできました。標準からはずれる行動を避け、グループ内で目立つことになるようなあらゆる衝動を抑制してきました。
 けれど今日、わたくしたちはあなたがたの差異を称えます。差異こそが、あなたがたの将来を決定したのです」(72ページ)

 ということで、12歳になるまでは、調和というか「同じ」であることを強いられ続けました。誕生日はありません。★誰が本当の親なのかわかりません。着るものはみんな同じです。することも同じです。食べる食事もみんな同じです。

 今日から「違い」ますと言っても、従事する仕事が違うだけで、他はすべて前と同じです。録画と録音で監視され続けることも同じです。

 このコミュニティの中で記憶を継承する2人だけが、「自分であること」の大切さに気づいてしまったと言えるかもしれません。そして、そのために行動を起こしたのがジョナスでした。ジョナスの前任者のローズマリーも10年前に同じことに気づいてしまったのかもしれません。しかし、彼女が「自分であること」を貫くために選んだ行動のしかたは、ジョナスのそれとは違いました。

(参考: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 37 - 38)

 
★ ジョナスがギヴァーから楽しい記憶をたくさんもらい受けましたが、そのうちの一つは「誕生パーティー」の場面でした。

 「一人の子どもだけが選び出されて、自分の生まれた日にお祝いをしてもらうのだ。ジョナスはそれ以来、特別でかけがえのない、自尊心をもった一人の個人として扱われることの歓びを理解した」(170ページ)とあるように、ジョナスのコミュニティでは「自分であること」の核ともいえる「自尊心」も排除してしまっているわけです。(「愛」という感情もでしたが。)

2010年7月26日月曜日

同一性 vs. 多様性

 『リーディング・ワークショップ』から『ドラマ・スキル』と寄り道が続きましたが、『ギヴァー』のテーマ に戻ります。

 同一性ないし「同じ」であることで、私たちは安心を得ます。「違い」は脅威をもたらしますから。その脅威をもたらす違いを排除することで、安心して生きられることを選択したのがジョナスのコミュニティでした。

 色、音楽、天気の変化、丘や山などがありません。本は、記憶であると同時に、違いも生むので、排除されたんでしょう。成長の段階で着る服や格好(髪の形)や持ち物も全部同じです。(違いは、安眠アイテムの動物の種類ぐらいしか許されません。それも、本人が選ぶというよりは、誰かにあてがわれた結果ですが。)しゃべり方まで同じにしようとしているとさえ感じます。

 しかし、同じことで安心できることと違いを楽しめることもバランスです。

 コミュニティを抜け出したジョナスは飢えを中心に安心は得られなくなったにもかかわらず、飢えや死ぬかもしれないという不安の中で違い/多様性を楽しんでいました。

    (参考: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 36 - 37)

2010年7月25日日曜日

生きていくのに必要なドラマのスキル

 昨日紹介した『ドラマ・スキル』の原書のタイトルは、「Drama Skills for Life (生きていくのに必要なドラマのスキル(力))」です。

 もちろんドラマをやっていれば、生きていくのに十分というわけではありませんが、ドラマの中には生きていくのに大切なスキルがたくさん含まれている、という意味です。それらを活用しない手はありません。

 どのようなスキルが含まれているかというと、以下のようなものです。なお、この中には大掛かりな劇の前段階の部分である即興やマイムなどを通じて磨かれるスキルも含まれています。また、中には、スキルとは言い難い姿勢や態度も含めました。

・ 話し合う力
・ 書く力
・ 読む力
・ マイムや即興も含めて演じる力 - 人前で演じることのしんどさや快感も含めて
・ たくさんの知識や経験を踏まえて、判断する力 - 他教科の知識と統合する力
・ 知っていること(知らないことも?)を表現する力
・ 考える力 - それも応用、分析、統合(まとめ)、評価といった高いレベルの思考力(★)。また柔軟で、オリジナルで、入念な思考も
・ 劇作りに必要な様々なノウハウの獲得 - 役作りのための調査研究、計画。小道具や衣装を作ったり、困難を乗り越えられる力
・ 自分の感情も含めて、自分自身について知る力
・ 一緒につくっている仲間や観客などと人間関係を築く力
・ 想像力・創造力 - それを通じて得られる喜びも
・ 好奇心
・ リスクを犯せる態度、試してみる姿勢
・ 結果を予測する力
・ 振り返れる力

 これだけの能力や姿勢・態度が身につくのですから、マイムや即興やドラマを使わない手はない、と皆さんも思われませんか? 

★ 1956年に、シカゴ大学の教授だったベンジャミン・ブルームが、『教育のねらいの分類』という論文を発表しました。その中で、「思考という行為は、6段階にレベル分けできる」と提唱していました。暗記、理解が低いレベルの思考であるのに対し、応用、分析、統合、評価が高いレベルの思考とされています。どのレベルの思考をさせたいかということによって、教師の投げかける質問は自ずと違ってきます。
(以上、『ドラマ・スキル』の訳者まえがきより)

 ジョナスのコミュニティにも、そして私たちの社会にも共に欠けているのが、ドラマ(演劇)教育です。

 どうせ忘れてしまう知識の量を増やすことにエネルギーを注ぐのか、それとも生きていくのに必要なスキルを身につけるために時間とエネルギーを割くのか、私たちに選択は与えられています。

2010年7月24日土曜日

ドラマによる表現

 「大きな違い」ということでは、ドラマ教育にも同じことが言えてしまいます。
 私は、2003年に『ドラマ・スキル』(レスリー・クリステン著・新評論)を訳しました。

私がその本を日本の人たちに紹介したいと思ったのは、たまたま2001年1月にオーストラリアの高校を訪ね、世界的にも「ドラマ教育」に熱心と言われているオーストラリアのドラマの授業を実際に見てしまったからです。

生徒たちが、なんと楽しく、生き生きとしていたことでしょう。これは、日本の学校で行われているたくさんの授業はもちろんのこと、オーストラリアでも他の教科ではなかなか見られません。

何よりも、からだを動かすのがいいようです。本来、あれほどエネルギーがあり余っている小・中・高校生を、ほとんど体育の授業以外は椅子に座らせたままにしておく方が、おかしなことなのですから。じゅうたんが敷きつめられ、机のない大きな部屋も、生徒たちには開放感を与えていたのかもしれません。さらには、からだを使って創造的に自分を表現することも、楽しさや生き生きしていることの大きな要因ではないかと思えました。

そして、私は真剣に考え込んでしまったのです。

「子どもたちが、こんなに楽しく、生き生きとからだを動かせ、しかも自分のことを表現できる時間が、学校にあるのと、ないのでは、学校にいるときはもちろん、卒業して社会に出てからも大きな違いが出てしまうのではないか」と。 (以上、訳者まえがきより)


 ジョナスの友だちのアッシャーとフィオナが「戦争ごっこ」をして遊んでいるシーンが出てきます。ジョナスも、戦争の記憶を注がれるまでは、一緒に楽しくやっていたのに、真実を知った後は、できなくなってしまいました。

 私は、戦争ごっこをした記憶はありませんが、「チャンバラごっこ」をした記憶はあります。

 いずれも、一種のドラマ(教育)ではないでしょうか?

 さらに考えてみると、私たちに日常の中には、演じていること(ドラマをしていること)がとても多い気がします。いろいろな役を(意識する・しないに関わらず)演じつつ生きているような気がします。意識してやっている部分が「教育」ということなのかもしれません。

 また、意識する・しないの両方に、強要されている部分が多分に入り込んでいる気がしないでもありません。それもいろいろな形で。

 そういう諸々のことに、ジョナスのように、意識的に、そして選択的に生きはじめたら、どういうことになるんだろう、とも考えます。

2010年7月23日金曜日

ブッククラブ→学習サークル

 ブッククラブには、昨日書いたように、話し合いのスキルを伸ばす要素がありますが、他にもたくさん得るものがあります。

 まず、話し合いの前段として、よく読むようになります。話さないといけないという前提があるので、よく考えて読むことになります。それだけでも、通常の枠を越えて考えたり、気がついたりすることが増えるのですが、自分が読めなかったことを聞くことでも、考えの幅を広げてくれます。

 それが、「目から鱗」的なものであった場合には、アクションにつながることも少なくありません。

 単に読んだり、話し合ったり、考えたり以外の部分でのメリットもあります。

 基本的には4人前後のメンバーが主体的に動かしていくのがブッククラブです。何を読むのか、どのくらい読むのか、いつ話し合いを持つのか、話し合いの振り返り等、計画→実行→振り返り(PDC)のサイクルを常に練習することになります。

 単に話し合いをしましょう、というのでこれをやろうとしても難しい部分がありますが、本という焦点がありますから、PDCのサイクルをするにはいい練習になります。

 会の効果的な運営法を、知らず知らずのうちに身につけてしまうわけです。

 さらに、EQとライフスキルの練習の機会でもあります。

 教師の役割はまったくないかというと、子どもたちが個別にひたすら読んでいる時にするカンファランスやコーチングを、ブッククラブを対象に行います。ブッククラブがうまくいくようにミニ・レッスンも行いますし、たまには全体での共有もします。要するに、常にサポートし続けます。


 このブッククラブで思い出したのは、スウェーデンで行われている「学習サークル」です。これは、最低5人が集まってグループを作って、国内に11ある学習協会のいずれかに登録をすれば「学習サークル」として認められ、学習活動に関わる経費の80~90%を支援されるというシステムです。

 多くの人は、文化や趣味のサークルからスタートするそうですが、継続して関わる中で、3人に一人の割合で地域の活動や政治に関心をもち始める、という数字が出ているそうです。

 基本的に、学習サークルは講師を招いて話を聞くのではなく、参加者が自分たちの共通のテーマを設定して、それについて参加者が互いに教え/学び合います。サークルに参加する各自の知識や経験に基づくと同時に、それらを共有することが求められ、お互いに励まし合って学ぶ雰囲気が不可欠です。大人が(そして子どもも?)学習する理想的な形と言われており、その特徴は:

1) 参加者こそが主人公 ~ リーダーやたまに登場することもある専門的な知識をもった「講師」は補助的な役割を担っている(リーダーは、全国組織の学習協会が派遣してくれる人のこと。そのリーダーの存在は、サークル活動を効果的に展開するために不可欠であり、リーダーの能力に左右される部分がある。リーダーとなる人たちは、サークル・メンバーをサポートするための十分な研修を受けている。)

2) 参加者がイコールな関係で、民主的に(協力して)学ぶ雰囲気がある。

3) 参加者の興味・関心によってテーマが設定されているだけでなく、日常生活の中で活かせるものにすることを目的としている。

4) 継続性が重んじられている。

5) リーダー/学習協会のサポートがある。

6) 創造力や批判的思考力をかきたてる形でサークルが運営される。

7) これまでの学歴や経験に大きく左右されることはない/極めて少ない。

 このような学習サークルやブッククラブのようなものが当たり前に行われている国々と、官から与えられる社会教育やメディア教育を有難がって受け続ける国との間には、大きな違いが生まれてしまうとつくづくと思ってしまいます。

2010年7月22日木曜日

話し合う力

 リーディング・ワークショップは、当然のことながら読む力を身につけることを主眼にした教え方・学び方なのですが、それを通して身につく話し合う力にもすごいものがあります。

 『リーディング・ワークショップ』の本の中でも、全部で13章中、
 第9章:  話すことを読むことに活かす
 第11章: 話すことと書くことを活かして、読みと思考を深める
 第13章: ブッククラブ
の3つの章が話すことに焦点を当てています。

 中でもブッククラブは、読んだことについてチームで話し合いをするのですが、子どもたちがもっとも好きな活動です。

 これらの視点はいずれも、日本の国語の授業で典型的に見られる、教師主導で行われる話し合いのことではありません。あくまでも、子どもたち同士の話し合いのことを指しています。ですから、社会人になってからもっとも必要な能力の一つである相互に認め合いながら、協力し合って、話し合う練習の機会がふんだんに設けられ、それに付随する諸々の能力や態度(昨日のEQやライフスキル)も身につけていくわけです。

 第9章には、話し合いの場では「単なる発表ではなく、展開と発展」こそが大切という項を設けて(150~3ページ)、『リーディング・ワークショップ』の執筆者たちがブッククラブをやり始めた時に犯した失敗も書いてくれています。学会や研究協議の場などでよく起こっている、各自が用意してきたことを単に発表し合う伝統的な方法で満足していたのです。場を共有している人たちが、他の参加者が言ったことをよく聞いて、それを発展させたり、自分に引きつけて展開したり、というやり取りがまったく欠落していたわけです。

(ちなみに、ここで教師たちがしたことは第1章の「ほかの人の言葉から学ぶ」(20~22ページ)で小学校1年生がしていることとまったく同じことを大人たちもしていることを示しています。)

 話し合いを発展させる方法を身につけることで、私たちは考えを変える可能性が広がり、従って変化を起こすというアクションに移す可能性も高くなるわけですが、話し合いを発展させられなければ、同じところに止まることを意味します。

 もう一つ、「聞く」「話す」で構成される話し合いの、読むときや書くときとの共通点についてです。これについてはすでに6月29日に書きましたので、そちらをご覧ください。

2010年7月21日水曜日

再び EQ & ライフスキル

  以前、ジョナスが持っているスキルに関連してEQとライフスキルの大切さを紹介しましたが、今回はリーディング・ワークショップ(とライティング・ワークショップ)との関連で紹介します。


 EQとライフスキルのリストを見られて、それらの重要性を否定する人はいないと思います。学校の教師であれば、なんとか公教育が終了するまでに身につけさせてあげたいと思うでしょうし、企業をはじめ組織の経営者や上司たちは、それらを身につけた人材を学校や大学ではしっかり養成してほしいと思っていると思います。そして、組織に所属してからも研修や仕事を通じてそれらを身につける努力は継続して行われているのが実態です。(理由は、それらはなかなか得がたいものであると思われ続けているからです。)

 それでは、いったいどのようにしたらEQやライフスキルは身につけることができるのでしょうか?

 いろいろな方法はありますが、もっとも効果的なものの一つは確実にリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップを行うことです。

 他の方法を使っておらず、リーディング・ワークショップやライティング・ワークショップを実践している先生たち数人に、EQとライフスキルのリストを見てもらって、どれだけのスキルが身についているかを判断してもらったところ、答えはなんと「ほとんど全部」だったのです。

 リーディング・ワークショップやライティング・ワークショップは、EQやライフスキルを身につけるために開発されたプログラムではありませんが、それらをみごとなぐらいに身につけてくれるわけですから、一石二鳥です。

 読む力/書く力がつく、自立した読み手/書き手/学び手になるに加えて、EQやライフスキルまで身についてしまうのですから、使わない手はないと思うのですが...

 小学校の先生たち、国語の先生たちに、ぜひご紹介ください。

2010年7月20日火曜日

リーディング・プロジェクト

 「リーディング・プロジェクト」とは、子ども一人ひとりが自ら選んだ読むことに関するプロジェクトに2週間ぐらい取り組むことです(本の第12章で紹介されています)。

 読むことに関することであれば何でもOKです。子どもたちは結構創造力を発揮して、おもしろい、しかも役立ち、そして身につくプロジェクトを考え出すものです。リーディング・ワークショップ自体が「子どもが主役」の進め方をするのですが、中でもこのリーディング・プロジェクトは究極のワークショップと言えます。

 日本も早く「教科書を学ぶことが授業なんだ」(カリキュラム=教師が決めた路線をひたすらこなすこと、ないし教科書会社が考えたシナリオをカバーすること)という古めかしい考え方から脱して、それをこなす教師ががんばる授業から、子どもたちががんばる授業に転換してほしいです。(後者は、カリキュラムは指導要領や教科書を参考にしながら、教師と子どもたちが一緒につくりだすもの、という捉え方です。)そうならない限りは、なかなか「おもしろく、しかも役立ち、そして身につく」ことは期待できませんから。

 振り返ってみると、私はここ20年ぐらいずっとリーディング・プロジェクトをやってきたと思います。それほど、効果的で、役立ち、学びが多い方法なのです!! 仕事にも、趣味にも。また、リーディング・プロジェクトの多くは、ライティング・プロジェクトに発展しているぐらいです。

 ちなみに、私が最近取り組んだリーディング・プロジェクトには、株、読み・書き、学ぶこと・教えること、学校改善、リーダーシップ、絵本、旅行先のことについて(北欧)、画家のフェルメール(飛行機の機内誌が発端)、ボローニャ(井上ひさしの本が発端)、蓮如、オリバー・サックス、ジョーセフ・キャンベル、星野道夫、ジェーン・グドール、ローマ人の物語などが含まれています。そしてここ半年は「ギヴァー」プロジェクトが続いています。

2010年7月19日月曜日

フィードバック

 つい先週、参議員選挙がありました。あれにしても、学校での授業にしても、そしてジョナスのコミュニティにしても、ほとんど改善するための「フィードバック」機能が存在していません。よりよくするためには、不可欠なものなのに。

 参議員選挙に限らず日本で行われている選挙と学校や大学で行われている授業(さらに各種研修も)は、あたかもなんの問題もないが如く、同じことが繰り返され続けています。学校・大学・研修等では、授業評価的なものは導入されていますが、それらはほとんどジョナスの家族がしていた<感情共有>のレベルですから、ガス抜き機能しか果たしていません。(要するに、真の振り返り/評価/フィードバックになっていない、ということ。改善されることがないのですから。)

 『リーディング・ワークショップ』の中には、評価の項目の中(=第7章)に、①「教え方の改善に向けてのフィードバックを得る」や②「多様な段階にいる子どもたちに対応するための評価」などが設けられています。

 要するに、①教え方を改善するために評価が位置づけられており、そのために子どもたちからフィードバックをもらうことは欠かせないというわけですし、②子どもたちの学びを向上することが評価のそもそものねらいですから、単に5段階評価やテストの点数をつけるぐらいでそれは実現できるはずがなく、従って、子どもたちの学び(および学び方)を改善するために評価が行われているわけです。

 さらに言えば、リーディング・ワークショップは、「自立した読み手を育てる」ことを目的に掲げていますから、その中の重要な要素の一つは自己評価ができることになりますから、教師が下す評定や成績に満足しているだけでは、それは実現しません。

 この辺のことについて詳しく知りたい方は、『テストだけでは測れない!』(NHK生活人新書)をお読みください。

 ある意味で、ジョナスがかなりの記憶を注がれ、そして彼自身の生まれながらの素質もあって、ジョナスのコミュニティでは極めて稀としか言いようがない「自立した個」が二人存在することになった結果、フィードバック機能がある程度ギヴァーとジョナスの間で生じるようになったことが、これまでとは違う展開が可能になった気がするわけです。

 タイトルは、遠慮気味に「フィードバック」としましたが、私たちの社会はフィードバックも「評価」も機能していない社会のようです。

 「マニュアル通りにやっているだけじゃ、ダメですよ!」「ちゃんと、フィードバック・ループを確保して!」というローリーさんの声が聞こえてきます。

2010年7月18日日曜日

読み聞かせと考え聞かせ

 『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著)の続きです。

 読み聞かせは、日本ではすでにかなり受け入れられています。

 保護者が、学校側に受け入れられている数少ないものの一つでもあります。

 しかし、学校で熱心に読み聞かせボランティアをしている人たちも、家ではどのくらい熱心にやっているでしょうか? できるだけ長く、できるだけたくさんやるに越したことないのが「読み聞かせ」のようです。「できるだけ長く」は、文字通りです。他の教科を教えることなどできないと思う人も、読み聞かせなら何とかやれると思う人は少なくないと思います。ちゃんと、学校に入る前まではやっていたのですから。

 私も例にもれず、子どもが小学校に入るまでは相当読み聞かせをしました。でも、小学校に入学してからはパタッとやめてしまったような記憶があります。偉大なる勘違いをしていたと反省しています。

 読み聞かせは『ギヴァー』の主要テーマである「記憶を伝える」ことと言えると思います。人類の歴史や叡智の。それほど大切なものなんだと、やっと10年前に気づきました。ウェート的には、学校やテレビに任せてしまうよりも、親の責任という観点からは重要度が高いです。(数字でいえば、学校やテレビが1であれば、少なく見積もっても3~5倍ぐらいは。ひょっとしたら10倍かもしれません。)その意味では、やりたい人だけがやっていればいい「ボランティア」レベルのものであってはこまります。もちろん、何らかの理由で家で親やその他の家族による読み聞かせの恩恵を受けられない子どももいますから、学校でも教師などによる読み聞かせが頻繁にあることは必要だと思います。しかし、「主」はあくまでも家庭にあると思います。

 読み聞かせと同じレベルで、読み聞かせの後の話し合いや「考え聞かせ」やペア読書やブッククラブ(去年の10月今年の1月にすでに紹介)にも積極的に取り組んでもらいたいと思います。(『リーディング・ワークショップ』の第3、4、9、10、13章で詳しく紹介されています。)

 いずれも同じぐらいの価値があるものばかりです。逆に言えば、たとえ効果的だからといっても、何か一つだけをやり続けていればいいわけではない、ということです。バランスが大切です。

 ここでは、まったくといっていいほど知られていない、「考え聞かせ」のみについて簡単に説明します。考え聞かせは、人がどう読んでいるのかは見えませんから、頭の中でどのように考えているのかわかるように、考えたことや疑問や思い描いたことなどを、(読み聞かせをやりつつ同時に)口に出して語り聞かせることです。ある意味では、子どもたちが聞いたり・話せるようになったことを、読むことに応用した方法とも言えます。要するに、「読むこと=考えること」をモデルで示すことです。

2010年7月17日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 31

  『20歳のときに知っておきたかったこと』の本の中に、学校では問題がないことをよしとしたり、問題解決を避ける風潮があると書いてありましたが、昨夜読み直していた『リーディング・ワークショップ』の中で、「『ライオンと魔女』と同様に、教室で展開する授業にも一つだけ確かなことがあります。それは、問題が起こるということです」(80~84ページ)とあります。問題を隠してしまうアプローチではなく、チャンスと捉えるアプローチが大切なんだとつくづく思わせてくれます。

  また、『20歳のときに知っておきたかったこと』では観察者であることの大切さも強調されていましたが(146ページなど)、この練習というか習慣も決定的に欠落しているのが、いまの学校です。しかし、『リーディング・ワークショップ』(や『ライティング・ワークショップ』)では、事のほか大切にしています。

  リーディング・ワークショップは選書(自分にあった本を自分で選ぶところ)からスタートしますし、ライティング・ワークショップは題材探し(自分が書きたいテーマを選ぶところ)からスタートします。下の作家のサイクルと読書家のサイクルを参照。

  問題・課題や観察することを大切にしているのは子どもたちはもちろんですが、教師もです。「子どもたちに話すこと」=「子どもたちに教えた」ではありません(90ページ)というスタンスなので、常に「子どもの状態を観察し、教える内容を選択して教える」(95~104ページ)を実践しています。残念ながら、これを今の日本の教室でしている先生は数えるほどしかいません。個々の先生たちが悪いのではなく、それをさせない仕組みを教育システムが作り出しているからです。

 ということで、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著)については、これまで何回となくその内容を紹介してきましたが(昨年の11月3日や、今年の4月28日4月29日も)、『ギヴァー』と関連のある本としては位置づけていませんでした。遅まきながら、加えさせていただきます。

  『ギヴァー』の世界も、日々行われている授業も(会議も)、そして先週あった(数年に一回繰り返す)選挙も、何の問題もないことを装っていますが、実は問題は山積みです。まずは、それを意識するかどうか、そして問題解決のサイクルを実行していくかどうかが問われています。そうしない限りは、良くなっていかないわけですから。

 以下に、ライティング・ワークショップ(作家)のサイクルとリーディング・ワークショップ(読書家)のサイクルとを掲載しますが、これらは問題解決のサイクルや問いかけのサイクルと同じです。



 

2010年7月16日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本 30

 今日は、『20歳のときに知っておきたかったこと』と『ギヴァー』が関連すると思われる部分の紹介です。数字は、『20歳のときに知っておきたかったこと』のページ数です。


17 チャンスは無限にある!

   問題の大きさに関係なく、いまある資源を使って、それを解決する独創的な方法はつねに存在する!

18 私たちは、往々にして問題を狭く捉えすぎている!

26 人は誰しも、日々、自分自身に課題を出すことができます。つまり、世界を別のレンズで見る、という選択ができるのです。

32 どんなに大きな問題も、解決するにはまず、問題を明確にしなくてはなりません。

   面白いのは、現場にいる人ほど、日常的に問題にぶつかっているので、その状態に慣れ切ってしまい、問題に気づきもしないし、まして、それを解決する独創的な方法など思いつかない、ということです。

34 ニーズを掘り起こすのに必要なのは、世の中のギャップを見つけ、それを埋めることです。

36~7 はやらないサーカスを逆さまにして、成功させる!

 サーカス業界で可能なら、ほかの業界や組織で応用するのは簡単です。ファーストフード業界、ホテル業界、航空業界、スポーツ、教育、結婚。

47 私たちは、自分で自分の監獄を作っているのです。互いにルールを課し、決まった役割を押し付けています。限りない可能性に満ちているのに、そこに踏み出そうとはしません。固定観念を見直したら、どうなるのでしょうか? 枠を取り払ってみる!!


63 ルールは破られるためにある。 枠の中でもがいていては、ブレークスルーはない。

64 もうひとつ、ルールを破る方法があります。自分自身に対する期待、そして周りからの期待を裏切るのです。


146 よき観察者であり、開かれた心を持ち、人当たりがよく、楽観的な人は、幸運を呼び込みます。他にも、組み合わせるユニークな方法を持っている。自分の知識や人脈の価値をよく知っていて、必要なときにそれを駆使します。


206 これまでの章のタイトルはすべて、「あなた自身に許可を与える」としてもよかったのです。私が伝えたかったのは、

・ 常識を疑う許可
・ 世の中を新鮮な目で見る許可
・ 実験をする許可
・ 失敗をする許可
・ 自分自身で進路を描く許可
・ 自分自身の限界を試す許可

をあなた自身に与えてください。

踏みならされた道にとどまるのではなく。


210 人はそれぞれ、世の中をどう見るかを自分で決めています。


 以上の引用から、『ギヴァー』と関連があるどころか、ほとんど同じだと思われませんか?

2010年7月15日木曜日

問題解決とリスクテイキング =『ギヴァー』と関連のある本29

  『こうすれば組織は変えられる!』(ピーター・クライン他著)のメモを読み返していたら『20歳のときに知っておきたかったこと』(ティナ・シーリグ著)を思い出し、さらに『ギヴァー』のテーマとして、前回の「選択の大事さ」や、「問題解決」と「リスクテイキング(リスクをおかして行動を起こす)」とつながるな~、と思いました。3冊の本の関連です。


 今日紹介するのは、『こうすれば組織は変えられる!』の方です。


203: 問題のさまざまな解決法を知ることは、直感を生み出す土台となる予備知識を提供する。リスクテイカーにとって、学習は必須要素である。情報を柔軟に処理するなかから、直感は生まれてくる。そのようにして生まれた直感にしたがうことで、大躍進を遂げるまでの時間が大幅に短縮されることがある。(ちなみに、原書ではFamiliarity with many different ways of solving problems provides important background knowledge. For the risk-taker, learning is fundamental. It’s through the flexible processing of information that hunches develop.(p.122)となっています。)


193ページには、リスクテイキングと無茶は違う ~ それを見極める一つの枠組みとして、下の図が紹介されています。

図の使い方は、

 ①リスク=起こしたい変化を明らかにします。
 ②変化を達成するために(リスクをおかすのに)必要な「システム」を考慮します。
 ③リスクに対処するために必要なサポートを明らかにします。
 ④リスクテイキングに伴い、どのような問題を解決しなければならないかを見極めます。

これで、リスクを評価することができ、無茶はせずにすむことになるわけです。


204: リスクテイキングのための9つのカギ:

  1.自分の才能、個性、目的を信じる。
  2.サポートチームをつくる。
  3.失敗への恐怖を克服する。(失敗を許す)
  4.柔らかい頭を持つ。
  5.直観力を高める。 ← 言うは易し、行うは難し
  6.達成可能なゴールを設定する。
  7.ゴールを具体的にイメージする。
  8.リスクの許容範囲を知る。
  9.ベンチーマークを設定し、どれだけ達成できたかを評価する。

この本には、「組織は演劇の劇団に見立てるのがいい」なども含めて、ユニークなアイディアが満載です!

2010年7月14日水曜日

選択の大事さ

 「選択」はすでに哲学のところで扱ったテーマですが、もう一度。

 ある意味で、記憶が注ぎ込まれるまでのジョナスは、真の選択を持っていたとは言えません。コミュニティが提供する枠の中での選択で十分満足していました。(ジョナスだけでなく、コミュニティの住人全員が満足しきっている、と言えるかもしれません。何分、他の選択肢は考えられないのですから。そして、考えること自体を停止されているのですから。)

 しかし、ギヴァーから記憶を注ぎ込まれることで、ジョナスはたくさんの選択肢や見方や感情があることに気づいていきます。それが、叡智(88ページ)なんだと思いますが。

 叡智と選択肢をもってしまったジョナスは、もうそれを踏まえた行動を起こすしかなくなってしまいました。

 ここでも、ローリーさんの「もっと選択を大切にして!!」という声が聞こえてきます。

 ということは、私たちは選択肢、見方、感情を十分に提供されていない(自らが気づいていない)ということを意味するのでしょうか?

(参考: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 34 - 35)

2010年7月13日火曜日

似ているけど、違う

 『ギヴァー』の中で描かれているコミュニティは、私たちの社会と「似ているけど、違い」ます。


 そのことを、私たちにとっては極めてあたりまえな家族、結婚、生と死、子どもの成長、学校、仕事などを使いながら鮮明に描き出してくれます。


 「似ているけど、違う」は「私たちとよその人たち」の違いでもあります。リリーが学校(?)で遊んでいた時に、隣のコミュニティの子たちが来ていて、滑り台だかを使うときにちゃんと並ばずに割りいって遊ぶという行為をしていたことに対して、リリーが怒っていたところが描かれていました。これは、ひょっとしたら、ローリーさん自身が代々木のワシントン・ハイツから出てきて渋谷の街を観察していると、あちらこちらで見かけた風景だったのでは、と察しました。日本では整列して待つということが30年ぐらい前までは習慣としてありませんでしたから。電車やバスなどを整列して乗車するようになったのは、結構の努力が要りました。タバコの禁煙化や女性専用車両なども、似たようなルールです。


 自分の仕事の決め方も、私たちの社会とは違う決め方です。権威とそれなりに観察力と洞察力のある人たちによって、一番向いていると思われる職業が割り当てられます。

 生や死についても、他の人がタイミングを見計らってくれます。

 何の不便もないコミュニティですが、住人たちはすることや言うことのすべてを録画・録音されており、必要に応じて注意を受けたり、最悪の場合は<解放>されてしまうこともあります。


 こうしたたくさんの「似ているけど、違う」を通して、「いまのあり方でいいんですか?」とローリーさんに問いかけられている気がします。


(参考: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 30 - 32)

2010年7月12日月曜日

『ギヴァー』というタイトル

 「ギヴァー」と「レシーヴァー」は、当然のことながら、この本のカギとなる言葉です。

 基本的に、それは記憶に関して使われています。

 そのことを象徴する意味でも、新訳では「記憶を注ぐ者」と「記憶の器」という言葉が使われています。(講談社訳では、「記憶を伝える者」と「記憶を受けつぐ者」とやくされていました。)

 レシーヴァーは、新しいレシーヴァーが選出された段階で、ギヴァーになります。

 私たちは、ギヴァーは年老いた人のことしかイメージしないかもしれませんが、ジョナスもゲイブリエルに記憶を注ぎ始めることでギヴァーになりはじめ、物語の最後の方では、彼のありったけのいい(温かい)記憶をゲイブリエルに注ぎ続けていました。

 その意味でも、絵本『てん』の内容に似ています。インスパイアーする人(元気にする人/息を吹き込む人)とインスパイアーされる人(元気にされる人/息を吹き込まれる人)との関係に。

 そして、みんなが「ギヴァー」や「インスパイアーする人」になれるという意味が込められているところまで。

  さらには、与えたり受け取るのは、記憶だけでなく、知識や体験などでもいいと思います。

2010年7月11日日曜日

『ギヴァー』を読んで

最近知り合ったTさんが『ギヴァー』の感想を送ってくれました。

紹介いただいたギヴァーを読みました。
多くの気づきがある素晴らしい本ですね!

僕はこの本を読んで、ないものにフォーカスするのではなく、
あるものにフォーカスし、あるがままに認めていく大切さを感じました。
今の自分に痛みを感じて、苦痛で変化していくのではなく、
今自分にあるものに気づいて、満たされた気持ちで変化していく、
そんな気づき、きっかけをもらえた本だと思いました。

ぜひ、多くの人に読んでもらいたい本です。


先日のブログ、またツイッターで「ギヴァー」を紹介させていただきました。
http://ameblo.jp/harley-lifecoach/entry-10584686386.html

また機会をみてぜひ紹介をさせていただきます。

2010年7月10日土曜日

  4月中旬から5月いっぱいにかけては、『ギヴァー』が扱っている「哲学のテーマ」について紹介しました。その後は、本の中で象徴的に使われていると思われる「もの」について考えました。こんどは、本の主題(=テーマ)と思えるものについてです。

 これも、国語の授業のやり方に則ってすすめるわけではありませんから、「正解」があるわけではありません。読み手が「これは、主題だ!」と思ったものは主題でいいわけです。本来、主題というのはそんなものだと思うのですが、どうも国語の授業になると「正解」の主題が存在します。読む視点や読む人が持っている経験や知識が違えば、見えるものが違うのですから、誰もが等しく納得する「正解」の主題などあるはずがないのですが...

  より多くの人が納得するかもしれない主題はあり得ても。

 最初に扱いたいテーマは、「絆」です。

 これは、『ギヴァー』と関連のある本 26で紹介したテーマでもありましたし、ひょっとしたら『ギヴァー』と関連のある本 18として紹介した絵本の『てん』のテーマの一つだったかもしれません。

 この本全体が、ジョナスの「絆」を見出す物語とも言えなくはないぐらいです。

 最初は、家族や友だちとのつながりでそれなりに満足していたジョナスですが、ギヴァーと出会い、たくさんの記憶を注がれる中で、違う次元のつながりである「絆」をしってしまったという感じです。

 まさに、「絆さえできてしまえば、何も怖がるものはない」というか「何もできないことはない」という感じです。

 ジョナスは絆を結べたギヴァーに一緒に来てもらいたかったのですが、ローズマリーのことや多くのコミュニティに残される人たちのことを考えるとギヴァーの「私はここに残る」を受け入れざるを得ませんでした。

 ジョナスとゲイブリエルとの絆も、ジョナスとギヴァーと同じレベルの絆になっていたのでは、と思えます。一切の言葉を介さずに、それが描かれているのが、またなんとも言えません。そして、「絆」は受け継がれてこそ価値があるということも。

 さらには、「つながり」ないし「絆」は、人との間だけにあるのではなく、木々、花、鳥や魚などの自然との絆も象徴的に描き出してくれています。

 そして、ジョナスが住むコミュニティは、そうした「絆」を一切シャットアウトした(というか、表面的なものにした)社会として描かれていました。

 「大切な絆を忘れないでください!」というローリーさんのメッセージが本のあちらこちらから伝わってきます。

  (参考: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 33 - 34)

2010年7月9日金曜日

得意なことと不得意なことは?

 「書くこと以外に得意なことはなんですか? 逆に、まるっきりダメなことは?」


 「私は料理がうまいです。友だちをもてなすことも得意です。これらは両方とも、家を修復することとも関連します。レベルはかなり低いですが、Martha Stewartのようなタイプだと言えるでしょう。

 運動はまるっきしダメです。スキーも、テニスも。でも、泳げます。ですから、まったく望みがないというわけではありません」

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 17)


 マルチ能力的にいえば、彼女は言語能力と人間関係形成能力(と空間能力?)に秀でており、身体運動能力は低いようです。でも、料理はある意味ですべて(8つ)の能力を使います。

・ レシピを読む(言語能力)
・ 人数に合わせて量を配分する(論理的・数学的能力)
・ 家族やお客全員を満足させる献立を考える(人間関係形成能力)
・ 自分自身の食欲をコントロールする(自己観察・管理能力)
・ 材料へのこだわり(自然との共生能力)
・ 包丁さばきや道具を扱う器用さ(身体運動能力)
・ おいしく見えるように彩りを考えたり、盛り付ける(空間能力)
・ 音で肉のやけ具合を調整したり、食材を包丁でリズミカルに切る(音感能力)

2010年7月8日木曜日

もし作家になっていなければ...

 「もし作家になっていなければ、何になっていたと思いますか?」

 「映画をつくっていたと思います。あるいは、家をリデザインする人です。構造的なことには関心がないので、建築家ではありません。でも、古い家を修復するのは大好きです。今、1768年に建てられた家を修復中です。ペンキのサンプルが、私の机を占領しています」

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 17)

2010年7月7日水曜日

未来の作家たちへのアドバイス

 ローリーさんへのインタビューに戻ります。

「作家になりたい子どもたちへのアドバイスをお願いします。何について書いたらいいのでしょうか?」


 「何よりも、たくさん読むことです。そして、読んだことについて考えることです。そうすることで、物語はどのようにつくられるのかを学ぶことができます。

具体的には、著者がどんなことをしているのかを考えてください。おもしろい登場人物をどのようにして作り出しているのか? 緊張感をどうやって作り出しているのか?

 また、興奮するような文章を読んだ時には、自分でもそんな文章が書きたくなります。読んだことが、あなたの書くことに影響を与えるのです。

もちろん、書いてください。そして、どうしたら納得いく形でまとめられるか練習し続けるのです。間違っても、どうしたら出版できるかな、などとは考えないでください。その代わりに、言葉の美しさや、言葉から感じることや流れ、そして自分が言いたいことを言い切る言葉について考え続けてください。

子どもたちには、おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を書くことを提案します。それをいうと子どもたちの多くは、“そんなのいやだ~”と言いますが、冗談で言っているのではありません。友だちに何かを語って聞かせるように書くことが、物語を書く練習には一番いいからです。ですから、友だちかおじいちゃん・おばあちゃんに頻繁に手紙を書く習慣をつけてください。いい物語は、そういう関係のもとに書かれた親密さがあるものです。そういう親密さに慣れていないと、ぎごちなく大げさな書き方になってしまいます。

 何について書いたらいいか? 抱えている問題や恐れ、あるいは楽しいことなどについてはどうでしょう」

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 16 and p. 54)

2010年7月6日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 28

 そういえば、ローリーさん自身が書いた本で『ギヴァー』と関連する本をまだ紹介していませんでした。

 当然、続編的な位置づけのGathering BlueとMessenger(共にまだ未訳)ですが、『ふたりの星』と『サイレントボーイ』も含めたい気がします。

 『ふたりの星』の舞台は第二次世界大戦中のデンマーク、『サイレントボーイ』の舞台は20世紀初頭のアメリカ東部の平凡な町。

 それぞれに違った時代の違ったテーマを扱っているのですが、訴えてくるものには共通点を感じます。

 両方とも、すでに絶版のようです。図書館で借りて読んでみてください。

  Gathering BlueとMessengerは、いま円高なので、それぞれアマゾンで625円で購入できてしまいます。英語でもいいという方は、ぜひ挑戦してみてください。

2010年7月5日月曜日

『ギヴァー』と関連のある本 27

 先週読んだ3冊の本です。

 まずは、二人の人からの推薦でアガサ・クリスティの『春にして君を離れ』を読みました。

 その直後に、『呼吸の本』(加藤俊朗+谷川俊太郎、サンガ)の中で推薦されていたシャーリー・マクレーンの本(私がかってに選んだ『カミーノ』)を読みました。カミーノのサブタイトルは、「魂の旅路」です。ピレネー山脈から、イベリア半島の北部を大西洋岸まで(サンチャゴ・デ・コンポステーラまで)歩く旅です。私のお薦めの映画 『サン・ジャックへの道』 と同じところを、あの有名な女優が歩いたのです。サンチャゴはスペイン語、サン・ジャックはフランス語で、同じ場所のことです。しかし、「魂の旅路」とあるぐらいですから、単に歩いただけではありません。「彼女なり」に歩いたのです。

 そして最後は、五木寛之の『親鸞』上です。(まだ、は読んでいません。)


 いずれも、「自分探しの旅」という共通点があると思いました。★

 もちろん、『ギヴァー』のたくさんのテーマの一つもそれだと思います。


 『春にして君を離れ』は、あのミステリーというか探偵もので有名なアガサ・クリスティがこんなのを書いていたのか!という驚きの内容です。

 『ギヴァー』の主人公には元気づけられる私ですが、『春にして君を離れ』の主人公のようにはなりたくないという戒めの書です。(ということで、元気にしてくれる本ではありません。)でも、その主人公のような側面は誰もが持ち合わせている気はします。だからこそ、読まれ続けているんだと思います。


 これら4冊の本には、「よそに行くこと」で見えてくる/気づくことがあるという共通点もあるかもしれません。


 そして3番目の共通点として、『親鸞』の183ページに書いてあったこと ~ 「人間だけがいろんなものを身にまとう。この世界の生きものは、草も、木も、けものも、鳥も、魚も、みな「身ひとつ」で生きているのではないか」 ~ 4冊とも、そういうほとんど「身ひとつ」の状態になった時に、見えてくるものがあることも気づかせてくれます。


★ 『呼吸の本』は、今回の『ギヴァー』と関連のある3冊の本には、当初含めていませんでしたが、よく考えてみると、これも「自分探しの旅」なのかもしれないな~、と思い始めました。

2010年7月4日日曜日

書くことと観察すること

 前回の「書くことと撮ること」の延長として、今回は「書くことと観察すること」です。


 「あなたが書くアイディアはどこから来るのですか?」


 「アイディアは、私のイマジネーションから来ます。作家であるということは、いい観察者であることを意味します。何かを観察すると、間違いなく想像し始めます。観察し続けることで、アイディアがなくなることはありません。無限大と言ってもいいぐらいです。問題は、どのアイディアに焦点を絞るかです」

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 53-4)


 これを読んで、誰もが作家にはなれなくとも、観察者になる部分は大切にしたいと思いました。その習慣が身につけば、世の中ははるかによくなるのにな、とも。

2010年7月3日土曜日

書くことと撮ること

 「あなたは作家であると同時に、写真家でもありますが、共通点は?」

 「写真家は、フィルム、レンズ、フォーカス、深さ、感度、構図などを考え、選択します。同じことが書くときにも当てはまります。どこに何を配置するか、何に焦点を当てるか、何はぼかしておくか、など。加えて、作家として、私は書こうとすることを見ることで書いていきます。とてもビジュアルなライターだということです」

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 16)


 見ること(写真を撮ること)と書くことには、こんなに共通点があったんですね!

2010年7月2日金曜日

書くことで簡単なことは?

  ローリーさんへのインタビューに戻ります。

 「書くことで簡単なことは何ですか? 難しいことは?」

 「ん~、それは考えてみないと、すぐには答えられないわね。簡単なことは、書きはじめと書き終わりね。書き始めるときは、いつも興奮します。それと同じぐらい最後の部分もです。『ギヴァー』の読者が、最後の部分についていろいろ言っていることは知っていますが、すべてを含めた上で、どこで終わったらいいのかを判断することは、私にとっては難しいことではありません。なお、私は完璧な終わり方よりも、読者が自分で考え続けるものを残した終わり方のほうがいいとも思っています。
  はじめと終わりが簡単だということは、残りの真ん中が難しいということになります。たくさんのことを織り込まないといけないからです。それをうまくやることは難しいことです」

  (出典: A Reading Guide to The Giver, by Jeannette Sanderson, Scholastic, p. 15-6)


  私は、最初に『ザ・ギバー』を読んだ時から、終わり方が好きです。彼女自身が言っているように、こちらに読み方を委ねるような終わり方なので。私は、もちろん<よそ>に着けたと思いました。

  そして、真ん中の「たくさんのことをうまく織り込まないといけない」難しい部分も、とてもうまく書いているな~、と何回読んでもうなってしまいます。

  最初が、最後と同じで結構不評な感想をもらうことが少なくありません。わかりにくいというか、とっつきにくいというのです。それで新訳では、登場人物を最初に掲載してみた次第です。 でも何回か読んでいると、この始まりも、かなり味わいのある始まり方だと思えてきます。(私は相当『ギヴァー』にはまっているというか、とりこになっているからかもしれません。)

2010年7月1日木曜日

『ギヴァー』と関連のある本 26

 関連のある本は、しばらくぶりです。★

 本のタイトルは、Change or Dieです。直訳すれば、『変わるか、死ぬか』というすごいタイトルです。著者は、Alan Deutschman。

 著者も最後のページで書いているように、本の内容はChange and Thrive(変わると元気になる)なのですが、Change or Dieのはるかにインパクトのあるタイトルを選んだそうです。

 主張していることは単純です。変えるための「法則」は、①関係を築く、②繰り返しで身につける、③視点・枠組みを変えるの3つです。対象が何であっても。

 Change or Dieで紹介されている事例ではもちろん、『ギヴァー』で描かれていることも、同じだ~、と納得してしまいました。

 一番大切なのは、①の関係であることは言うまでもわりません。それをベースにした②であり、③ですから。ある意味では、いい関係が築ければ、何でも可能とまで言えるかもしれません。


★ ここしばらく読んでいる本は、ほとんど英語で、関連を感じたものもいくつかあったのですが、翻訳が出ていないので紹介するのを躊躇していました。しかし、今回の本に出てきた3つのポイントは、極めてシンプルに変わる法則を整理してくれていると思った次第です。どこかの出版社で訳してくれるといいのですが。